私が、高校時代に在籍していた高校は、勉強命、学力命、学力命のいわゆる進学校でした。入学すると周りからは「わぁすごい!」だとか「頭いいんだねぇ~」だとか賞賛や祝福の言葉がかけられます。ただ一方で、入学して後悔した自分がいました。なにも、勉強がついていけなかったとか、先生とうまく付き合えなかったとか言うことではありません。ただ、周りの人間の「人間性」が終わっていたのです。

 SNSや高いコミュニケーション能力を悪い方向に利用して、人をだまし陥れること当たり前。人のあることないことを捏造し、あたかも事実であったかのように語る、いわば誹謗中傷が先生の目の届かないところで行われている現状がありました。もちろん、そんな人間が自分の代の学年の8~9割がそういう人だったというわけではありませんが、体感そういう人が少し多かったかなーというのは事実としてありました。

 実際僕もそのようなことを数えきれないことをされて、陥れられた一人なのですが、この出来事を踏まえて本当に強く思ったのは、現代の高等学校教育には学力を重視し過ぎている側面があるということです。

 勿論、生きていくうえで学力というものは重要な要素のうちの一つであるのは事実です。いい大学・専門学校に入りたい、夢を叶えたい、自分のやりたい事で食べていきたい世界に飛び立ちたい。そのために必要なのは、専門知識や、今まで生きてきて、教育機関で養い身に着けてきた学習事項・学力は必要なのかもしれません。

 しかし、本当にそれだけでいいのかと言われると頭の中に「?」が残るのではないでしょうか。考えてみてください。いくらコミュニケーション能力や外国語運用能力があったとしても、傲慢な態度を取ったり、平然と嘘をついたりする人間とは関わりたくないでしょう。その他にも、たばこの吸い殻や空き缶などゴミのポイ捨てを平気でする、「客は神様だ!」と鼻息荒く店員に無理な要求を押し付けるなど、挙げだしたらキリがないくらいです。

 高い能力を身に着けるのも良いことですが、今あげた人間性の観点にボロが出始めると一気に信用・注目を失う可能性があります。なので、学力以外のこと、つまり人間性を養う教育課程も高等学校教育は必要だと思います。

 

 さて、自分のやられた経験からこのような大きい問題まで自分勝手な解釈と意見を述べましたがいかがでしょうか。楽しんでいただけたでしょうか。次回もこのような勝手な持論の展開をするかもしれないし、ちょっと違ったテーマのお話もしようかなと思っています。

 最後に、こんなよくわからない文章を最後まで読んでくださった方々に感謝の言葉を述べたいと思います。本当にありがとうございました。次回以降も楽しみにして待っていてほしいです!それではまた会いましょう!