幼稚園への送り迎え時は、いつもドタバタだ。
忘れ物はしていないか、に始まって、ベビーカーに乗るの乗らないので下の子と一悶着し、ダンゴムシや犬猫、はてはショベルカーや路線バス、ゴミ収集車にまでつかまる子供たちを、急かしながら幼稚園まで歩く。
30分も早く出れば、のんびり歩いて行けるような気もするのだが、それはそれで朝ご飯を急かすことになり、結局は「時間なくなっちゃうよ!」「早くして!」の言葉が、幼稚園に到着するまで私によって連呼される。
ごくたまに、きょうはどうしたのと聞き返すほど早くに食べ終わり、お支度もスムーズに済んでしまい、ゆとりをもって出かけることが出来た日。
子供たちは、思い思いに好きなものを眺め、あちこちに気を向けながらのんびりと歩く。
私はその隣を、急ぐ自転車や、足腰の不自由な人たちに、子供たちが迷惑をかけることのないようにだけ、意識を向けながら歩く。
無事幼稚園に上の子を送り届けてから、予定が特にない時。
今度は、下の子が歩く方向に向かってあてどもなくフラフラとついていってみる。
上の子以上に、何もかもが珍しいものと映っているのだろう、二歳児の瞳は何を見てもキラキラと輝いている。
その隣で、拙い言葉の一つ一つに耳を傾けながら、同じものを見ていると、行きとは全く違った光景が、自分の瞳にも映る。
橋の欄干を固定するボルト。
街路樹の――名前は知らないが――ハート型の葉っぱ。
光の反射によってきらめく水面。
形や色の変わった雲。
よそのお宅のベランダに止まった、二羽のムクドリ。
ショベルカーのさまざまな動き。
時計を意識しない子供の視点は、ありとあらゆるものに向けられ、そのどれもが輝いている。
幼少時に培った感受性やひらめきは、大人になってからも、心の中の大切な宝物となる。
急がなかったからといって、時間は逃げていくわけでも、なくなってしまう訳でもない。
時には急ぐことをスッパリと忘れ、共にその宝物を増やしてゆきたいと思う。