物心がつくころから、私は他の子とは少し変わっていました。

初めて“それ”を見て、私だけしか見えていないことに気が付きました。

私は驚き母に話しましたが、母は「何も心配しないでいいのよ、あなたに何もしないから。でも見たことを誰にも話さないでね」と私の目を見て静かに諭しました。

一番印象に残っている出来事は私が小学1年生の秋に起きました。私の住んでいるマンションの隣の部屋に小学5年生の女の子が住んでいて、彼女は私を弟のように可愛がってくれていました。

日曜日の夕方、急に階下が騒がしくなり、救急車のサイレンの音が遠くから近づいてきて、マンションの前で止まりました。私は窓を開け見下ろすと、舗道に女の子が横たわっていました。私はすぐに隣のお姉さんだとわかりました。彼女は救急車に乗せられ、搬送されていきました。「可哀そうに」一緒に見ていた母はため息をついてつぶやきました。

翌朝、母から「ミッちゃんはもういないから、一人で学校に行きなさい」と言われ、マンションを出て学校に向かうと、ミッちゃんが私の前を歩いているのです。「ミッちゃん」私が声を掛けると、ミッちゃんは振り返り、微笑みました。私は走って駆け寄り、ミッちゃんの手を握ろうとしましたが、何度握ろうとしても感触がないのです。

それでも私はミッちゃんと学校まで一緒に歩きました。学校に着いて、私がスリッパを履いている間に、すでにミッちゃんは自分の教室へ入って行きました。私は急いでミッちゃんのいる教室に行ってみると、ミッちゃんは大柄な女の子が座っている横に立って、その子を黙って見ているのです。女の子はミッちゃんが横にいることに気づきません。授業開始のベルが鳴り、ミッちゃんは女の子に何かをするつもりかしら、と思いながら私は自分の教室へ急いで向かいました。

学校が終わり、帰宅すると母が暗い顔で出迎えました。

「ミッちゃんは学校で虐められたらしいの、ケンちゃんは学校で何かあったら必ずお母さんに話してね、いいわね」私は頷き、ミッちゃんが死んだことを受け入れました。今朝見たミッちゃんはやはり“それ”だったのです。

それから5年後のことです。私の住むマンションの通りを隔てた向かいに、バレエ教室ができました。ちょうど私の部屋からは教室で踊っている十人以上の女の子たちが見えました。そのバレエ教室が開校して半年経った頃、もう外は真っ暗でしたが、バレエ教室のある二階のベランダの端に白い羽を背負った大きな生き物が佇んでいました。私はペリカンがベランダにいると思いました(というのは、その何日か前に動物園からペリカンが逃げた、とのニュースをテレビで見ていましたので)。

その時、突然教室が慌ただしくなりました。少女たちの中の一番小柄な女の子がフロアに倒れています。足首を痛めたようで、その子は痛めた箇所を先生に教えています。先生はその子を抱き上げ窓際に置いてある椅子に座らせました。生徒たちがまた踊り始めるなか、先ほどの足首を痛めた女の子がベランダに出てきました。その子は足が痛いのか、あるいは他の子と一緒に踊れないことが悔しいのか、泣きじゃくっています。それにしても、すぐ近くにいるペリカンに女の子が気づかないのが不思議です。

その時です、ペリカンの羽が大きく広がり、手が見えたのです。すぐに私はペリカンではないことに気づきました。少年らしい横顔も見えました。何なんだ、あれは?いままで私が見た“それ”とは違うのです。少年は右手の手のひらを彼女の方に向け、ゆっくり動かしました。するとそれまで泣きじゃくっていた女の子の顔が明るく輝き、教室に入り、何かを話しかけています。先生が笑顔でその子の足をさすっていて、その子の足の痛みが回復したことをみんなが喜んでいます。私は呆気にとられていました。

ベランダにいる羽を背負った少年は、バレエ教室で起こっていることを見た後、羽がさらに広がり、スローモーションのようにゆっくりと動くと、身体が宙に浮かび、飛び始めました。ちょうど私の部屋の窓の高さに来た時、私と目が合いました。「天使だ」と私が叫ぶと、天使は一瞬微笑んだように見えましたが、夜空へと飛び去って行きました。何か夢の中の出来事のようで、私は天使の姿が小さくなり、やがて消えていった夜空をいつまでも見ていました。

その後の私は、年を経るにしたがって“それを見ることが少なくなっていきました。

大学三年生の秋のことです。大学病院の病棟が立ち並ぶ間をバス停へと歩いていた時、ふっと見上げると三階の窓に白い物が見えました。以前見た背中に白い羽を背負った天使がいたのです。12,3年ぶりでしょうか。天使はじっと動かず病室を見ています。私は天使が何を見ているのか興味を覚え、急いで病棟に飛び込み、階段を駆け上がりました。 天使が見ていた病室の前には多くの子供がいて、声を上げて泣いていました。ドアが半開きになっていましたので、中を見てみると、ベッドに真っ青な顔の女の子が寝ていて、医者や看護婦、それに両親らしい人が心配そうに女の子を見ています。ベッドの側には心電図が置かれているのですが、弱々しく動いていた心電図の波形が横に流れていき、死が訪れたことを知らせました。母親は女の子の名前を泣き叫び、父親は茫然としています。医者と看護婦は二人に頭を下げた後、病室を出ていきました。

私は窓に目をやりました。ブラインドの隙間から天使がいることがわかりました。そして、以前見たように天使は手を静かに動かしたのです。おもわず私は死んだ少女に目を移しました。すると少女が目を開けたのです。両親は驚き言葉もでません。慌てて父親は病室を出て、エレベーターに乗ろうとしていた医者に向かって「娘が生き返りました」と叫びました。

私はブラインドの隙間から娘を見ている天使の眼を見ました。そして天使は私を見返しました。その眼は「あの時の男の子だな、お前は私が見えるのか?」そんな意味を込めているような温かく慈愛に満ちたブルーの瞳でした。やがて天使はいなくなりました。

いったい天使はなぜこの女の子の命を救ったのか、不思議なことです。毎日のように世界中で多くの子供が災禍や病気で命を落としています。この女の子は何か特別な使命でもあるのでしょうか?人類のために将来活躍するような人間なのでしようか?

その後天使を見たのは一度だけです。その時を最後に見ることは無くなりました。もう“それ”を見ることもありません。

大学4年の冬、クリスマスの夜、私は恋人と待ち合わせているレストランへと向かっていました。ただ私の足取りは重く、彼女を失望させる、と思うと気持ちが沈んでしまいます。    私のポケットには1200円しかないのです。クリスマスプレゼントを買えるようなお金はありません。とにかく大学生活は貧乏でした。それでも自分を卑屈に思うことはありませんでした。生来の楽天家のうえ、自分の将来が見えていましたし、そのためにがむしゃらに勉強していました。ヨット部の活動は大いに楽しんでいましたので、大学生活が苦しいなんて考えもしませんでした。

ただ三か月前恋人ができてから大変な思いをしていました。一緒に歩いてばかりいるわけにもいかず、たまには食事をしたり、映画を見に行ったりするものですから、友人からお金を借りることもありました。

少し早く着きそうなので、レストランの手前にある公園で時間をつぶそうと考えました。公園の入り口に入ろうとしたとき、暗がりから二人の少年が飛び出してきました。危うくぶつかりそうになりましたが、私は何とか身をひねって衝突をさけました。二人は謝ることもなく走っていきます。私は二人の後姿を見ていましたが、二人は信号が赤なのに道路を横切ろうとして、直進してきたトラックに跳ね飛ばされたのです。トラックから運転手がでてきて「何やってんだ、お前ら」と怒鳴っています。見物人も集まり出しました。

私は公園の中に入って行きました。なぜ二人が何かに逃げるように飛び出してきたのか知りたかったのです。すぐにその理由がわかりました。

公園の奥にはトイレと水飲み場があり、外灯がその周囲を照らしています。その外灯が照らす輪の中に子犬が横たわっていました。さわってもぴくりともしません。多分あの二人が何らかの方法で殺したのでしょう。抱き上げるとまだ温もりがありました。私の両手のなかに入るくらいの子犬でした。

私は子犬を手に乗せたままベンチに座りました。子供の時以来でしょうか、涙が止まりませんでした。いったこんなかわいい子犬を殺す人間がこの世にいることに憤りを覚え、やるせなくなってくるのです。何もできない自分がふがいない駄目な人だと思えてくるのです。そのうえ今夜はクリスマスで恋人にプレゼントもできません。こんなに自分が無力なのを感じたことはありません。子犬の体に私の涙がぽとぽと落ちた時、突然私の前に天使が立っていたのです。何時現れたのか全然気がつきませんでした。私は茫然と天使の顔を見上げました。天使は私が両手に乗せている子犬の亡骸を両手で被せるようにしたあと、背中の羽が開き始めました。羽がゆっくりと大きく開いてから天使は夜空へ飛んで行きました。ほんの2,3分のことでしたが、私は永遠の時間のように感じました。天使の醸し出すオーラと存在感は圧倒的でした。私は息をすることさえ忘れそうになりました。

その時です、私の両手に横たわっていた犬が起き上がったのです。とても信じられない出来事でした。子犬を地面に置くと走り回りました。走り回った後で私の足元に戻ってきました。

それで私は思いついたのです。この子犬を彼女へのプレゼントにしょうと。

動物好きの彼女は喜んでくれました。まさか、一度死んだ犬を天使が蘇らせた、と話しても信じてもらえないでしょう。

私たちは私が大学を卒業した年の秋に結婚しました。もちろん子犬も一緒です。

子犬の犬種はワイマナラーでした。ドイツ産で貴族に愛された犬だと、動物図鑑には記載されていました。子犬の時、瞳はブルーでしたが成犬になるにつれて茶色になりました。変わった犬で、にらめっこをすると絶対に目を逸らさないのです。あるとき、にらめっこをしていて、私はふざけて彼の鼻を噛んだことがありますが、瞬時に彼は私の鼻を嚙み返えしました。痛くは無く、絶妙なころ合いで噛んだので、私は感心し、それ以後は彼を一人前の犬として丁重に扱いました。時々私は、もしかしたら天使が犬になり替わっているのでは、と思っていましたので。

20年経って彼は、名前はAlexといいますが、今年の六月に亡くなりました。このブログに添付されている写真が彼です。約20年間一緒に暮らしたことになります。よかったのかどうかわかりませんが、火葬にしてお坊さんにお経をあげてもらいました。

彼が亡くなって二週間が経ったころ、彼が住んでいた犬小屋を廃棄するため運び出した時、何と彼の犬小屋の奥に一本の白い羽があったのです。鳥の羽ではないと思いますが、見たことのない長さです。もしかしたらAlexは本当に天使だったのでは、と思ってしまいます。

二度と天使を見ることはなくなりました。

 

 

 

凍えるような寒さの早朝、私は始発の電車に乗るために駅まで急ぎ足で向かいました。

閑散としていた駅の周囲は宅地化が進み、これから分譲住宅の販売が行われるはずですから、そうすればこの駅は多くの住民が利用するようになり、駅の前には店舗も立ち並び賑わうことでしょう。

自動改札を通り、ひとつだけある外灯が寒々と照らしているホームを見ると、乗客は私だけのようです。遠くに電車の明かりが見え、次第に近づいてきます。あと2,3分でホームに入ってくるでしょう。

私をぞくっ、と悪寒が走りました。右手が小刻みに震えだします。頭の中が緊張で動きを止めてしまいます。視野が狭くなり、周りの景色が次第に無くなっていきます。

そして私の足は少しずつホームの端へにじり寄っていきました。

すぐ間近に電車を感じ始めたその時です。向かいのホームに立った、私を見ている小学生の高学年くらいの少女の姿が目に入りました。ベージュのハーフコートに緑色のスカート、白い靴下と赤い靴を履き、頭の両側の髪を赤色のリボンで飾っています。心配そうな、それでいて「大丈夫よ」と呟いているような表情をしています。なぜこの少女はこんな朝早い駅に一人でいるのだろう、と考えていると、電車が私の前に止まりました。はっ、と我に返り、電車に飛び込もうとしている自分自身に慄然としました。それほどまでに自分の心が病んでしまっていることに今さらながら震える思いです。

私は電車に乗り込み、向かいのホームを見ましたが、その少女の姿はありませんでした。

一週間前、私は医者から「うつ病」と告げられていました。

私は大学の理工学部を卒業後、IT関係の会社へ就職しました。三年後、私はゲーム開発に特化した子会社へ出向することになりました。多分、私がプログラマーの技術を競う世界大会で二位になったからだと思います。もちろんそれは私も望んでいました。

会社は成功報酬を約束してくれましたので、10人の部下を抱え、斬新なゲームの開発に意気揚々と取り組みました。ただ完成の期限があることが高いハードルになっていました。私たちは約三か月間睡眠時間3,4時間の生活を余儀なくさせられたのです。開発を始めて二か月が過ぎた頃から、私は不眠症になりかかっていました。疲れてベッドに倒れこむのですが、次から次に夢を見て、その夢の内容が完成期限を遅れたために多くの関係者から叱責され打ちひしがれている私の姿なのです。

そして感情のコントロールができなくなり、突然怒ったり泣き出したりしました。そんな私を部下たちは腫れ物に触るように見ていました。社長に進められ病院にかかりましたが、「うつ病」だと診断されても「それがなんだ」という気持ちでした。仕事を投げ出すわけにはいかないのですから。

ゲームが無事に完成したとき、私は精も根も尽き果てていました。時々方向感覚がなくなり立っていることができない状態でした。

社長は慰留しましたが、私は辞職届を提出し会社を退職しました。

それから一週間、私は雨戸を閉め真っ暗にした部屋で眠り続け、奇妙な夢を何度も見ました。

それはあの日の朝、私の命を救った女の子の姿でした。最初はホームから私を黙って見ていましたが、そのうち笑って手を振るようになり、そして大声で私に「ケンちゃん」と声を掛けたのです。私は飛び起きました。その少女が誰だかわかったからです。

彼女は近所に住んでいた医院の一人娘でした。医者の父親と二人の看護婦がいるこじんまりとした病院で、昔看護婦だった彼女の母親が時々手伝っていました。

腕白盛りで走り回ってばかりいた私に比べ、彼女は大人しくいつも小脇に童話の本を抱えていました。私が催促すると読んで聞かせてくれるのですが、私は寝そべって彼女の話を聞きながら幸せな気分になったものです。多分それは初恋だったと思います。

小学五年生の冬、彼女は引っ越していきました。引っ越しの前日、私たちは一日中とりとめのない話をしました。彼女の夢が医者になることだと知りました。「ケンちゃんの夢は?」と聞かれ、何も答えられず気まずい思いをしました。話が尽きた後、いつまでもお互いを想っていることや、大人になって再会することを私たちは約束しました。

誰でもそうであるように、私は中学、高校、そして大学へと進むにつれ彼女の記憶は薄れていきました。淡い初恋の思い出として時々思い出すのですが、いつも彼女は私に本を読んで聞かせるときのままでした。

私は突然あの日の約束を思い出したのです。そうです、再会するという。

翌日私は、私が生まれ、高校生まで過ごした故郷を訪ねました。そこは過疎化が進み、住宅がぽつんぽつんと点在するだけの寂れた町になっていました。彼女が住んでいた病院と住宅が併設されていた建物の跡は畑になっていて、彼女の行き先を探す方法は見つかりませんでした。

私は興信所に探索を依頼しました。病院の名前から探すことができると思ったのです。一週間後、調査書が送られてきました。

彼女の家族は人口約150万人のF市へ転居し、父親はそこで病院を再開しましたが、10年後倒産していました。父親の病死と高額医療機器のリース料や銀行の借入金を支払うことができなかったことが原因です。現在母親は実家のある佐賀市内に住み、彼女は大学を中退した後、東京で中堅の貿易会社の事務員として働いているようです。彼女の住所も調査書に書かれていました。まだ結婚はしていないようです。

それから一か月ほど私は体調を回復するためジムに通いました。もともと大学のヨット部で鍛えていたため、体力が戻ると欝々とした気分は雲散し、以前の活発で楽天的な性分に戻ったようです。

私は年の瀬も押し迫ったころ東京へ向かいました。突然私が現れ彼女はどういう態度をとるのか予想ができません。けんもほろろに追い返されるかもしれませんし、もう私のことなど忘れているかもしません。

それでも私は彼女に会いたいと思いました。私の命の恩人ですから。

私は夕方には彼女の住むアパートの前に着きました。二階の角の部屋に彼女は住んでいます。ちょうど通りからアパートへ入る細い道の反対側に喫茶店がありました。通りのほうの席から帰宅する彼女を確認できると思いました。

その喫茶店で五杯目のコーヒーを注文しても、まだ彼女は帰宅しませんでした。六杯目のコーヒーを飲み終え、ホテルに戻ろうと席を立ったとき、駅の方向から歩いてくる若い女性の姿が目に入りました。道路を走る車のライトに女性の顔が照らされたとき、私は彼女であることを確信しました。子供のころの面影を残した顔立ちでした。やがて彼女はアパートへ続く細道に入って行きました。時刻は既に11時を過ぎています。私はあわてて喫茶店を飛び出しました。アパートの前に着くと、彼女の部屋に明かりがついています。

ここにきても私は迷っていました。深夜に、もしかしたら私のことを忘れているかもしれない女性の部屋を突然訪問していいものかどうか。

30分ほど行ったり来たりしたでしょうか、私が意を決して、階段を上りかけたときです。彼女の部屋の明かりが消えたのです。そして部屋のドアが開けられ、彼女が外に出てきました。私はあわてて階段の下に身を隠しました。後で考えると、そのとき彼女に声を掛ければよかったと思いましたが、反射的に行動してしまいました。夜中に部屋を出ていく彼女の行動に奇異を感じたのかもしれません。

朝の天気予報のとおり、小雪が舞い降りてきました。

彼女は通りを出た後、駅とは反対の方向へうつむき力なく歩いています。いったい彼女はこんな深夜にどこへ行くのだろう、と思いました。

十分ほど歩いたでしょうか、彼女は古い集合住宅が林立している敷地の中へ入って行き、一棟の集合住宅の階段をゆっくり上っていきます。私は急いで反対側にある集合住宅の階段を彼女の姿を確認しながら上りました。彼女は八階建ての集合住宅の屋上まで上って行きました。私も同じように屋上に着き、彼女の方を見ると、淡い赤色灯が照らす屋上に彼女は一人で立っています。私は暗がりに身を隠して彼女を見ていました。

何も遮るもののない屋上では、雪は風に流され灰のように右往左往しながら降り続いています。

やがて彼女はふらふらと歩きだし、屋上の端で止まりました。そして顔を夜空に向け、何かつぶやいたように見えました。

私は彼女の行動の意図がわかりました。そして、彼女がその先へ進もうとしたとき、私は大声で「ヨウコちゃん」と叫んだのです。

彼女は突然、自分の子供のころの愛称が呼ばれ、足を止め「えっ」という表情をして周囲を見回しています。

私はまた「ヨウコちゃん」と叫び、私が現実にいることを知らせるため手を振りました。

彼女は真向いの屋上にいる私に気づきました。彼女は戸惑っていました、なぜそこに自分の子供のころの愛称を叫んでいる男がいるのか。

彼女はじっと身動きもせず私を見ていましたが、やがて何かつぶやきました。「ケンちゃん」と言っているのがわかりました。私が手を振ると大きな声で「ケンちゃん」と呼んだのです。

この夜のことを振り返り、また私が駅で見た少女をことを考えると、人間は不思議な力が備わっているのでは、と思ってしまいます。それは切羽詰まった究極の状況で生じるものかもしれませんし、何かで結ばれた二人の間にだけ生じるものかもしれません。

私は彼女に助けられ、私は彼女を助けたのです。多分人生において、お互いに必要な存在だったのだ、と今では確信しています。

私が極度の過労から自分の命を失おうとしたことや、彼女の夢を閉ざされた困窮や、そして将来に絶望して命を絶とうとしたことは、愛する人が身近にいれば解決できるものだと思います。我々がそうあったように。

私たちはそのご結婚しました。

現在彼女は大学の医学部の学生です。私はまたIT企業で働き始めました。彼女が大学を卒業するまでは私が支えるつもりです。私たちは蓄えもなければ財産もありません。節約するため安いアパートに住み、贅沢をすることもありません。

しかし愛する人と一緒に暮らし、夢を持って生きていければ人生は楽しいものだと思っています。

鬱陶しい梅雨が明け、土曜日の夕方、私はうきうきとした気分でマリーナへ向かいました。

ヨットに乗るのは5月のゴールデンウイーク以来です。

車を駐車場に停め、食料や飲み物がいっぱいの段ボールを抱え、ヨットの係留場所まで歩きました。

見上げれば雲ひとつない空には夕焼けが広がり、今夜の夜の祭典の期待に胸が躍ります。

段ボールを持つ手がしびれだしたころ、やっと係留場所へ着きました。

浮き桟橋には多くのヨットやクルーザーが係留されており、長い間手入れをしていない私のヨットは、少し薄汚れて浮かんでいます。

今夜から明日一日は自由を満喫できます。この一か月は残業続きで、心身ともにへとへとでした。そうした日々の後でしたので、私の気分は開放感で浮かれていて、口笛を吹きながらヨットを洗い、艤装している私を誰かが見たら、とても楽しそうできっと何不自由のない生活を送っている能天気な男だろうと思ったことでしよう。

中古で買ったこのヨットにはベッドとトイレがあり、エアコンもついています。小さい冷蔵庫もあるので、段ボールの中からビールやワインを取り出し、飲む場面を想像しながらその中へいそいそと並べます。ベッドのシーツと枕カバーを取り替えます。これで酔いつぶれてベッドへ倒れ込んでも快適に眠れるはずです。

船外機にガソリンをいれ、スターターボタンを押すと、乾いた音を発しエンジンが動きました。

ヨットを離岸させる前に、艤装の準備をします。一人での航海は前準備が必要なのです。

その時、岸から「楽しそうですね」と女性の声がしました。顔を上げると、若い女性が笑顔で私を見ています。二十代後半くらいの年齢だと思いますが、ジーパンに半袖のサマーセーターを着たモデルのような体型で、思わず「オッ」と声を出してしまいました。突然声をかけられどきまぎしましたが、話しやすそうな気軽さを持っている女性だと思いました。

「久しぶりにのるので浮かれているんですよ」そう私がこたえると「もうすぐ夜になるので乗れないでしょう」と女性は怪訝な顔をします。

「実は、博多湾の対岸の海浜公園で毎年花火大会があるんです。日が落ちる前にそこまでヨットでいって湾内に停泊し、酒を飲みながら見るのです。打ち上げられた花火を目の前で見ながら酒を飲むのがだいご味で、一年に一回の楽しみなんです」

「面白そうですね」彼女はそう言って、博多の中心街の方向に目を向け、少し考えた後、意を決したように「私も同行させていただけないでしよう?」

「えっ、でも九時半ころには花火は終わりますが、その後は朝まで湾内に停泊したままですよ」

「このヨットにおトイレがついています?」

「付いています。ベッドも冷蔵庫も、それにエアコンもあるので快適ではありますが」説明した後で、ベッドは余計だったと思いました。いやらしい男だと思われるのは心外でした。まあ、一瞬そんなことも頭をよぎりましたが。

この女性は女らしさを感じさせるよりは、むしろおおらかで柔軟な強さを持っているような印象を私は持ちました。私より背は低そうですが、一般的な女性としては長身で、肩幅があり、何かの運動競技の経験がありそうです。

彼女は私が承諾の返事をする前に、ヨットに乗り込んできました。

私は思わぬ展開に、嬉しいような、また気恥ずかしいような気分でした。いったい今夜はどんなことになるのだろうと。

ロープをはずし、船外機が動き出すと、ヨットは静かに桟橋を離れていきました。ハーバー内は船外機で航行し、帆をあげる準備だけは済ませておきます。ヨットがハーバーを出たところで帆を上げます。船外機を止め、微風ですが帆がはらみ、風の力だけで進み始めました。

彼女は船首のほうに移動し、地平線へ落ち始めている夕日を見ています。時々笑顔で振り返り私を見ます。そのたびに私は幸福な気分になりました。もし彼女が恋人なら、恋人と一緒にヨットで航海するのを私は長年夢見てきましたので、最高に幸せな時なのでは、と思いながら。

彼女がヨットに乗り込んできた時に、お互いに名前の交換をしました。彼女は洋子と言い、姓は名乗りませんでした。

沖に出ると風があり、出港して45分後には目的地の海浜公園のある湾内に着きました。ちょうど夕日が落ち、薄暗くなってきました。

湾内には何隻かのボートやヨットが停泊しています。私たちと同じ目的で来ているのです。マストに取り付けたライトを点灯させ、食事をとっている家族風な団体もいます。

私はデッキに折り畳み式のテーブルをセットし、冷蔵庫からビールとワインを取り出し並べます。

彼女はワインを飲みたいと言いました。つまみはチーズとフライドチキンです。

お互いに気が合うのは、なんとなくわかるものです。映画や音楽の好みが同じで、好きな作家は違いましたが、彼女は多くの本を読んでいるようです。彼女は家族や職業の話になると話題を変えてしまいます。

私は自分の仕事の内容を面白おかしく話しました。貿易に従事していると、その手の失敗談は両手で数えられないほどあるのです。

彼女は酒が強く、すでに一本目を空け、二本目にかかっています。私もビールを止め、ワインに変えました。こんなに気分よく酔うのはいつ以来かわかりません。二人とも笑ってばかりで、途中で何が可笑しかったのかわからなくなり、彼女に意味を聞くと、「面白い人ですね」と言って大笑いしています。

そしてお待ちかねの花火の打ち上げが始まりました。

昨年も見ているので、それほどの感激はありませんが、見上げる夜空に色とりどりの色彩の花火が乱舞する光景というのは壮観です。彼女も時々「わー」と叫んでいます。

花火が終わり、海浜公園から人々が去って行きます。

祭りの後のような賑わいが消え、周りが暗くなり、波の音だけが聞こえる中で、私たちは3本目のワインを空け、話し続けました。お互いの初恋の話や失恋の話で盛り上がりました。

酔いは突然私を襲いました。昨日までの残業続きで睡眠不足の反動がでたのでしょう。睡魔に耐えられず、ヨットから海に落ちそうになりました。あわてて彼女が私の腕をつかんだのは覚えているのですが、その後の記憶は無くなってしまいました。

翌朝、私は船体に波が当たる音で目を覚ましました。ベッドに寝ています。時計を見ると、9時過ぎです。しばらくうとうとしていました。そして突然思い出したのです。昨夜女性と居たこと、一緒に花火を見たこと、酔いつぶれたこと、ベッドに入ったことは覚えていません。彼女はどうしたのだろう。キャビンから出て、デッキを見回しても彼女はいません。岸まではかなり離れているので、泳いでいく必要があります。一瞬夢を見たのでは、と思いましたが、彼女をヨットにのせた時のことや話した内容を覚えています。夢ではありません。それにしてもなぜここに彼女はいないのか?不思議な気持ちでした。海に落ちたのでは、と思いヨットの周りを見回しましたが、途中でやめました。そんな馬鹿々々しい事故を起こすような女性ではない。それは確信がありました。

そうして、わたしの夏の夢のような休日は終わったのです。翌日からはまたハードな日々が始まり、あの夜のことは結論の無い小説みたいな不安定な心持のままでした。

あの日以来彼女との再会は無く、翌年になり、同じように花火が開催される夕方、私はヨットにいました。艤装が終わり、船外機のエンジンをかけ離岸しようとしたときに、こちらへ走ってくる女性がいます。彼女でした。両手に紙袋を抱えています。

1年ぶりに会った彼女は、輝いて見えました。昨年よりも華やいだ雰囲気が備わった、とでもいうのでしょうか。彼女の身に何かが起こったのでしょう。

「ワインを買ってきましたよ」

そう言って彼女は私に紙袋を差し出し、私がそれを受け取ると、ヨットに乗り込んできました。そして「行きましょう」と笑いながら促しました。あまりに自然な彼女の振る舞いに、躊躇する間もなく、私はヨットのエンジンをかけました。

ただ、あいにくその日は朝から雨模様で、今夜の花火大会は中止になるかもしれない、とテレビのニュースで言っていました。どうしょうか迷ったのですが、もしかしたら彼女とまた会えるかもしれないと思い、マリーナに来たのです。

薄靄の中をヨットは進み、やがて海浜公園の湾内に着きました。雲の合間から星空が見えてきました。天気は大丈夫なようです。公園には見物客が集まり始めています。

昨年と違い、湾内にいる船は私のヨットだけです。多分他の船は、雨で中止だと早合点したのでしょう。

花火が打ちあがるまで、私たちはワインを飲み、話し続けました。昨年ヨットからいなくなった理由や岸までどうやって行ったのか、とかは聞きませんでした。私は、最初からこの女性は何か事情を抱えているような感じがしていましたので、私からあれこれ質問するのは止めました。ただその事情は暗く重いものではない、と思いました。彼女の笑顔がそれを物語っています。

やがて花火が盛大に打ち上げられ、彼女ははしゃいでいます。私は、花火が照らす彼女の横顔を見て、美しい女性だと思いました。しかし、多彩な花火の色に照らされるその横顔は謎めいています。

やがて賑わっていた雰囲気を静寂がとってかわり、公園に設営されていた明かりがすべて消え、真っ暗になりました。

「泳いでいいかしら」彼女は服を脱ぎ、裸のまま私の横を通り、ヨットの後ろから静かに海に入って行きました。もちろん私には彼女の裸体の輪郭しか見えません。

「あなたも来たら」と十メートルくらい先から声がします。

酔いも手伝って私も大胆になり、裸になり海に飛び込みました。水温は、アルコールで火照った体にちょうどいいくらいです。私たちはしばらく泳いだ後、ヨットに戻りました。私はヨットに右手をかけた時、彼女の体が私の前にありました。彼女は左手をヨットにかけ、私にキスをしました。私は左手で彼女の腰を抱きよせました。たった二度しか会ったことのない女性とこうしたことをしているのは不思議な感じでした。彼女の乳房の柔らかさを感じ、恍惚とした気分になりました。

翌朝私がベッドの中で目を覚ましたとき、隣に彼女はいませんでした。昨夜眠りに陥る前に、彼女より先に目を覚ますと決意していたのですが、寝過ごしてしまいました。彼女の気配はしません。いったどんな方法でこのヨットから消えることができるか、不思議です。

昨夜の彼女とのベッドでの行為を思い出しました。彼女は無駄肉の無い、しなやかな体をしていました。「何か運動をしている?」と聞くと「ダンスを踊っている」と彼女は答えました。私がそれ以上質問をしようとすると、質問を遮るつもりなのか、私の手を彼女の乳房に誘導しました。

私たちは長い時間、ベッドで交わりあっていました。互いが疲れ果てるまで。

もしかしたら私は彼女を愛するようになったのかもしれません。彼女は今どこにいて、何をしているのか、誰と話しているのか、私をどう思っているのか、知りたいと思いました。そして彼女にまた会いたいと思いました。

翌年の初夏、私は大学のヨット部の後輩たちにヨットを貸しました。彼らは強風の中、五島列島までの航海中、ヨットを岩礁に当て、船底を修理できないほど破損させてしまったのです。

私はヨットを失ったことよりも、今年の花火大会で彼女と会えないのでは、と案じました。私は彼女の住所も電話番号も知らないのですから、知らせようがありません。

花火大会の当日、私はマリーナの岸壁に座って彼女を待ちましたが、彼女は現れませんでした。対岸の海浜公園で花火が上がり始めても、彼女が姿を現すことはありませんでした。

彼女の携帯電話の番号を聞いていなかったことを何度も後悔し、もしかしたら二度と会えないのか、と思うとやりきれない気持ちになりました。

翌週末私は職場の同僚と博多の歓楽街中州で飲み歩いていました。私はこういう場所で飲むことが好きではありません。しかし彼女のことを考えると、飲まずにはいられない気分だったのです。

しこたま同僚と飲んで彼と別れた後、私はタクシーをつかまえるため、地下鉄の中州川端駅の方向へふらふらと歩いていました。

駅の側には、博多座があり、いつも演劇や歌舞伎や歌謡ショーがあっています。私は大きな看板を目にしました。華やかな舞台をバックに、真ん中には主役級の男女の顔写真が載っていて、舞台では多くの着飾った女性たちが入り乱れて踊っているシーンが背景になっています。

私は通りかかったタクシーに手を上げました。ドアが開き、乗り込もうとしたとき、何かが気になって、先ほどの看板に再び目が行きました。

私は運転手に「すみません、乗りません」と謝りました。運転手は舌打ちしてドアは閉め、走り去りました。

私は酔いがさめ、ずっとその場所に立ち尽くしていました。

翌日の日曜日の夜、私は博多座の前にいました。正面ではなく、左手の関係者の通用門になるところです。私の周りは多くの女性たちが花束を持って待っています。ドアが開き、出演者の女性が出てきました。周りの女性の一団から歓声があがり、群がっていきます。その女性は花束をもらいながら笑顔で応じています。そうして何人かの女性がもみくちゃにされては花束をもらい、車に乗ってどこかへ去って行きました。通用門のドアが開き、また同じような洗練された女性が出てきました。彼女は同じように花束をもらい、丁寧に挨拶をしています。黒塗りのリムジンが彼女の横で止まりました。そして彼女はその車に乗ろうとしたとき、道路の反対側にいた私と目が合ったのです。一瞬彼女は狼狽しました。私が目の前にいることに驚いたようです。しかし何事もなかったように車に乗り込みました。

彼女は宝塚歌劇団の男役のトップスターだったのです。看板の中央で、髪をリーゼントで固め、しゃれたスーツを着て、娘役の女性を抱きかかえている男役、それが彼女でした。

私は彼女がいなくなった博多座から天神の方へ、放心したように力なく歩きました。自分の気持ちをどう整理してよいのかわからず、ただ歩いていました。確かに彼女だった。間違いないと思う。しかし、なぜ彼女は私を無視したのか。やるせない気持ちがこみ上げてきました。

橋をわたってSビルの前を通ろうとしたとき、路地から「こんばんわ」と声がしました。すぐに彼女の声だとわかりました。暗がりの中に先ほど車に乗ったはずの彼女が佇んでいたのです。

「打ち上げのパーティーだったけど逃げてきちゃった」

彼女はちゃめっけたっぷりな表情で舌を出しました。

「あなたの家に行きましょう。誰かに見られると困るから」

その夜、彼女は私の家に泊まりました。

そして私たちの秘密の交際が始まりました。宝塚歌劇団では恋愛を公にすることはご法度で、そのことが噂にでもなり芸能誌が取り上げれば退団することになるでしょう。

それでも彼女は、毎月一度は私の家に来て2,3日泊まっていきました。

そうした付き合いが4年間続いた後、彼女から「明日母と会ってほしい」と電話がありました。彼女の両親は彼女が4歳の時離婚しました。母親は元宝塚歌劇団の団員で父親と結婚したため途中退団したのです。すぐに子供ができました。父親は不動産業を手広く営んでいましたが、友人の会社が銀行から借り入れする際保証人になり、その会社が倒産したため、自分の会社も巻き添えになり連鎖倒産したのです。巨額の負債のため、父親は行方不明になり、ある日、離婚届出書が送られてきました。その後、母親は苦労しながらも、娘にあらゆる芸事を習わせ、娘を宝塚歌劇団へ入団させました。母親は離婚後、宝塚を退団したことを後悔し、あんな男のために自分の夢を失ったことを悔しく思っていたのです。

そして娘は見事に宝塚歌劇団に入り、トップスターの地位へ登り詰めました。

そんな母親に洋子は、恋人ができたことを話せなかったのです。

私は母親のいる神戸の病院に着いた時、玄関には洋子が待っていました。そして母親が癌に侵され、もう長くないことを告げました。

私が病室に入った時、義母は眠っているようでしたが、私がベッドに近づくと、弱々しく目を開き、そしてじっと私の顔を見て「洋子をよろしくね」と言い、私の手を握りました。

その夜、義母は亡くなりました。

 

義母が亡くなってから3年の月日が流れました。その間に、洋子は宝塚歌劇団を退団し、私と結婚しました。そして翌年には娘が生まれました。

今夜、私たちは新しく買ったヨットにいます。そしてもうすぐ花火が打ちあがるはずです。

2歳の娘は眠そうにしていますが、何とか花火を見せるつもりです。

ヒュルヒュルと音がして花火が上がり始めました、ドーンと音がすると娘はびくっとして私の手を握りしめます。その後に、夜空に大輪の色鮮やかな光が映し出されると、目を丸くして見ています。

花火が夜空を照らすとき、初めて出会った夜を思い出しました。

まるで、「真夏の夜の夢」のなかの出来事のようで、いつまでも幸せでありますように、と祈りました。

謎であった、彼女がヨットからどのような方法で岸へ行けたか、ですが、早朝、漁に出る船にヨットに寄せてもらい、岸まで送ってもらったそうです。