ぼーと眺めること
旅行や展覧会に行った時には
せっかく来たのだからということで
注意深く必死に対象を見るようにしていた。
鋭くものを見ることはいいことだと勝手に思い込んでいたような気がする。
しかし帰路につくころにはとても疲労感があり
何か虚無感がいつも頭の中に残っていた。
ある旅行中に毎度のごとくものとか人とか景色を
必死で目に焼き付けようとしてるうちに
またまたとても疲れてしまった。
なので旅行の後半はボーっと対象を眺めるように自然になってしまった。
まいいや、ってくらいの気持ちでリラックスして眺めるようになった。
そうすると今までは見ているもの単体しか観察できていなかったものが
自然と周囲の環境や音や光の状態も目に入ってくるようになった。
そいで頭はからっぽになったぶん
ぽんと単純な感想や発見がたまに浮上してくるのだなあ、ということに気づいた。
その時の新鮮な感覚がとても印象的であった。
この楽しい感じはなんじゃろか?
ボーと眺める、という行為は今おいてる環境とみているもの全体をみることを指す。
そうすると当たり前のことがらや単純な疑問が頭の中にたくさん浮かんでくる。
「色がたくさん使われてるな」 とか
「この建物は他より小さいな」 とか
「ここになんで椅子がおかれているんやろうか」 とか
「この窓のしあげは空をきれいにみせるためなんだ」 とかね。
細かく言うとそういう具体的な部分を見ながら全体像と照らし合わせていく作業ということだけども。
この作業は以外にもたくさんの発見をもたらしてくれる。
印象と、疑問と、それに対しての自分の分析、んでその背景の気づきは
とても見るということを楽しくしてくれる。
このぼーっと全体をみていくことは以外にも対象の本質をつかむのに
いい ということを最近ぼーっとしながら発見した。
以上
せっかく来たのだからということで
注意深く必死に対象を見るようにしていた。
鋭くものを見ることはいいことだと勝手に思い込んでいたような気がする。
しかし帰路につくころにはとても疲労感があり
何か虚無感がいつも頭の中に残っていた。
ある旅行中に毎度のごとくものとか人とか景色を
必死で目に焼き付けようとしてるうちに
またまたとても疲れてしまった。
なので旅行の後半はボーっと対象を眺めるように自然になってしまった。
まいいや、ってくらいの気持ちでリラックスして眺めるようになった。
そうすると今までは見ているもの単体しか観察できていなかったものが
自然と周囲の環境や音や光の状態も目に入ってくるようになった。
そいで頭はからっぽになったぶん
ぽんと単純な感想や発見がたまに浮上してくるのだなあ、ということに気づいた。
その時の新鮮な感覚がとても印象的であった。
この楽しい感じはなんじゃろか?
ボーと眺める、という行為は今おいてる環境とみているもの全体をみることを指す。
そうすると当たり前のことがらや単純な疑問が頭の中にたくさん浮かんでくる。
「色がたくさん使われてるな」 とか
「この建物は他より小さいな」 とか
「ここになんで椅子がおかれているんやろうか」 とか
「この窓のしあげは空をきれいにみせるためなんだ」 とかね。
細かく言うとそういう具体的な部分を見ながら全体像と照らし合わせていく作業ということだけども。
この作業は以外にもたくさんの発見をもたらしてくれる。
印象と、疑問と、それに対しての自分の分析、んでその背景の気づきは
とても見るということを楽しくしてくれる。
このぼーっと全体をみていくことは以外にも対象の本質をつかむのに
いい ということを最近ぼーっとしながら発見した。
以上
