どうやって出てきたのかも分からない。

 ただもう闇雲に飛び出して、気づいた時には一人、ふらふらとお宮へと続く道を歩いていた。


 昨晩の祭りでは騒がしかっただろう周囲も、今日は嘘のようにしんと静まり返っている。

 見上げると、木々の合間から見え隠れする空に、月がぽっかりと浮かんでいた。

 仄白い光をぼうっと見つめていると、ざわついていた心も徐々に静まっていく気がする。

 そんな彬文の気持ちに合わせるように、竹薮がさやさやと揺れた。


 ……何も云わずに出てきてしまった。


 勝手口から裏木戸を使ったので、己の失踪――というのは大袈裟に過ぎるが――を家人が気に留めたかどうかまでは、彬文には見当がつかなかった。

 けれど、ここまで辿りつくには、大の大人が普通に歩いても二十分は下らない。

 そんなに長いこと、いなくなった彼に誰も気づかない……などということは、あの家に限っては有り得なかった。


 戻るべきなのは重々承知している。

 預かった甥が黙って行方をくらまし、その上でもし何かあったりしたら、伯母たちだって面目が立たないだろう。

 分かっているのに、彬文はどうしても素直に戻る気にはなれなかった。


 行く処もない。

 さりとて帰ることも出来ない。

 途方に暮れかけたその時。

 がさり、と大きな音を立てて、何かが藪の中から顔を出した。


「おい」


 とっさに頭を抱え、身を丸くした彬文の頭上に、聞き覚えのある笑いを含んだ声が降ってきた。


「そんなに驚いてくれなくたって。この辺には熊なんか出やしないけど」

「……操生」


 彼は、自分が立ち聞いていたことに気がついていただろうか。


「こんな処にいたのか。探したんだぜ」


 云って、操生は片眉を軽く上げた。

 そこに、先程の取り乱した影は露ほどもない。


「近道するのに藪の中を突っ切ったから、草まみれになったり、蚊に食われたり、酷い目にあったよ」


 服についた汚れをはたき落とすと、操生はにやりと笑んだ。

 彬文は、狼狽を少しでも押し隠そうと、努めて平然とした様を装った。


「僕が何処にいようが、操生には関係ないだろう」

「憎まれ口だけは一丁前だね」


 平生なら、まず間違いなく噛みついているだろう操生の軽口を、彬文は曖昧な微笑いで受け流した。

 何も、鷹揚に構えるふりをしたわけではない。

 透きとおるほど白い肌の上に、微かに残る涙の跡を見てしまったから――。


 自分に注がれる、彬文の視線に気づいたのだろう。

 操生は、珍しくはにかむような笑みを浮かべると、お宮の方へと向かいだした。

 驚いたのは彬文だ。


「……ねえ、それじゃあ反対だろう。僕を連れ帰りに来たんじゃなかったの」


 答えはない。

 含みのある眼差しを一度向けてきたきり、操生は背後を確かめもせず、どんどん先へと進んでゆく。

 彬文が自分についてくることを、疑ってもいないとしか思えない。


 戸惑いはあったものの、夜目もきかぬほど暗い中に、一人取り残されるのは彬文とて御免だったから、先を行く従兄の後を素直に追いかけた。


 こんな夜中に、一体何処へ行こうというのか。

 そのまましばらく歩いた操生は、林の手前で取り残されるようにぽつんと建てられた、灯火の下で足を止めた。

 振り返りざま、心もち首を傾げてやんわりと笑む。

 ほんのり謎めいた微笑。


「彬文は、覚えてる」


 前触れもなく投げかけられた台詞の、指しているものに見当がつかず、彬文は問い返す。


「何を」

「昔、一緒に肝試しをしたことがあったろう」

「……」


 だしぬけに思い出話を始めた操生を前に、彬文は訝しげに目を細めた。

 見返す従兄の双眸は、闇の色が映りどこまでも深い。


 操生が云っているのは、多分あの時のことだ。

 ――思い当たる節は一つだけあった。




*** 第四章-幻影_3 へ続く***