昨年、ひめゆりの塔に訪れた時のお話です。


"沖縄でできた時間に。

戦争当時のお話を描いた絵本作品を出されている、

沖縄のちかさんが連れていってくれると
いってくださり、ありがたく甘えました✨


歴史もあり、沖縄の聖地や、慰霊の場所は、

ひそかな肚ぐくりがいる感じで、実は少し緊張して向かいました。


ちかさんと、旦那さんが迎えてくれ

踏み入れた『ひめゆり』の地は、

あたたかささえ感じるくらい、

優しく明るく感じました。


この場でいまの自分にできることは、
ただ心をそえて祈るだけしかありませんでした。

言葉にはならない、それぞれの、
たくさんの想いを。

肌身をとおして伝えられた気がしました。



ひめゆりの塔のそばにある

『ひめゆり平和祈念資料館』


ひめゆり学徒の生き残り、

御年齢80〜90というお二人に

お話を聞く機会に恵まれました。


ここは、ひめゆり学徒の同窓生で

生き残った方々が、亡くなった

友達への想い、後世に伝えるため

に力をあわせ、開館に至ったそう。



その建物は、当時みんなで暮らすように寄宿していた、
懐かしい学校の門構えを再現しています。


本当にあったことを事実そのままに伝えるため、

大変ながら、県や国の力を借りずに作られたそうです。


『ただ、真実を伝えたい』と。


けれどそのお話に恨み節のようなものは無く、

時には笑いさえ混じりながら。


それでも、唯一の一般市民を巻き込んだ本土戦、

沖縄県民の4人に1人が命を失った沖縄戦の実態は

耳で聞く以上の壮絶さであったろうと思いました。


ある時、お父さんがアメリカ人というハーフの女の子が見学に来たそうです。


ひととおり見学した後、引き返してきて一言ききました。


『アメリカ兵は悪い、憎いですか?』と。

彼女は、幼少期アメリカで育ち、

途中から沖縄に来て、さまざまな

目線や言葉に悩んでいたと。


『アメリカの人が悪いんじゃないのよ。

あなたのお父さんや兵隊さん、

個人が悪いんじゃないのよ。』


その場に生きた方に、直接この言葉をかけてもらえた彼女は

どれほど心慰められただろうと思います。


その場に生きた方の言葉には、

なんの偏りも力みもありませんでした。


解釈ではないその方の真実。

正誤の解釈を超えた、生の言葉を

今、受け取れる最後のタイミングかもしれません。


体力的にも、講演の受付も終了するようです。


広島の原爆ドームも、被曝の姿を現した人形が撤去の動きが。


悲惨だと目を伏せる前に、それは現実にあったことで。


過去のどれほど悲惨な事実を学んでも、

実際にそれが身にかかることとは次元が違う。


二度と同じ轍を踏まぬよう、

苦い歴史も目を伏せず、できる限り

誠の言葉、想いを受け取らなければと思いました。



これ以上ないタイミングで、
ご案内くださったちかさん、
ほんとうにありがとうございました✨✨