ぱらぱらと降りだした雨は、瞬く間に大粒のそれと変わり、周囲は一気に、雨風を避けて休める処を目指して移動し始めた。
「あ……」
話すことも見つからないまま、目の前を行く友成の背中を眺めながら、とぼとぼと歩いていた結は、不意に先程まで傍にいた菜穂の姿がないことに気がついた。
「どうした?」
結の声に、友成が怪訝そうに振り返る。
「菜穂と、はぐれちゃった」
どうしよう。
そう彼に問いかけた結は、当然『捜しに行こう』もしくは『この場で少し待っていよう』的な台詞が、相手から返ってくるものだと思っていた。
けれどその時、何故か珍しく冷たい口調で、友成は彼女をあしらった。
「あっちだって二人連れだろ。はぐれたって大したことはないよ」
「でも――」
「お前が気にしたって仕方がないだろ、それより」
(仕方ないって、何よ)
はぐれたのは友人だというのに、あまりに素っ気ない友成の言い草に、結は顔をしかめた。
「そういう言い方ってないんじゃ」
ない――と、思わず口にしかけた文句が、友成の言葉と重なった。
「ああいう状況で、ああいうこと言うの、止せよ」
「……ああいうこと?」
平生とは打って変わった、ごく真面目な表情の彼に対して、結は内心動揺しつつも、あくまで平成を装って聞き返した。そんな結に、今度は友成が眉をひそめる。
「そういう空っとぼけた態度も止せよ」
にこりともせずに告げた友成は、本当に怒っているようだった。
「全く柴垣の気持ち、考えていなかっただろ」
「菜穂の気持ち?」
そんなの、私が考えてないわけないじゃない!
友成がやれやれと首を振る。
「友情か恋愛か、なんて選択を彼女にさせるなよ――って、俺は言ってるだけ」
自分の態度分かってないだろ、お前。
まるで、お前は自分のことしか考えてないのだと、言わんばかりの友成の口ぶりに、結は思わず激昂した。
「それじゃ言わせてもらうけど、友成に……あんたに一体私の何が分かるってのよ!」
「分からないね」
「なっ――」
思わず熱くなりかけた結を、逆に冷静な目で眺めながら、友成は言った。
「だって俺、お前じゃないもん」
「そりゃ、私は私だけど」
「そしてお前は、柴垣じゃない」
しん、とした中に友成の声が響く。
いつの間にか、雨は通りすぎてしまっていた。
「始終べったりしているだけが友情じゃないだろ。少なくとも柴垣は、お前だけに頼る以外の道を探して、そしてそれを自分で見つけたんだ」
「……別に、今までどおりだってよかったのに」
「それで?新しい何かなんて拒絶して、互いだけを相手にして、ひたすら自己満足の世界に浸ってればそれでいいって?」
俯いた姿勢でぼそりと呟いた結に向かって、友成がきつい言葉を放つ。
「少なくとも、柴垣は今のままじゃいけないって、思ったんじゃないのか?」
――お前はそういうことを考えたことなかったのか。
問いかけてくる彼は、長年見てきた幼馴染みの友成ではなく、結の知らない、大人びた顔をしていた。
(……みんな変わっていく)
自分だけが取り残されていくような感覚に襲われ、無意識のうちに結は小さく震えていた。
「どうした、寒いのか?」
「……わね」
「へ?」
「うるさいわねっって言ったのよ。あんたにそんな説教される筋合いなんて、これっぽっちもないんだから!」
吐き捨てるように、言ってその場を走り去る。
走って走って――自分の今の格好も、息が上がりきっているのも忘れて、まるで何かから逃げるように走り続けた結は、不意にその場へうずくまった。
「痛っ……」
浴衣に下駄という慣れない姿で走った為、結の足には見事な鼻緒ずれが出来てしまっていた。
「……どれもこれも、みんな友成の所為よ」
責任転嫁にしても無理のある言葉だと、呟いた結にも重々分かってはいた。
けれど、そう言わずにはいられない心境だったのだ。
(どれだけ変わったって、同じじゃない)
いつかは離れてゆくことも分かっていた。
それでも。
自分がずっと、彼女の一番でありたかった。
(私がもっと女らしい外見と性格だったら)
そうしたら、また多少何かが違っていたのだろうか。
菜穂の少女らしさに憧れることもなく。
同性から頼られる存在でもなく。
自分が誰かに頼る側に回っていたということも――また有り得たのだろうか?
「いっそ……」
片時も離れることを惜しむような、その感覚は恋に似ていた。
かけがえのない、誰よりも何よりも大切な、たった一人の存在。
もし相手がそれを望むなら、全てを捨てて駆け寄っても、後悔はなかったに違いない。
「いっそ、ホントに男だったらよかったのに……」
そうしたら、もっと傍にいられた?
いつまでも隣で笑っていられた?
彼女にとって、ずっと必要な誰かであることが出来た?
「どうして私は女なんだろ……」
呟くと同時に、一滴の涙が頬を伝った。
*** 雨上がりの空-7 へ***