「狩野さんのご遺体、まだ全部見つからないんだって?」


 研究棟からの戻り道、そう前置きもなく声をかけられ、久弥は怪訝な顔で振り返った。
 そこにあるのは見慣れた同僚の姿。
 笹塚慎平(ささづか・しんぺい)は、相変わらずの飄々とした顔であっけらかんと云った。


「俺の思うところ、奴さん、息を引き取ったところを、熊にでも襲われたんじゃないか」
「笹塚君、滅多なことを云うものじゃないよ」


 久弥は慌てて相手の言動を窘めた。
 こんな処では何処で誰が聞いているかも分からない。


 この友人は、こざっぱりとした外見同様、竹を割ったような性格で付き合いやすいのだが、時たまこうして場所柄も弁えず軽口を叩くのが玉に瑕だ。


「相変わらず気配りの人だなあ、君は」


 常に人の目を気にかける、久弥のこうしたところを見て、笹塚はよく笑う。


「しかし君みたいに、そうのべつまくなし周囲に気を遣っていては、生きてゆくのが厭になったりはしないかい」
「残念ながら、そこまで繊細には出来ていないようでね」
「それはお気の毒に」


 肩をすくめた久弥にはまた快活に笑い。


「……それはそうと」


 笹塚が、急に声を落とした。
 

 この男がこうするところを見ると、あまりいい内容ではないらしい。
 場所を変えよう──と、久弥はさりげなく目配せを送った。




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