うなじに一筋、ほつれた髪が流れている。
 久弥(ひさや)はそれを、痛ましげに見遣った。


 平生ならば、その豊かで艶のある黒髪は、彼女の心の在りようと同じく、一分の隙もなくきっちりと結い上げられている。しかし今、喪服に身を固めた久弥の幼馴染み──狩野初子(かのう・はつこ)は、明らかに目に見えて疲れていた。

 それを気にかける者も、彼以外にはいない。


 弔問客もないに等しい、ひっそりと寂しい葬儀であった。

 故人は天涯孤独の身の上であったし、また初子もふた親を早くに亡くし、儀礼的に引き取った後見人の元で成人までを過ごしたので、遺族自体がないに等しい。

 年々口数も減っている、小さな里の中からですら、訪れる者が殆どないほど、二人の交際範囲が狭かったことを久弥はその日初めて知った。


 暮れゆく空を、ぼんやりと眺める初子の頬に涙の跡はない。


 けれど久弥には、それが彼女の自制によって為せる技なのだと分かっていた。
 ──他人の前では気丈に振る舞う彼女が、一人になった時に泣くことも。


「こんな時は、何と云えばいいのだろうね」
「……久弥さん」


 哀しみに潤んだ眸を向けられて、久弥は柄にもなく狼狽えた。
 こんな時ですら、やはり彼女は美しい。
 不謹慎なことを思いつつ、つい目を奪われてしまう。


「あの人、私を助けて下さったの。それで……」
「それ以上はいいよ、大体は伺っているから」
「そう」


 初子はほう、と息をついた。


「……どうしてあの時、手を離してしまったのでしょう」


 呟きは、久弥に向けられたものではなかった。

 抑揚のないその声音が、彼女の哀しみの深さを久弥に思わせる。


「私一人が残されて、どうして倖せだと思えるでしょう」
「大事にしているからこそ連れてはいけなかったんじゃないか。圭一郎(けいいちろう)はそういう奴だろう」
「……分かっているわ」


 けれど久弥さん──初子の目が、まっすぐに久弥をとらえた。


「私には、あの人が必要なの」
「初ちゃん……」


 この時ほど、久弥が自分の立場を恨めしく思ったことはなかった。


 分かりきっていた。
 彼女にとって自分は兄妹と同じなのだ。
 初めから、初子の視界に自分の存在など入っていないのだと──。


 そしてそのことをどんなに歯痒く思おうとも、人の不幸につけ込むようなことは久弥には出来なかった。


「後追いしようだなんて、考えてはいないだろうね」
「……」
「それだけは駄目だよ。圭一郎が哀しむ」


 それに僕だって──とは続けられなかった。
 初子はこくりと素直に肯く。


「……ええ」


 短い秋の日が暮れようとしていた──。




*** 時紡ぎ-弐 へ***