私が西荻で暮らした日々

私が西荻で暮らした日々

懐かしき西荻の日々を記憶の整理を兼ねて書いていこうか。

しばらく間が空いてしまった。

キーボードが遠のいてしまっていた。色々とあったから。

また、少しずつ思い出しながら書き連ねていこうと思う。

荻窪の隣駅は阿佐ヶ谷だった。ここも西荻の仲間で確か日曜祝日は中央線の通過する駅だった。自分がいた頃は相撲部屋もあった。二子山部屋と花籠部屋で輪島とか貴乃花がいた頃だった。阿佐ヶ谷の隣は高円寺で高円寺阿波踊りのイラストが駅から見えるビルの壁にデカデカと書いてあった。ただ、いつも帰省中だったので一度も見た記憶は無い。

話は阿佐ヶ谷に戻るがここは西荻に近かったけれど何の用事もなく界隈を歩き回った記憶は無い。

ただ当時、フォークシンガーの友部正人が「一本道」という歌を発表し、「僕は今阿佐ヶ谷の駅に立ち電車を待っているんです・・・」と歌っていたのを記憶していた。

今聞いてもこの歌は結構聴かせてくれる。歌詞がすごく心に響く。

「どこへ行くのかこの一本道 西も東もわからない 行けども行けども見知らぬ街で」

この部分は 放浪の俳人 種田山頭火が詠んだ句で「分けいっても分けいっても青い山」を連想してしまう。

全くの個人の感想だが、言葉で表現する人の中にはジャンルは違っても根底に似たような感性があってもおかしくないと思った。

寝る前に「一本道」聴こう。