「キャンディ・キャンディ」のアルバートさん
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キャンディ・キャンディ異論

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代表的な少女漫画のひとつに数えられる「キャンディ・キャンディ」ですが、掲載誌『なかよし』が創刊以来ずっと、小学校の高学年から中学生までを読者対象としていることを考慮すると、じつは「キャンディ・キャンディ」という漫画は、かなり型破りな作品だったと言えるのではないでしょうか。

典型的な少女漫画なら、最終的に ヒロインの恋が成就すること、これが不可欠です。
もしくはシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」のように、ふたりの死をもって完結です。
ほんらいローティーン対象の少女漫画は、ハッピーエンドだろうと、アンハッピーな結末だろうと、幕切れのスッキリ感を伴った予定調和が約束されているはずです。
ところが「キャンディ・キャンディ」には、その予定調和が存在しません。

全編を通して謎とされていた「ウィリアム大おじ様」と「丘の上の王子様」 の正体が明かされ、しかもキャンディの初恋の人であったという、あたかもハッピーエンドのような体裁を取りながら、読後に「割り切れなさ」が残ります。
この割り切れなさは、どこに起因するのでしょうか。

ヒロインのキャンディの年齢は、物語終了時、15歳から16歳であったと思われます。
恋を失って故郷へ帰るというラストからは、《胎内回帰》といった少女にそぐわない「うしろ向き」な印象も受けてしまうのです。
もっとも看護婦という生き甲斐を見つけての帰郷には前向きと取れる面はあるのですが、本編をとおして描かれた劇的な人生に対し、その後にキャンディが送るであろう孤児院での生活は、あまりに穏やかすぎて、人生の終焉・余生的な虚しささえ感じてしまいます。
キャンディの将来の姿は(おそらく独身の)ポニー先生、レイン先生と重なるので、まだ少女のキャンディが恋を失ったまま、孤児たちの「お母さん」として残りの人生を送るのだろうという締めくくりは、少女漫画のヒロインとしては哀愁を感じさせる、と言えば、言いすぎでしょうか。

キャンディを取りまく少年たちにしても、アンソニーとステアは若くして死に、テリィは熱愛していたキャンディと別れます。
俳優という夢は残されたのですが、キャンディへの想いを抱いたまま、片足を失った少女スザナの人生を一生背負うことになります。
まだ10代の少年が、です。
もちろんスザナは、テリィを心から愛する素敵な女性にちがいないけれど、キャンディとの激しい恋愛劇を見せられたあとでは、納得できない結末です。
キャンディとテリィは「生きていれば、きっと会える」という関係から「生きていたって会えない」関係に至るわけで、このあたりの描写も子ども向けということを考えると異色ですね。

アーチーにしても、幼馴染のアンソニーを失い、兄ステアを失い、そしてキャンディにも失恋し、一途に想ってくれていたアニーを受け入れることになるのですが、キャンディを強く想っていた描写が印象的なため、彼が抱いているはずのアニーへの想いには、十分に納得できない気持ちが残ります。
キャンディが望んだからアニーを選んだ、という側面が感じられるため、あまり幸福感がありません。

パティにしても、恋人ステアが戦死したわけですから、こちらも可哀想な終わり方です。
アルバートさんにしても、自由気ままな生活を捨てて富豪の総領としての自覚を持つ、つまり大人になるということを、「夢をあきらめる」といった表現で描写しています。

このように「キャンディ・キャンディ」という作品においては人生、つまり大人になることを悲観的なものと認識させかねない描写がなされているのです。
大人視点であればそれなりに感じるところ、納得できるところもあるのですが、中学生以下の子どもたちを対象にした作品として捉えると、かなり異様なものを感じさせられます。
子ども向け作品としては、あまりお勧めできる内容ではないのではないか、ということです。
表向きは普通の少女漫画にありがちなものを包含していながら、作品から表出するものは、およそ普通の少女漫画とは懸け離れているのではないでしょうか。

もっとも、キャンディとアルバートさんの恋物語として完結すれば、この作品は一般的な少女漫画と比較して違和感のない作品となったはずです。
なぜ、そう成り得なかったのでしょうか。

キャンディと(丘の上の王子様としての)アルバートさんの出会いは、おそらく6歳と16歳くらいでしょう。
「アルバートさん」として二人が出会うのは、13歳と23歳くらいのときですが、その時点のキャンディにはアンソニーというお似合いの同年代の恋人がいます。
髭もじゃでサングラスのアルバートさんは、子どものキャンディに対し、あまりに大人という印象です。
後半は、風来坊のお坊ちゃま(アルバートさん)と苦労して自活しているキャンディは、精神年齢として釣り合っていると言えなくもありません。
終盤は15~16歳と26歳くらいなので、お似合いと言えるでしょう。
しかし、それ以前に描かれたテリィというキャラクターがあまりに印象的であったため、アルバートさんをキャンディのお相手と認めるには、相当の抵抗を感じてしまいます。

これは少女漫画のヒロインの暗黙の、しかし必須の条件と言えると思いますが、「移り気ではいけない」ということがあります。
ころころと恋人を替える少女漫画のヒロインを想像することは困難だと思います。
アンソニーは死んでしまったので仕方ないとしても、テリィとはお互いに想いを残しているわけです。
そんな状況で、初恋の「丘の上の王子様」 だったからアルバートさんにシフト、というのでは、とても共感できるものではありません。

このように予定調和のないラストを持つ「キャンディ・キャンディ」という作品ですが、いちばんの魅力が、逆説的ですが、この割り切れない読後感にあることも事実だと思うのです。
納得できないラストに、もやもやした気持ちを抱えたまま放り出され、あれこれ考えさせられてしまいますが、それを「余韻」と表現できるのかもしれません。

「キャンディ・キャンディ」という作品の《個性》は、予定調和を打ち破った少女漫画という点にこそあり、それが割り切れない読後感に集約されているようにも思います。


「キャンディ・キャンディ」 テレビアニメ版