……ああ、またあの夢だ……。


 己の手にこびりついているものが何なのか、久弥には既に分かっていた。
 異様な程の粘り気を帯び、腐臭を放つそれは人の血だ。
 乾いた物が、時折ぱらぱらと剥がれ落ちる。


 自分は間違いなく眠っている筈である。
 にも関わらず、意識の一部分がひどく明瞭である──誠に不思議な感覚だった。


 ……笹塚が、自分を起こしてはくれないだろうか。


 此処は厭だ。
 この場所にいると、己は惑わされてしまう。


 暗闇の中を彷徨う久弥の隣では、笹塚が安らかな寝息を立てていた。
 昨晩は、夜中うなされていた久弥に付き合って、殆ど一睡もしていなかったのだ。
 そこまで自分を案じてくれる友の眠りを、覚ましたくはなかった。


 ──しかし、悪夢は容赦なく繰り返す。
 気でも触れろと云わんばかりに、一つたりとて違わぬ場面を執拗に。


 もう少し……もう少しすると奴が来る。
 何処からともなく、久弥に向かって転がってくる生首。
 いっそ喜劇のようだ──彼はふと思った。


 久弥の意志とは無関係に、夢は刻々と、幕に向かって進み続ける。
 定められた役を演じるように、久弥は機械的な仕草で、爪先に当たって止まったそれを拾い上げた。
 そこまではいつもと変わりない──そうしてここで、夢は途切れる筈だった。


 なのに……。


 目が合ったのだ──虚ろな眸と。
 そしてそれは見覚えのある人物……すなわち初子の夫、狩野圭一郎のなれの果てであった。


 生前の面影もない、とろりと濁った眼差しに見つめられ、恐怖のあまり、久弥は極限まで双眸を見開いた。
 反射的にがばりと飛び起き、荒く息をついても、一度恐慌状態に陥った精神状態は、そう簡単には戻らない。


 ──もはや現実か夢かの違いなど、どうでもよかった。


 笹塚の存在など、とうに頭から消えている。
 ただ一刻も早くこの場所から逃げたかった。
 着の身着のまま、久弥が部屋を抜け出たことに、笹塚が気付いたのはそれから凡そ三十分後であった。