愛する事、愛される事 | フィリピン良いとこ、一度はおいで ~不良ジジイのフィリピン日記~

フィリピン良いとこ、一度はおいで ~不良ジジイのフィリピン日記~

フィリピンは住めば住むほど人生気楽になるよ、まずは僕の話を聞いてから一度遊びにいらっしゃい。

僕は年齢を重ねるに従って、愛の大切さを凄く実感するようになった。愛と言うと恋愛の様な事をすぐに思い浮かべると思うが、そんな軽いもんじゃないよ。僕は英語でMake Loveって言うのが如何も嫌なんだよね。特に米国の映画なんて見ていると‘おい、一発やろうぜ’って感じじゃない。なんだか下品だし不潔な様な気がしてさ。僕の言いたい愛と言うのは男女の恋愛、セックスなんて意味は全くないぜ。

僕は人間だけが物をしゃべる事で意思疎通が出来るとばかり思っていた、無論犬や猫は飼っていると、飼い主が言う事を理解するようになるし、愛情を注げばそれに十分応えてくれる、でもさ、是は感情が通じる事で有って、別段僕らの言っている言葉が通じている訳じゃないと思っていたんだ。動物は愛してあげれば、あげるほど、それに応えてくれるのは、ペットを飼っている人なら誰でも頷く事だと思う。

所で植物は如何なんだろう?気功の本を読んでいると、木は、僕らが信じられないほどの精気を出していると言う。ドイツの有名な‘黒い森’は、健康に良い精気を発生しているので、この森で健康のため、あるいは健康を取り戻すために「森林浴」をする人が数多く居ると言う。「森林浴」と言うのは森の中に入って、森の発生する精気を体内に取り込む事で健康を回復させる事なんだよね。数日間、あるいは数週間を森で過ごす事で健康が驚くほど改善すると言われている。

気功をされる人達は、公園や森に行って自分が最も強く精気を感じる大木を探して、そこで大木よりの精気を受けるそうだよ、どの大木が自分に良い精気を送って来るかが分かり、心の中で木と対話すると話していた。僕みたいな凡人、俗人は、このような境地には中々達しない、でもさ、森の中を歩くと心が洗われたような気がするだろう、知らない内に木々の清廉な気を受けているんだね、きっと。

もう半世紀も前の話しだが、僕には昨日の事の様に思いだされる事が有るんだ。朝日新聞の‘読者の欄’だった思うが、面白い記事を読んだ、それも時期は異なるが2度同じ様な記事を読んだんだ、この記事がとても印象的だったんで忘れられない。

一つ目の記事の内容は、こうだった。庭に古木の柿の木が有って、年々実をつける事が少なくなって行ったそうだ、庭の柿の木の下に立って、筆者の女性が‘最近はお前も老木に成って、ちっともおいしい柿の実をつけてくれないねー、そろそろお前も使い物に成らなくなりそうだ、来年実をつけなかったら切り倒すしかないよ’と此の老木に脅しを掛けたそうだ。次の年に成って、彼女がビックリしたのは、柿の木が折れそうになるほどに、たわわな実を付けた事だった。此の女性がしみじみと書いて居られた事を思い出す、‘柿の木、いや全ての植物は人間の言葉を解するのだ、何であんなむごいことを言って脅してしまったんだろう’と。そして、何度も何度も柿の木に、実をつけてくれた事のお礼と、是から末永く大事にして行く事を、木肌をさすりながら話したと綴っておられた。

まだティーンエイジだった僕は正直言って、‘まさかこんな事が起こるはずがないや’と思いながらも‘良い話だったな’と感じていたよ。

それから1年ぐらいたって、もう一つの投稿をみてびっくりした。是は庭に有る桜の古木の話だった、大変な古木で、朽ちて枯れるのもそう遠くないとみられていたそうだ。持ち主が此の古木の桜をさすりながら、‘もう一度、あの華やかな花見せておくれ’と何度も何度も話しかけていたんだ。次の年に、此の古木に一杯の小さな花の蕾が付いて、その年の桜の咲きぶりは未だかって見た事が無いほどのあでやかなものだったと述懐されていた。この方も植物が人間の言葉を分るのだ、いや人間の感情がそのまま直接伝わるのだと結ばれた。

僕は此の話にすっかり感激しちゃった、‘そうか、あらゆる生とし生ける物には感情とか波動が有って、お互いの気持ちを交換出来るんだ’って思った。この二つの記事で、僕は‘世界は神によって作られているんだ’って確信したよ。
僕は動物、植物どころか、世に有る全てのものには感情が有り、命が有るんだって信じ込んだ。鉱物にだってきっと感情が有るに違いないと思いこんだよ。だから山に行ったりすると、巨岩に向かって良く話しかけて居たもんだ。

断わっておくが、僕は宗教家でも、既成の宗教を信じるものでもないよ、むしろ僕は既存の宗教には全く興味が無いんだね。キリスト教、仏教、イスラム教の全てに興味が無いね。僕はヨガを30年以上やっている。ヨガは宗教じゃないが、ヨガのよい所は‘全て人間は、内なる神を持っている’と説く事だ、だから自分の中に内在する神の為に、自分自身を磨きあげて行こうとする、また自己の神を人に押し付けたりする事は全くしない、全て自分一人のものと言う自制の中に有るんだね。オット、申し訳ない、宗教の話なんか興味ないやね、話しを続けよう。

僕はこの二人の記事に感激して、是非とも試してみようと思った、僕がまだハイティーンの頃だぜ、多感な青春時代を送っていた、僕にとっても大切な思い出がいっぱい詰まった時代だったよ。

僕は友人二人と箱根に遊びに行ったんだ、そこで山百合の花を見つけてね、その花の球根を持ちかえった、今だったらこんな事をしたら怒られちゃうよね。
大事に球根を取っておいて、春に庭に植えたんだ、無論毎日大きな声で球根に水をあげながら話しかけたぜ。

所で、僕には山百合に対する猛烈な思い入れが有るんだよね。小学校の時にクラスに百合子ちゃんと言う、とびっきり可愛い同級生がいた、僕達やんちゃ坊主の憧れのマドンナだよ。その子は成績もクラスで群を抜いていたな。僕はその子に憧れて、憧れていた。絶対忘れないのが漢字の試験の時だった、僕は勉強嫌いだったんで、皆目わからない、四苦八苦していた時に、僕の隣にいたのがマドンナの百合子ちゃんだ、ふっと彼女を見るとにっこり笑って、辺りを見回してから、そっと答案用紙を見せてくれた。今で言うカンニングだよ。是で僕は無事に、高得点を取れたんだな。

その時以来、彼女が僕に気が有るんだと舞い上がっちゃった、良い思い出だよな。デモその彼女は暫くして引っ越して行っちゃった、茫然自失だったね、そして僕のせつない初恋が破れた瞬間だったな。でもさ、この為に百合の花は、生涯僕にとってかけがえのない花になった次第だ。花は何でも好きだが、百合が出てきたら、もう他の花には目がいかないくらいの思いこみは今でもあるよ。

やれやれ、初恋の話なんかするつもりはなかったのに、百合の花で過去にすっ飛んじゃったよ。

僕の植えた百合の花だが、やがて芽を出してきた、僕は勇気百倍で、それから毎日毎日‘愛している、愛している’って声を出して言い続けたよ、やがて大きくなり蕾をつけだした、それから見事に咲きだしたが、信じられないほど長い間、次から次へと新しい蕾をつけながら清楚な花を咲かせて僕を楽しませてくれた。10数個以上の花を僕に与えてくれたよ、僕はその時に、以前読んだ記事が本当に正しいと確信した。

僕は凄く感激したので、この百合の写真を沢山取って大事にしていた。ここに掲載した写真は50年以上も前の僕と百合だぜ、如何だい、この可憐な百合、それに僕まで輝いちゃっていない? そうだ、僕の事はどうでも良かったね。


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僕はその時に納得したんだ、そうなんだ、此の世に有るものは、全て感情が通じるんだって事に気がつかされたんだ、それは、僕にとっては、人生を大きく変えるような出来事だった。それ以来どんな植物でも花でも声を掛けてやろうと本気で思った。それまでは大木をバットで殴ったりしていたが、物を言わない木々にどんなに苦痛を与えて居たのかと思う様にも成ったし、自分がやって来た事でとても胸が痛んだ。

僕が、愛と言う言葉の意味そして重みをしっかり自覚したのがその時だね。愛と言うとなんだか男女関係の事ばかり考えていたが、自分が途方もない勘違いを冒していた事に目が覚めたよ。愛すると言うのは、大事にすることも一つの意味なんだが、その他に数えきれないほどの深い意味が有るんだね。

僕はユリの球根を植えて、‘愛しているよ’と毎日水をやりながら球根に話しかけた、百合の球根は芽を出し、成長して、僕には信じられないほどの沢山の花を咲かせて、僕の愛に応えてくれた。「愛する事」に対して「愛された事」の回答を僕にくれたんだ。

僕は日本に娘がいる、僕が何よりも大事にしたのが娘だった、もう信じられないほどに大切だったのが娘だった。その娘はもう40歳をすぎている、僕が一時帰国すると、何が有っても僕に会いに来てくれる。特に何か話しが有る訳でもなく、よもやま話をして別れるだけだが、彼女は帰り際に、‘パパ、楽しい毎日を送りながら、長生きしてね、それだけが私の望みだから’と言ってくれるのだ。娘のこの言葉を聞く度に‘僕はなんて娘に愛されているんだろう’と感激に浸ってしまう。

僕はフィリピンに二人の息子がいる、下の息子は僕が帰宅するといつも駆け寄って来て、僕が窒息しそうな位に強く抱きしめてくれる、‘Daddy I love you.’の息子の言葉で、僕は最高の幸せを感じるんだ。人間が幸せって言うのは、こう言う事なんだ、としみじみ思うようになったよ。僕は息子に、少し迷惑そうな顔を見せているが、実は嬉しくて有頂天に成っている自分が良く分かる。

歳を重ねるごとに、僕は人生で「愛する事、愛を与える事」がどんなに大事なのかが、理解できるようになった、そして「愛される事、愛して頂ける事」が僕の人生にとっていかに大きな力に成っているかが分った。

僕らがお互いに理解して、愛する事が出来れば、世の中の殆どの困難は解決する事は明白だ。

‘愛が世界を救う’って言う呼びかけが有ったっけ、あれは真実だね。



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