エジプトの大使に質問をする機会に恵まれた時、私は
「あなたの国はジェンダーギャップ指数は135位であり、とても低いですが、この常態を問題と捉えていますか。もしそうならば(そうでなくても)、エジプトはどのような対策をしていますか」
という質問をした。
大使は
「わが国は議員の女性の数はとても多く、社会進出もこうこうこういうところでできていて、~~~、を達成しております」
という内容のことをあたかも外交用に用意したかのように(あくまで私の受けた印象ですが)言った。
まず質問の背景について説明すると、
エジプトはイスラム教国家である。
イスラム教の考え方では男女の「役割」の違いを尊重する。つまり、機会平等は保証されていない。
(と考えることができる)
そのような考えから男性と女性の「区別」*が行われ、西洋諸国が率いるグローバル化が顕著な国際社会から批判の対象になっている。
*ここで「区別」としたのはイスラム教的観念に沿おうという努力のもとであり、
「差別」というと批判的な意味が含まれるのを回避するため
日本では、一般的に女性差別は改善されようとする風潮にあり、まさにグローバル化の影響(新しい価値観、経済的余裕など)をもろに受けていると考えられる。
しかし、もとをただせば男女平等という(人間は平等に作られたという)考えはキリスト教的理念に基づいている。
キリスト教圏(もしくは基本的人権に賛同した法体系をもつ域)であればこの人間の平等性は、あたりまえのこととして受け止められ、よってフェミニズムの起源ともなったと考えられる。
先にも述べたように、エジプトはイスラム教国家であり、無論この考え方は彼らにとっては他人の考えに過ぎない。そもそも平等という考え方に賛同していないのである。
だから、西洋的価値観から見たイスラム世界は女性差別が痛ましく見えるが、ムスリムからしたら何の問題もないわけだ。
この一種のイデオロギーのズレが、ジェンダーギャップ指数などを西洋的価値観をもって計測した際に数値が低く出る要因である、と考えられる。
ここで初めの質問に戻ると、大使は非常にうまくこの問題を回避したことが見て取れる。
(外交的に腕が立つということを示してもいるのだけれども)
私は「この状態を問題と捉えているか」つまり、上記のイデオロギーのズレについてどう思うかを聞いたのである。
彼が大使という立場で明言する権限があったのかどうかは不明だが、あえてそこを避けて、
イデオロギーの問題とは離れた就職率や議席率(残念ながらあまり高いとは言えない)で覆い隠したとも言える。
女性差別に限った話ではない。
ここに現在の国際社会の「グローバル化」内部のねじれがあるのではないか。
価値観が共通していないのにSDGsのような「共通」のゴールを設定し、ずれが生じていることに気づいていながら(定かではないが)見かけの協和を彷徨い求める・・・
国連や、経済制裁などのの影響力が強大すぎるゆえに、自国のイデオロギーがグローバル化の津波に押し流されて、残ったさら地に西洋的観念を植えられるような現象が発生している、これからするのかもしれない。
(いまのところは防波堤は決壊していないと言える)
上記の言い方は少し誇張はしているものの、
ズレが活断層となり、大きな地震になって跳ね返ってくるのは時間の問題ではないだろうか、
ということが言いたいのである。
もちろん、私も投石によって母子を虐殺するようなものは「文化」などというきれいな言葉で黙認されていいものではない、とは思うので、全てが手放しになっていいわけではない。
落ち着いて考えてみれば、グローバル化や国連の活動全般でも、地域ごとや、宗教ごとのズレを無視して画一的に共通の目標を設定するのは無理な話である。
国内でも同じことがいえる。
人々が、社会の流れとして存在する現象を、その正当性を考慮しないまま、というよりかはそれが世界共通、全国共通に当たり前のものだと決めつけて考えるのは非常に大きなリスクをはらんでいる。
こういうと私が男性至上主義者であるかのように聞こえるかもしれないが、そうではない。
(逆差別的な”フェミニズム”には反対であるが、このトピックは別に設ける)
現時点でこれといった明確な結論はない。
しかし、今のままでは、違った文化や、考えの衝突はエスカレートするばかりではないだろうか。
