小さな女の子の家に、ウサギとイヌがいました。
ウサギとイヌは女の子にかわれていました。
女の子は毎日イヌとさんぽをして、ウサギにエサをあげてなでてやりました。
イヌは女の子がだいすきでした。
いっしょにあそんでくれる小さなこどもはすきなのです。
ウサギは女の子がだいきらいでした。
うるさいこどもなんてきらいだったのです。
ウサギはイヌがだいすきでした。
ちょっとくさいけれど、毎日イヌはウサギの小屋の前にしずかに座っていたからです。
イヌは少しおじいさんでした。
ある日、イヌはウサギにいつものようにはなしかけました。
イヌはウサギがおどろかないように小さな声でしゃべります。
「そんな小屋に毎日入っていて、たいくつじゃないかい」
ウサギはうしろあしで耳をかきながら言いました。
「ぼくはうるさいのがだいきらい。だから、ここでいいんだ」
それをきいて、イヌも首をかしげます。
「おれは楽しいことがだいすききだ。おまえもいっしょに、さんぽにいかないかい」
ウサギはいかにもうんざりしたように言いました。
「ぼくはウサギできみはイヌだ。いっしょでない所もあるんだよ」
「そんなものかな」
イヌはそれいじょうなにも言わずに、ウサギの小屋のよこであくびをしてねてしまいました。
ウサギは、はなしをすることもめんどうだと、やっぱりイヌといっしょにねてしまいました。
ある日、としおいたイヌは、ウサギの小屋のよこでうごかなくなっていました。
じゅみょうがきて、しんでしまったのです。
うごかなくなったイヌを見て、ウサギはちいさくこえをだしました。
かけつけた女の子は、ウサギのこえとは、くらべものにならないほど大きなこえでなきました。
女の子がイヌをにわにうめてしまってから、ウサギの小屋には前より女の子が来るようになりました。
くびにわっかをつけて、イヌのように散歩をさせようともします。
ウサギはうしろあしで、じめんをたたいていやがりました。
「こんなことがあいつはすきだったのかな」
ウサギはとてもおかしいことだとおもい、イヌにきいてみようとおもいました。
けれども、イヌはもういません。
「話ができるうちに、ちゃんときいておけばよかった」
ウサギははじめて、おおきなこえでなきました。
2011年3月11日、何もできずにただただ顔を覆って泣きながら見た地元の映像。
翌々日、1分程の電話でやっと聞けた家族の声で泣きじゃくった朝。
あれから半年以上が経った。
色んな言葉が飛び交っている。
被災者乞食?
福島をゴミ捨て場にしろ?
そんな言葉たちより、涙より汗を流して、口より体を動かしている人々を見て、ずっと肌で実感した言葉がある。
「やらない善よりやる偽善」
幸いこちらにはまだ衛星のかけらは落ちてきていない。
ほどんど何もできなかった私も、これからも何かをする事ができる。
身近な大切な人や、友達に対してもだ。
やらない善より、やる偽善。
今やらなくて後悔するのは、もう、嫌だから。
翌々日、1分程の電話でやっと聞けた家族の声で泣きじゃくった朝。
あれから半年以上が経った。
色んな言葉が飛び交っている。
被災者乞食?
福島をゴミ捨て場にしろ?
そんな言葉たちより、涙より汗を流して、口より体を動かしている人々を見て、ずっと肌で実感した言葉がある。
「やらない善よりやる偽善」
幸いこちらにはまだ衛星のかけらは落ちてきていない。
ほどんど何もできなかった私も、これからも何かをする事ができる。
身近な大切な人や、友達に対してもだ。
やらない善より、やる偽善。
今やらなくて後悔するのは、もう、嫌だから。
「清濁併せ呑む」という言葉がある。
広辞苑から引用すると、
善・悪のわけへだてをせず、来るがままに受け容れること。
度量の大きいことをいう。
と説明してある。
上(抽象的な言葉ですみません)へ行くためには、これが欠かせないとよく言われる。あるいは、トップを取る人間は、悪い事もしているものだ、と。
本当に欲しい物を得る事に、努力が必要なのは当たり前の事だ。そして、それは傷なしでは手に入らない。真実を知ろうとしただけで、傷だらけになる場合もある。
無傷で手に入るものなんていらない、と、本当は言いたい。
けれど、怖くて怖くて怖くて、足踏みをしてばかり。過去の悪い失敗を思い出して「今まではこうだったけれど、今度は違うかもしれない」と思う事は、かなりの精神力が必要になる。
それでも。
無傷では手に入らないものが欲しい。
無傷では立てない場所に立ちたい。
そのためには、まずは、自分と向き合って傷つきながら自分に勝たなければいけない。
一度勝てばいいというものではないのだろう。
そして、自分の事だけを考えればいいというものでもない。
怖い。
それでも。
やっぱり、欲しい物が得られなかったら、絶対に後悔するから。
恥をかきまくって、ドジを踏みまくって、やるしかない、のだ。
きっと、おいらはそんな自分が好きだと思うから。
広辞苑から引用すると、
善・悪のわけへだてをせず、来るがままに受け容れること。
度量の大きいことをいう。
と説明してある。
上(抽象的な言葉ですみません)へ行くためには、これが欠かせないとよく言われる。あるいは、トップを取る人間は、悪い事もしているものだ、と。
本当に欲しい物を得る事に、努力が必要なのは当たり前の事だ。そして、それは傷なしでは手に入らない。真実を知ろうとしただけで、傷だらけになる場合もある。
無傷で手に入るものなんていらない、と、本当は言いたい。
けれど、怖くて怖くて怖くて、足踏みをしてばかり。過去の悪い失敗を思い出して「今まではこうだったけれど、今度は違うかもしれない」と思う事は、かなりの精神力が必要になる。
それでも。
無傷では手に入らないものが欲しい。
無傷では立てない場所に立ちたい。
そのためには、まずは、自分と向き合って傷つきながら自分に勝たなければいけない。
一度勝てばいいというものではないのだろう。
そして、自分の事だけを考えればいいというものでもない。
怖い。
それでも。
やっぱり、欲しい物が得られなかったら、絶対に後悔するから。
恥をかきまくって、ドジを踏みまくって、やるしかない、のだ。
きっと、おいらはそんな自分が好きだと思うから。