私は苦手 派!
これを『苦手』というと、7~8割からは『そんな風に見えない』と返ってくる。
だけれども、それは自分が被ったネコのなせる業で、本質的には苦手――それも『とても』『非常に』という言葉を前につけたくなるくらい、苦手だ。
ただ、これを苦手なままにしておけないのが、小さな子どもがいる時期の母親であるように思う。
(社会人となれば、苦手では困るような気もするけれど、どこの会社にも一人二人は『付き合いが悪い』と言われる人がいたので、仕事に支障が出なければ、まあ許容範囲なのではないかと)
もちろん、ある程度の年ともなれば、子供は子供で小さな社会を作ってゆく。
そこには親は、余程のことがなければ介入したりはしないし、また介入するものでもないと思っている。
けれど、もっともっと小さな時。
乳児期幼児期には、やはり母親同士の付き合いというのは(特に、保育園に入るでもなければ)結構比重が大きいように思うし、子育てに詰まった時、病気や成長で不安要素があった時など、相談できる人が夫や親族だけ――というのは、なかなか心許ない。
公園や児童館等に何度も連れて行けば、少なからず顔見知りはできてくる。
そこで、全く付き合わないでもいられるけれど、挨拶や雑談だけの付き合いでも、していればしているなりに、子供の遊び相手が出来たりする。
少なくとも入園前の子供は、母親同士の付き合い=子供同士の付き合い、なところも多い。
そしてそれは、人付き合いを避けることから生まれるものよりも、得るものが大きいことがある。
(もちろん逆も然り……だが、これは会社でも学校でも何でも同じだろうと思う)
幼稚園、小学校と進めば、今度はPTAなどの役員活動に参加する機会が出てくる。
こちらも、人付き合いは苦手だからと、逃げていられれば楽なものだが、なかなか現実はそういかない。
中学に至っては、保護者会で募ったのでは欠席されて逃げられるからと、入学式の日に役員決めをする学校もある(少なくとも近隣中学はそう。決まったクラスから、集合写真撮影らしい……)ようだ。
小学校も、高学年(特に六年生)の役員はなり手がいなく、最終的に未経験者をアンケートで洗い出し、その中であみだくじで強制的に決める、などを耳にした。
確かに面倒ごとも多いし、役員活動は単なる友人付き合いとも違うから、出来れば引受けたくもない。
しかし、引き受けて苦手なりにも一年を過ごせば、これだってきっとそれなりに得るものもある。
人の住む社会で、人として暮らしてゆく限り。
苦手――だけれども、苦手だからと避けてばかりもいられないモノ。
そして、苦手でもそれなりに付き合っていれば、それなりの得るものがあるモノ。
それが、私の『人付き合い』に対するイメージ。
だから今もって得意とはいいがたい、けれど逃げないで自分なりに向き合って付き合っている。