心が壊れる、そう聞くとなんだか一大事みたい。

私の本音では、やったー!だったけど。

医師から、
重度の鬱病で即時入院、
そう聞いたとき、
自分がここの底から望んでたものがなんだったのかやっとわかった。

まさに一番欲しい言葉を、医師はくれた。
丁寧に診断書付きで証明してくれた。

どこにでも書いてある通り、
摂食障害や鬱病になりやすいパターンぴったりだった私。

幼い頃から手のかからない良い子、
飛び抜けない程度の優等生、
なんでも任せておけばソツなくこなし、やり終え、まとめ上げ、
とても使い勝手の良い、
要するに放置しておいて良い義務教育中の生徒だった。

気にかけなくて良い、
放っておいて良い、
いてもいなくても気づかない、
押し付け役がいなくて困ったときにふと思い出す、
そんな生徒。

手がかからないことを父母、教室は自慢した。

それを聞けば、押さえつけていた人並みのヤンチャしたい気持ちを、さらに押さえつけなくてはならなくなる。

私は良い子だった。
母は良くふざけて?
良い子良い子どうでも良い子、と歌うように話しかけながら私を撫でた。

9歳のクリスマスイブの日、
上の中の通知表を持って帰り、
褒められず叱られず、
ただ理科が3であることを責められた。

フッと、ヤンチャ心が湧き上がったの、鮮明に覚えてる。
テレビでは時代劇が流れていたころ、
責められたお詫びにと、私は風呂場に行って水を頭からかけた。
時代劇の受け売りだった。

水の音を聞いてやってきた、
ついさっきまで理科の3を責めていた父が、
水を被った私を見てポカンとした。
笑ってくれると期待した。

父は一言もなく風呂場に踏み込み、
私をぶん殴った。
他に言いようがない。
ゲンコツで殴られて壁のタイルに頭がぶつかった。

「汚い服のままで風呂場を汚しやがって!」

父の言葉。
まさかそうくるとは。
見に来た兄はゲラゲラ笑った。
父の不機嫌を嫌がる母は、汚いを繰り返しながら私を引っ張っていき、服を脱がせて、
12月の二階のベランダに閉じ込めた。

これも他に言いようがない。

ベランダへ放り出して、室内から窓に鍵を掛けた。

まあこれもどうでも良い。
昭和の頃は、よくある話だった。
幼心を傷つけたのはそのあと。

クリスマスイブのテレビ番組が始まる頃、
すっかり暗くなって寒くなって、
何もなかったらケーキの箱を開ける時分、
誰も私を呼びに来なかった。
ずっと1人で冷えるベランダにいた。

寒さに堪り兼ねて、窓を叩いて、大きな声でごめんなさいを言った。
かなり何度も叫んで、相当経ってから、
父が窓を開けて私を引きずり込みまた殴った。

家の恥を近所中にふれやがって!

もう一度叩かれて下に連れて行かれると、
ケーキは食べ散らかり、兄は寝てしまい、クリスマスイブが終わっていた。

些細なことだろう。
積み重なればソコソコの重み。
傷にしてしまった私が弱いから悪いのか?

良い子という単語で片付けられる存在感のない子供は、5年後にデブの一言で心を破壊した。

破壊されたのでなく、自ら破壊した。

その10年後、精神科医から診断書にて精神病を証明してもらい、
やっと私は勝ったと思った。
勝ち誇った。
これまでずっと良い子でいてあんたらに楽させてやったんだから、
これから私は荒れ狂う権利がある、
あんたらにはそれに耐える義務がある!

心が壊れるとき、私は勝利のときだった。

他の人はどうやって吐いてるか知らない。
どこで吐くか知らない。

あまり知りたくも無い。

自分の行為がとてつもなく汚かったのを、
20年近く経った今も夢に見る。

トイレですね、先ずは。

和式だと結構悲惨な飛散…いえ本当に。

吐き出す口から落下点までの距離が長いと、
吐いた吐瀉物が溜まってるトイレの水と一緒に髪と顔面と衣服に跳ね返ります。

自宅なら洗えても、学校、職場、駅構内などだと、胃酸のにおいさせたままとなります。

公共の洗面台で洗顔っていっても知れてますから。

洋式は腰を折るのがなだらかで吐きやすいけれど、水溜りが多いから、自分の汚れも多くなる。

慣れてくると、持参のビニール袋を便座蓋に載せて、音と跳ね返り抑えて吐くことを覚えます。

パンパンブヨブヨのビニール袋みて、これ全部腹に入ってんだって、おののきます。

慎重に、パンパンのビニール袋を持ち上げて、
便座蓋も持ち上げて、
便器内にビニール袋の内容物を流し込む。
めちゃ緊張するんですよ。

よくやらかしたのが、ゲロのブチまけ。

ビニール袋もレジ袋もナヨナヨしてて自立しないから、少しでも気を緩めると、呆気なくゲロをトイレ内にぶちまけてしまうのです。

うーん、私的には、ゲロが勝手に流出した、そんな感じ。

並んでの注意点は、袋の破れ。

これまたあっという間もなく、全てが台無しになります。

台無しは仕方ない。
自分の下半身、衣類、靴がゲロにまみれても仕方ない。自業自得。

何より、掃除が大変なんですよ。

自宅ならまだ道具とか、素手にしても洗える場所があるのですが。

外出先では何にも無い。
着てる服を脱いでゲロをかき集めることも不可能。
服を犠牲にしたとしても、問題は汚れた服の捨てる場所。
あるはず無いのです。
無いから、予備に持ってたレジ袋に厳重に詰めて、持ち歩くしかないのです。

気づかれますよ。

あの、ゲロをかき集める作業、泣けてきます。
先に嘔吐で眼球血走ってて、
顔も充血して腫れ上がってて、
顔、髪、服にはゲロが飛び散っててにおって、
十分異常なのに、
プラスして両手の肘から先まで汚してると、
もう人間やめてます、と宣伝してるようなもの。

何度かその情けなさを味わってから、
アホらしい学習をして、
外での嘔吐はたとえ和式トイレででも、
便器に直接吐く、と自分のルールを作ったものでした。

やらなきゃ良いのに。
吐かなければ、食べなければ、飲まなければ、
良いのに。

止められない。

学校での嘔吐はほとんどせずに我慢して、
下校途中のコンビニやスーパーでやってたなあ。
職場では着替えを用意して、移動中にやったものです。
新幹線は過食嘔吐天国でした。

嘔吐始めた頃、
体重が50キロあって、
痩せたくて、
痩せさえすれば全てが上手くいくと信じ込んでて、
悪魔に魂を喜んで売渡す!と思った。
安い魂だ。

罪悪感はもちろんあった。
後ろめたくて、知られてはならないと怖かった。

隠れて食べるのも、こっそり吐くのも、
家族にはバレバレなのに、
必死で隠れてた。隠してた。

食パン1~3斤、卵10個、ご飯2合、スパゲティ500グラム、全部にマヨネーズとケチャップかけて、味わうことなく食べた。

食べるという言葉が、消化吸収まで意味するなら、私はほとんど食べていないが。
詰めて押し込んだだけ。
ほぼ同時に吐き戻すために。

不毛です。

なんの得も無い、金を下水に捨てているだけで、
損しかしない過食嘔吐。

30年前は、そんな単語もなかったです。

自分の行為、状態を表す単語、形容詞がない、それは言い知れない恐ろしさ。

家族も困っていた。

何と言って叱れば良いのか、止めたら良いのか。

当てはまる言葉が無い。
だから引っ叩くしかない。

ものすごく不謹慎だけど、
摂食障害、過食嘔吐、拒食症という言葉がある今は、楽だと感じた。

先駆け的な私の年代では、医師さえも困ってた。

ゲロまみれ、吐きダコ、浮腫んだ顔、絶え間ないヘトヘト感、
全て悪夢なのに、当時は極楽でしかなかった。

個々人の普通の線が歪んで狂う、
そうなると、
叱られても罵られても叩かれても、
泣かれても笑われても抱きしめられても、
どっちだって敵にしか見えない。

何たって、自分が最大の敵なんだから。
味方など、いるはずもない。
いるのだけど、味方と認識ができない。

凍てつくような暗さと冷たさ、
孤独ってのを理解した15歳でした。
もう1年足らずで50歳。

拒食症、過食嘔吐は、15歳から31歳までの16年間続いた、いや、続けた。

28歳のときには、BMIが10という異常な激やせをし、強制的に入院は4回、鎖骨にチューブを通された。

今ほど摂食障害が知られてなくて、家から出れば気持ち悪いものを見る目で見られた。

あるコンビニでは、
客が気持ち悪がるから来るな、
触ったもの全部買っていけ、
と言われた。

BMI10、死んでて当たり前でした。
身長161センチ、体重25.5キロ、体脂肪率はもう測定不可能。
医師は、
自分の足で歩いて通院していること自体が狂っている!
と言った。

運動意欲は恐ろしく、栄養失調でガリガリでフラフラでも、雨でも雪でも、近所を歩き回った。
何度も転んだ。倒れた。
見かけた人は、恐ろしくて助けるのがはばかられたとか。

周りの全部を拒否していた。
自分自身も憎んでた。
地球上の人間のみならず、空気さえも敵に思ってた。

20年近く経過して思うのは、
なんで今、私は生きているのだろう?
ってこと。

摂食障害は表面的には良くなった。
飲み会に出られるし、人一倍食べても吐かない。

内心は、痩せたい、痩せていたい、痩せていないと私に価値は無い、と、未だ痩せにしがみついているしまつ。

料理は好きだが、共に食べさせられるのは嫌い。

最後の残るこの自己認識のおかしさ、何度も取り払おうとした。

先月末には、BMI16.5に達した。

ゴツゴツ固かった骨と皮の身体に、薄っすら肉がついて、シャワー浴びときに滑らかになった。

生理も来た。

それが、たまらなく嫌だった。
痩せたくて焦って苛立って、狂いそうだった。
43キロが許せなかった。

摂食障害は表向き良くなっても、この自意識の歪みを正常にするのは難しい。
精神科医も駄目だった。

本当に孤立している。

心を許せる人間は皆無だ。
親しいほど自分を作ってみせる。
夫は近くて遠い。

嘘まみれの自分を、認められない。好きになれない。自信の根拠が無い。

この年齢でもこんなものなのだ。

どうか、歪んだ綺麗を押し付けないで。
未来ある子供達、健やかに。

痩せへのこだわりが病的に強い私、
あすけんダイエット記録がもうすぐ1ヶ月になる。

記録って馬鹿にできないです。

入力してあからさまになる摂取カロリーを見せつけられると、
体重に関わらず恐れおののきます。

週末以外は大抵マイナス300キロカロリー。

最大3キロ減り、体脂肪率は-0.5%から下がらない。
14~14.5%は、決して高すぎないけれど、
ガリガリに骨が浮き出てないと自分を憎んでしまう私には、とても高いです。

月曜日から金曜日は1人で19時には夕食摂り、
内容は山盛り蒸し野菜、ゆで卵、魚ソーセージ、卯の花。
それと食パン、は最近やめています。

朝昼夜とも、月曜日から金曜日は400キロカロリー以外に抑えられます。

しかし!

土日、夫土日一緒に食べないと不機嫌になるので、控えつつもパッと見同じ食事摂ります。

半端ないカロリーです!

土曜日、遅めに起きたら、夫がおかかおにぎりが半額だったからと買ってきててくれてて、有難く頂きました。
ひき肉入りオムレツと山盛りレタス玉葱サラダとともに。
夫はささみのチーズ焼も。
これだけで680キロカロリー。

昼は抜きです。
コーヒーばかり飲んでました。

夜は夫に誘われて2ヶ月ぶりのマクドナルド。
ビッグマックにフレンチポテトL!
これで1128キロカロリー。
月曜日から金曜日の1日分に匹敵。

帰ると夫が何故だか珍しく高値のケーキを買ってきてて、美味しく有難く頂きました。
マスカルポーネとバナナとカスタードのタルト。
1つを半分ずつ食べて、カロリーは多分300キロカロリー?

買ってきてくれて嬉しいし、美味しいし、幸せです。
感謝です。

以前なら、太らせるな!と、激怒していたなあ。

今はまあ、断食してリセットするか、と思えます。

一人暮らしなら、食事制限はかなり自由です。
自分さえ耐えられたらいい。

親兄弟となら、理由を話して気分を害さないよう頼めます。

夫婦となると、デリケートです。
もとは他人です。
些細なことで腹が立つし根に持ちます。前の私のように。

夫が食べ物を買ってきてくれるなんて滅多に無いです。
どこへ出かけても何も買わない、
頼んでも忘れて買ってこない人が、
頼まれないのに何か買ってきてくれた、
これは私には大事です。
彼の気分を害してはなりません!

私だって、自分が買ってきたものを喜んでもらえたらとても嬉しい。
また買ってくるね、と、こっちも楽しくなる。
買うときすでにそれを期待しています。

それを邪険に、太るから要らない、では、もう二度と何1つ買ってきてくれません。
やはりお土産は嬉しいのです。
次もあってほしいものです。

そうして太っていくんですね。
人付き合いとはなんとも厄介。

楽しく美味しく嬉しく、太らせる。

ダイエットの最大の敵は、夫でした。

また月曜日からダイエット!
私と同年代の方の、つまり50歳くらいの方の摂食障害が、少なくないとネット上には書かれている。

私はなんとか、40歳と少しで過食嘔吐をやめられた。

高校に入ると同時に過食嘔吐を始め、40歳までほぼ毎日続けた。

たまに全くやらない時期もあった。

高校三年生の1年間、新しい家に引っ越した1ヶ月間、結婚して1ヶ月間、
40歳を迎えてからのほとんど、42歳からは全くしていない。

高校2年生のとき、ドロドロだった。
ひた隠しにしていたってバレバレで、父親に顔が腫れ上がるほどビンタされた。

長いトイレ籠城から私が出てくるのを待ち構えていて、いきなり何度もビンタされた。
口の中が切れて、顔が腫れて、翌日学校を休んだ。
また、夕食時に食べない私に、父親は最初優しく何か食べろと言い、結局往復のビンタとなった。
その時の理不尽さに、そばにあった花瓶で父の頭を殴りたくなったあの衝動を、30年経った今も覚えている。

摂食障害には、理由がある。

自身の勝手な思い込み、被害妄想、そうではあるけど、思い込みや妄想にとらわれる原因は、周りにある。

言った本人は覚えていない些細なからかい、それがほとんど。

いくらメディアが細さの美を強調しても、痩せるのが使命みたいな宣伝しても、
あんな遠い世界と自分を同じレベルで釣り合わせようなんて思わないのが普通だ。

誌面のモデルと見比べるようにちらりと見られ、ため息をつかれたら、
それは自尊心を打ち砕き、罪悪感と引け目を引きずり出される仕打ちなのだ。

私は母親に、足、ふくらはぎがマグロだと笑われた。
兄に膨らみ始めた胸を真似されてからかわれた。
父親に触られた。

女性らしい丸みをすべて否定するに充分な侮辱だった。
侮辱されたから、されないために、痩せた。
丸みのない平坦で直線的な身体を維持した。
維持したいから、食べるのを極端に嫌い減らした。
食べてしまったら怖くて怖くて、吐いた。

私が、1人で陥ったわけじゃない。

家族で侮辱してからかうから、それが嫌さに身体の丸みを排除したのだ。

あんた達が笑うから、笑われないよう努力したのだ。

その辛い切ない努力が実ると、なぜまた責めるのだ?殴るのだ?

若い頃は、生理が止まってラッキーと思った。

不妊治療のかいなく子供はできなかったが、育てる自信がもともと無かったから、それもラッキーだ。

ちょうど私が中学に入った頃、初めて食事制限が原因で女の子が命を落とした。
そんな深刻な事件さえ、当時はからかいのネタとなった。
私は担任教師から、お前は別の死に方してくれ、とからかわれた。
家族は、お前は死ねるほど今生なくて良いな、と笑われた。

馬鹿にされない努力だった、拒食は。

高校、大学、社会人、結婚、延々と終わらない拒食、過食嘔吐は、そうした節目ごとにいつか終わるものだとなんとなく思っていた。

いくらなんでも大学生は忙しいからやめるだろうと。
大学構内のトイレで吐き、バイトの合間に吐き、付き合いは過食嘔吐を優先したからおろそかになった。

社会人では暇がないだろう。
会社のトイレで吐いた。人気のない残業中、ドカ食いして吐いた。稼ぎができたので、帰り道のコンビニで弁当を3~4つ買い、贅沢に過食嘔吐した。

結婚したらもう吐く場所がないはず。
夫は帰りが遅かった。
たまに早くて、吐く前に帰宅されると私はすごく不機嫌になり、まるで追い出すような態度をとった。

1年半で結婚生活が中断した。
精神科へ連れて行かれ、実家に戻るよう医師の指示がでた。
実家ではやり放題になった。
これまでの鬱憤、恨みを晴らすように、際限なく食べて吐いた。

161センチで25キロまで痩せ、強制入院が5回。

5回目で、私は過食嘔吐をやめた。

治るとか良くなるとか、私の場合には該当しない。

荒れ狂う過食嘔吐を、ピタリとやめただけだ。

もう自力で用を足しに行くことも困難で、
1人夜中の病院の通路で、トイレに間に合わず、もりした。大も小もだ。

夜中にはシャワーを浴びられない。
泣きながら掃除道具を洗う場所で身体を水で洗った。
汚れたパジャマは捨てて、半裸で6人部屋のベットへ戻った。
迷惑なことに、看護師が目ざとく見つけ、やけに大声で私を慰めた。

何もかも終わった気がした。

これまでの異常な痩せ願望も、
食欲も、
嘔吐の快感も、
食べたら吐くという日常も、
普通になりたいのかこのままおかしくなっていたいのかわからなくなっていた自分も。

恥を知れ、良い言葉だ。

大小便垂れ流して、大恥をかいて、私は過食嘔吐をやめた。

トイレまで何度転んでも、漏らしても、助けられたくないし、実際助けは無かった。
極度に痩せた私をさらに痩せさせてくれる薬も、一瞬で太らせる薬もない。

ないない、なんにもない。
あるのは死にたいより大きな恥だけ。
いつまで続けるのだ?
いつやめるのだ?

誰も助けられない。
決めるのは私。
私1人で決めるしかない。

こんな恥は嫌、こんな孤独は嫌、もう痩せても普通でもどっちでも良いから、恥と孤独は嫌。

決めた。
今から過食嘔吐をやめる。

そしてやめた。
発作のように数回、過食嘔吐はやった。
それも1年間に3回やって、嫌になって、やめた。

今でも痩せへの執着は消えない。
私から痩せをとったら、なんの特徴もなくなってしまう。唯一の個性なのだ。

自分では20年の摂食障害を長いと思っていた。

現在、私と同年代の摂食障害歴30年の方のブログなど見かける。

その苦しみがわかる。
長引くほど苦しくなる。
異常な行為が普通になる、理解されない苦しみ。

どうしてこうなったのだろう。
飽食の世を恨んでも、負けた自分の方が悪い。

精神科医は治せなかった私の過食嘔吐。

私も治せなかった。

ただ、やめるだけなのだ。


30年以上痩せたがってるわたし。

今では身長161.5センチで、体重40キロ超えると自分を許せない。

体脂肪率は14%になると腹が立ってイライラ。

誕生日を過ぎる頃から痩せなくなった。
43キロまで太った。
1年半ぶりの生理が6月に来るまで、およそ4ヶ月のPMS、とても不快で浮腫んで重たかった。

レコーディングダイエットをまた開始して2週間。

生理4日目43キロから、一昨日は39.8キロに減ったものの、今日はまた42キロに戻り、体脂肪率は変わらず14.5%。

ああイラつく、自分に。旦那に。

夫は都合のいいことは一緒にやりたがる。

彼の旺盛な食欲には付き合えない、当たり前なのに、食べないと怒る。

付き合えば自分が太って自己嫌悪。

もう中高年だし、体型はそこそこで自己満足すべきなのに、嫌だ、痩せていたい。

痩せていることだけが、わたしの唯一のアイデンティティだから。
普通体型では、何も無くなってしまうから。
それが怖い。

どうにもならない、できない、改められないこの自己否定。

勝手な否定なのか?
何1つ良いところなしって、客観的にも明らかだから、全否定なのか?

怖い。
摂食障害があまり珍しくなくなり、
ネット記事で克服法が見られる。

摂食障害、特に過食嘔吐について。

「意志の弱さのせいではない」
から、気を楽して。

摂食障害の人は、なるべく誰かと一緒に楽しく食事をするように。

そんな内容。

なんというか、20年前の精神科医やカウンセラーと変わらないことしか言えないんだ。

がっかり。

まあ、当たり障りのないことしか言えない立場だから仕方ない。

精神科医になれるだけの財力、能力がある人に、

食物と痩せることにしがみつくしかない人の気持ちや境遇は理解不可能だ。

一緒に楽しくいられる友達なんて、この世に1人もいないっての。

言いたいのは、

拒食、過食嘔吐は、意志の弱い人間にはできないってこと。

ガリガリに痩せるには凄まじい意志力か必要。

食べては吐くのも、例えようのない孤独を背負ってやり抜くことだ。

意志力の使い道を間違えただけで、
拒食、過食嘔吐の人は、
自信持っていいんだ。

自分は素晴らしく強い意志を持ってて、
ストイックな生き方かできるって。

年中ダイエット繰り返す人より、
ずっとすごいんだって。

拒食、過食嘔吐を憐れみ、意志が弱いと勘違いする人を、いつか見返せるって。

ホントにまだ苦しい。
多分耐えても耐えても、もっと苦しくなる。

半世紀生きた私、その半分以上摂食障害の私、
いつか治ると期待してダメだったがっかりな私、
太るのが、普通になるのが怖くて、美味しく食べられない私、
誰がと一緒がものすごく嫌で1人でしか休まらない私、
年齢50歳近くになり、未だ15歳からの摂食障害を克服できず、どんどん生き方が狭くなってる私、
こんな自分を殺したい私、

だから言っていい。

病気とも宗教とも言えて言えない摂食障害は、
特別視しなくていい。
されなくていい。

自分で苦痛と孤独に耐えるなら、
そのままでいい。

それが一番自然なんだから。

贅沢だと罵る人には、
あんたもなんらかの贅沢してるだろと言い返せばいい。
経済的破綻も、自分で背負うんだから。

痩せて早死にしても、自分1人で孤独に死ぬんだから。



私の身体は、少し肉がついてもまだ細い。

枯れ木みたい。

摂食障害に陥る前は、
生き生きした花が好きだった。

ひまわり、チューリップ、ハイビスカス。

今はそれらが歪んで見える。

例えば百合の生花。

茎が太く花びらは肉厚で、凛として美しい。

美しいのは理解できるけど、枯れ木の私には肉感があり過ぎて、生々しくて、美しいけど好きではなくなった。

折れそうな野ばらとかかすみ草は、今も昔も美しく好ましく映るのに。

枯れ木は生命力のないものを好む。

背高ノッポ、真っ直ぐ、直線的、細長い、肉感がない、それは私と共通。

ドライフラワーが歪んで美しく見えるのは、もうまっすぐに戻れない枯れた私の世界観。

2015年は一度も体重ご40キロに達することなく、
体脂肪率が14.5%に達することなく、
終わりました。

とにかく頭脳労働ばかりの1年たったからか?

2016年2月3月の2ヶ月間で、あっさり42キロいきました。
だらけて甘えてたら、運動してもそこそこ頭使っても、脂肪つきます。
161.5センチ、42キロ、体脂肪率15%です。

太ってはないのに、痩せたいと焦ってます。

すでに中年、私なんぞが太ろうが痩せようが、誰も気にしないってわかりきってても、痩せていたい。

新しく事業を興すにあたって、痩せていたことの恩恵は馬鹿でかい。

ちびまる子ちゃんのお母さんより年齢上だけど、痩せてスッキリしていたから、恐怖が減った。

ずんぐりした身体だったら、どうせ私なんてと卑屈になり、胸を張っていられなかった。

うっすら触れる脂肪が憎い。

周りを不快にしても食べたくない。

少し、それではダメと納得し始めた。
理解はずいぶん昔からしている。

痩せにしがみつく自分を捨てないと。

痩せ意外の自分の良いところ見つけようよ~、
と、無責任な言葉は聞き飽きてるから、
良いところが見つからないから唯一の救いの痩せにしがみついたんだけど。

それでも生きていかないと。
死ねるまで。
死にたい、
というと必ず、
やめろ、
と返されます。

仕方ないです、決まり文句ですし、常識ですし。

中には止めない人がいます。
私もです。

自殺にしくじった取り返しのつかない失態を演じてなお、死に損ねて生き続ける、生き恥さらした経験がある人は、
だからこそ止めるか、
なればこそ止めないか、
です。

止める人は、恥さらしでも、何か救いを見つけられたのかも。
自分でさえ救いがあったのだから、あなたにもあるはずだと、そんな論法です。

止めない人は、恥さらして生きているけど、あわよくば事件や事故で殺されたいと願ってるかも。
私のように。
自分も今すぐにでもチャンスがあれば死にたいから、止める資格は無い、そんな論法です。

極端ですね。

動物は、
食って
出して
洗って
眠れりゃ
幸せなんです。

それだけ?
そんなにも?

お金、体型、時間、のせいで、食べるのは難しいのが地球の生き方です、太古から。

習慣、時間、環境、のせいで、出すのが難しい昨今です。

お金、時間、洗うにも一苦労、気持ち良さを味わう余裕も無いです。

仕事、家事、付き合い、気苦労、眠るのが困難が当たり前な現代です。

これはもう幸せのかけらも現在見つけられません。

さらなる何かがのしかかれば、
死にたくなって何が悪いですか?
死ぬなと言うなら、この重圧を少しは共に背負ってくれますか?

言うだけの人の言葉は無力です。

私は聞きません。

自殺の後になって、
もっと早く言ってくれたら何々云々、
という人たくさんいます。

絶対に相談されないと保証されてから、
安心して優越感剥き出しにして、
罵るように哀れむ人、
本人にそんなつもりは全くなくても、そうとしか定義できない人、
死体に鞭打つの、やめてください。

自殺以外もう何にもなくなっちゃった、
そこまで追い詰められるのって、確かに稀だとはわかります。

稀ってことは、あり得るし、あるのです。

他人に言われなくたって、本人が一番考えましたよ。
あらゆる手段、合法違法も構わずに。
かっこ悪くても見苦しくても馬鹿にされても、
なんでも良いから死なずに済む方法、道筋、人づて、全部試しましたよ。

何にも無かったんですよ。
誰一人、何1つ、無かった。

世界で唯一この人だけはと頼ったら追い返された。
これだけは確保しているはずのものが掠め取られていた。
つまりは運が悪かった。

運に見捨てられたら、トコトン見捨てられたら、生きたくても死ぬしかなくなるんですよ。

わかってほしくは無いです。
黙ってほしいだけです。

卯月花冷えのつぶやきでした。