今年は色々な災害が続いて、つくづく
人や文化も自然の一部に過ぎないんだな、と
自然への畏怖と共に実感するこの夏でした
マリーナ アブラモヴィッチ「パフォーマンスアート
の祖母」と称される前衛パフォーマー
自分の肉体を使った超過激なパフォーマンスで
いつも肉体の限界に挑んでる方
かなり過激…興味ある方は見てみー痛いぞ😅
ガガ様が崇拝していてコラボも…
痛みや恐れを感じ切る、入り込むことで
それらを「芸術に昇華する」事に挑戦し続ける人
この存在感と強さは、恐れと真っ向勝負した者の
勝利者賞なのだろうかね
さて、この方はかつて、公私をともにする
ウーライというイケメンのパートナーがいまして
ある時期二人の愛による作品を発表してたんだけど
二人の最後の作品が、これまたぶっ飛んでる
1988年万里の長城の両サイドに分かれ
数千キロ3ヶ月かけて歩き、二人が出会った地点で
別れを告げるというもの
以来、二人は再会することはなく、月日は流れ
2010年MOMAでのパフォーマンスへと...
中庭にテーブルを挟んで2つの椅子が用意され
マリーナは1日8時間片方の椅子に座り続ける
片側の椅子には代わる代わる誰かが座り
マリーナは一切言葉を発することはなく
相手に触れる事も、身動き一つしないで見つめる
向かい側に座った人は居たいだけ、座っていい
マリーナは相手の目をただ見つめ続ける
すると座った人はそこで何かを体験する
アリーナの圧倒的な存在感に涙を流す人もいたり
そうしたパフォーマンスは67日間毎日続く
(体もココロもマッチョだなぁ)
期間中は途切れる事なく人々がならんで
数々の有名人もいて、ビョークなんかいたそうな
さて本題
ある日、いつものように一旦、目を閉じて
再び目を開けるマリーナ
その椅子に座ったのは誰あろう、ウーライ...
マリーナの表情の変化にご注目
「見つめるだけ」のルールを破って
思わず手を差し出すマリーナ
笑顔で手を握り合う二人
愛がルールを超える瞬間
ウーライは一言二言言葉をかける
立ち去ってゆくウーライ
(ウーライ年とったけどイケメン…)
二人が万里の長城で別れてからの年月
この再会も自然の中の一部として
物事は起きる、ただ起きる
自然の流れとして起きる
さてさて、後日談があって
2015年ウーライがマリーナを訴えまーす(笑)
共同制作した作品に自分の名前のクレジットがない
という訴え
裁判所はマリーナに25ドルの支払いを命じます
…ね
物事はただ起きる(笑)
これもまた自然の中の一部として、よね
どんな事も、それ自体に、良い悪いなんてなくて
でも私達は自分の好みのベールかける
無味無臭の食材に少し味つけして
食べやすくしたり、楽しむために
ベールをかけて、それぞれが見たいように見る
そうして私達はこの世を楽しんだり
嘆いたりして人生を体験する
そこには、ただ体験だけがある
ある瞬間を切り取って
良い悪い、幸だ不幸だ、敵だ味方だと
判断する無意味さ
一皮むいた中には「ただ起きる」がある
あれ〜?
っと、気づいて
ベールをはずして、ただ見てみる
or
ベール越しに見たいように夢を見る
こうした二極化が静かに流行中〜