『――どうしたの?』
その日の夜半過ぎ。
恐る恐るかけた電話口から聞こえてくる、数週間ぶりに耳にした菜穂の声は、休み前と全く変わってはいなかった。
『久しぶりね、そっちは頑張ってる?』
「ん、まぁそこそこ……」
一旦話しだすと、それまでの空白が嘘のように感じられる程で、何を杞憂していたのだろうと思う。
それほどに自然な雰囲気で、会話は弾んでいた。
「夏バテとか、してない?」
『大丈夫、一応気をつけてるから』
「この時間ならもう寝てるかな、とも思ったんだけど……やっぱり起きてたね」
『流石にね。もう少し経ったら、朝型に切り替えようとは思っているんだけど、今はまだ』
「そっか」
柔らかく耳に残るトーンの声が、心地よい。
(やっぱり菜穂と話してるのって、好きだな)
ベッドの上。
膝を抱えるようにして、脇にある壁にもたれかかる。
そうして目を閉じ、彼女から紡ぎだされる台詞の一つ一つに、結は耳を澄ませていた。
真夜中の、しんとした部屋の中に自分の声だけが響く。
最近観たドラマの話題、読んだ本の話……。
時間帯を気にしてか、互いにひそやかな声でする会話は、まるで幼い頃にした内緒話のようで、胸にある種のくすぐったさを呼び起こさせる。
話しながら、結は改めて自分の中における、菜穂という存在の特別さを感じていた。
「菜穂は、予備校の方はどう?」
それは、自分と一緒にいない時の相手への興味と、予備校という特殊な場所への好奇心から出た、何気ない問いかけのつもりだった。
しかし。
(――菜穂?)
何かを躊躇うように一拍おいた、菜穂の声のトーンが僅かに変わった。
強いていうなら、はにかむような。
『うん、同じクラスに……』
いつも隣の席に座る少年がいる――そう話し始めた菜穂の声音が、やけに弾んでいるように感じられ、結は思わず首を傾げた。
(男の子なんて、苦手だっていつも言ってたのに)
(同じクラスの男子とですら、友成以外はまともに口もきいたことがなかった菜穂なのに)
己の関与しないところで、何かが確実に変わっていっている。
見も知らぬ誰かのことばかりを、楽しそうに嬉しそうに話す菜穂に対して、何故か意味もなく苛立つ自分を、結は感じていた……。
*** 雨上がりの空-5 へ***