DAY:11 #5
また日本の首相が替わるようですね
顔ぶれを見ても
誰一人魅力的な人もいませんが
増税とか復興財源とか言う前に
是非、今の奥尻島を見てもらいたいものです
ま・・・見たところで
迷走するんだろうけどサ・・
08/01の話 その5
眩しい光を受ける
青空の下を
鳥を見上げながら
奥尻島の南下を開始
このまま西へ向かい
島をグルリと一周・・・も
考えたが・・・今回の旅の間に
北海道の東の果ても見てみたい!
なんて・・ことで奥尻島への滞在時間に
割ける時間は短い
我ながら・・・欲張りだなぁ~なんて想うも
心のままに
来た時は闇の中
戻り道は光の中
そんな同じ道でも
見える世界は違う道を
後戻り
不意に闇の中では
まったく気が付かなかった
こんなモノが
どうやら津波に襲われた高さまで
9m・・・その高さを
壁は民家のある場所を守るように
延々と続いていたが・・・
そうまでして・・・
コノ場所に居続けることの意味に
疑問も感じる
深淵の闇を味わった
覆道
結構・・長かったようだ
南下を続け現れたのは
山側の壁
どうやら津波とは関係なく
落石予防とのことらしいが・・
それほど・・・・
人通りはもちろん
車さえも数えるほどしか通らない
集落もない場所で・・
こんな大掛かりな工事が
必要なのだろうか?
復興という名の
震災から18年、今も続いている
バラマキ工事の臭いがしてたまらないが
堪らないのは・・・
山そのものだろうね・・・
確かに・・奥尻島の東側では
津波よりも地震による崖崩れによる
海から津波をガードし
山から崖崩れをを予防と・・・
ドンドンとコンクリに固められていく
津波に襲われた
南西沖地震の震源地に近い島
この島に住む人々が
1993の地震、津波から学んだことは
一体なんなんだろう?
自然の力の恐ろしさではないのだろうか?
それでも・・尚
人の力により
自然の力を押さえ込むことがデキル
と・・・いうのだろうか?
新たな集落に
地震、津波に襲われた爪あとは無い
だが・・・
コンクリに覆われた集落にいれば
絶対の安全があるのだろうか?
港の側に住めば
そりゃ~通勤は楽かもしれないが・・・
現代の漁師が海の側に住まねばならぬ
理由は・・・
私には特に思いつかない
そんなことを
宮津弁天の横の港で感じた
かつては対岸との連絡のための
番屋があった場所に
大漁を祈願して祀られたという弁天だが
番屋が必要な時代でも今は無なくなった
ということの・・・
証明のような場所のようにも感じられた
もう一度、闇の中で昇った社へ
階段をあがる気にもなれず
反対側の階段をヒーコラ
登った
先が見えないからこそ登ったが
昼間に改めてみると
ゲッソリする段数がありそうだ
先が見えないからこそ
進めるコトもある
なんてことを実感
階段登りで
汗だくになり
気持ちよく吹きぬけていく風の中
びしょ濡れ状態のTシャツを乾かしながら
裸で風と太陽を感じながら
一服休憩
ここまでの道のり
工事関係者以外の人影は見なかった
人間も自然の一部であるのだから
そんな人間が生み出した
コンクリも自然の一部といえるのかもしれないが
少し・・・やりすぎを感じた
どこまで人は人中心に世界を
塗り替えていこうとしているのだろうか?
ニーチェの言葉によれば
人の欲しがるものとは住居があり、娯楽があり、
食べ物と栄養があり、健康であっても、人はまだ
不幸と不満を覚える。
「人は、圧倒的な力というものを欲しがっているのだ」
という言葉に・・・激しくうなずける光景だった
どうやら防潮堤とやらには・・・350億円つぎ込まれているとか
復興に投入された費用・・927億円
集まった義援金・・・・・・・・190億円
当時の島人口・・・4700人
単純に復興費用を人口で割ると・・一人頭1970万円なんて
興味深いデーターもあるよ!