私の祖母は戦争について私に一切話さずに死んだ。

本当なら聞いておけばよかったとは思うのだが人間話したくない事はあるものだとも思っている。

ただ、私が両親の離婚で祖母のもとに預けられた沖縄に住んでいた時に新聞の天皇の写真を見て「この人は好きになれない」といったことを鮮烈に覚えている。

 

実際に後年調べれば調べるほど私が今ここにいるのは奇跡的な偶然だったとしか思えないほどの死亡フラグが上がり続けていた状態をきりぬけてきた事がわかった。

 

私の父は終戦時3歳。当然戦争の記憶はおぼろげでしかない。

よって父からも戦争の話を聞いたこともない。

ただ、父からは戦争の関連ではないところから戦争の一面を聞いたことがある。

「激動の昭和史 沖縄決戦」を見た人はアメリカ軍が慶良間諸島諸島から上陸してきた事はご存じだろうが私の父は慶良間のある島に当時住んでいた。よって場所が少しでも違っていたらその時点で死亡して私はこの世に存在しえなかった危険性はかなり高かった。

たまたまうちはあっという間に捕虜になったために生き延びることができただけの話。

 

父はその時の話を私にしてくれた。

祖母に本気で怒られたことを話している流れだった。

 

父はアメリカ兵に何かでかい黒い板のような物を渡されたそうだ。食べろってことらしい。

その板のような物を渡してすぐにアメリカ兵はいなくなったので腹が減っていた父は食べようとしたら祖母が激怒して父を張り倒してその板を投げ捨てたと父は言った。

 

もうわかるだろうが米兵が渡したのはハーシーズの板チョコで祖母が投げ捨てたのは毒が入っていると思ったせいだ。

 

その後時代は変わり昭和40年代。私が生まれて父は機嫌がいいとハーシーズの板チョコを私に与えることが多かった。

 

正直ハーシーズの板チョコよりもパチンコの景品のハイクラウンやガーナチョコレートのほうが嬉しかったんだが父は酒乱で酔った時は瞬間湯沸かし器だったので逆らわず受け取っていた。

 

アメリカは大嫌いな父がなんでチョコレートはうまくもないハーシーズ一択だったのか若いころの私にはまったくわからなかったが今ではなんとなく理解しているつもりだ。

 

父にとってのハーシーズの板チョコは「平和の象徴」だったんだろう。

 

現在57歳の私の父ですらこの程度の戦争体験しか話せない現在戦争の記憶を聞き出すのは至難の業だとは思うがあきらめちゃいけないと私は思っている。

 

私にとってのハーシーズの板チョコは「戦争と平和の象徴」だ。