今回は、メモリアルなコンサートに参加出来なかったけれども、いろいろ思い出があるという話です。


メモリアル、または伝説のコンサートと言えば86年の夏イベ。

それから87年の夏イベでしょうか。


ベイエリアは観客動員数、サンセットサンライズはオールナイトの長時間なので、メモリアルとか伝説というより、記録的といった方がよいのかもしれません。

で、まあオールナイトコンサートですから、当時未成年なもんで参加出来なかったんですよ。

でも、未成年でも参加出来る条件もあったんですよ。

保護者がいれば良いという。

その場合、同行者に成人している人がいればOKだったのか、親権者である必要があったのか、記憶が曖昧ですが、多分前者だったと思います。

当時、未成年者は参加できないことに対して、結構不満が噴出していました。

いや、私は不満を言わなかったよ!!と言う方も結構多いと思います。

私も不満はなかったです。

これはどうしようもないことなので。

だけど、納得している人の方が多くても、不満の声の方が大きく聞こえるもので。

いつの時代も同じようなものですが。

なんだかね、多少の不平不満が出るのは仕方ないと思うんですが、ちょっと良くない感じだなーと思ったんですよね。

なんかこう、情報を取り入れて、咀嚼して、それでも言わずにはいられないってんで、言い方を考えて発言するなら、ありだなと思うんですが。

みんなが文句言っているから、この件には文句言ってもいいんだよね!みたいな雰囲気をね、感じたんですよね。

当時の私は色々考えました。

そして、とりあえず音楽雑誌の読者ページ宛てにハガキを送りました。

当該雑誌は探せば見つかりそうですが、すんまそん、探し出す気力がないため確認してません。

たしか、未成年者はオールナイトコンサートに参加できないのは残念だけど、一応、保護者が同行なら参加出来るという条件なわけですし、あんまり批判せんでも……的なことを書いたと思う。

優等生発言がすぎるかなと思いましたが。


で、たしかそのハガキが、初めて音楽雑誌に採用された一枚でした。

その時点でイラストは掲載されたことなくて、あらー、文章の方が採用されたかーと思ったことを記憶しています。

果たしてその投稿がアルフィーファンに何か作用したのかはわかりません。

ただ、編集者の方がハガキに目を通してくれて、掲載してくれたということは嬉しかったです。


そうこうしているうちにチケットは発売されて、日本平に全国からアルフィーファンが集い、コンサートは開催されて、ニッポン放送でオールナイトニッポン特番が放送されて、雨が降ったり、コンサートの途中でアルフィーの三人がラジオ出演したり、コンサートに参加出来なかったアルフィーファンもラジオを聴いて上柳さんの声と共に一晩を過ごして、みんなで夜明けを迎えて、オールナイトコンサートは終わったのです。


そうなんです、終わるんですよね。

どんなに記念碑的なコンサートも、始まれば終わるんですよ。

あの日も今日に繋がっているから、思い出は消えないから、終わっていないとも言えるのかもしれませんが。


その後も、たくさんメモリアルなコンサートがありました。

規模や数とかは関係なくて、ひとつひとつどれもが大切なコンサートなのだとは思います。

だけど、記念碑的なコンサートは、やはり私も特別だという気持ちになるし、参加できない場合の落胆も大きかったです。


しかし、時間が経てば過去になっていくんだなと、ある時期あたりから思うようになりまして。

参加出来なかったことを悔やむより、先のことを想像した方がいいなと。

幸い、アルフィーさんに関しては先のことを考え続けることが出来たので。

不安になったのはコロナ禍のとき、ですね。

なんだかね、あの頃を思い返せば、ねえ!!って自分でも思うんですが。


今思い出せるのは、カウントダウンコンサート、2000回の大宮公演、桜井さんの還暦ライブ……参加できなくて不貞腐れふてました。

思い出せないけれど、不貞腐れたことはもっとたくさんあったと思う。


今後もチケットが取れなければその都度落ち込むだろうし、記念碑的なコンサートなら多少不貞腐れると思います。


だけど、様々な感情の中でも感謝を一番前面に押し出したいし、開催を祝福する外面の良さは取り繕いたいと思うのです。

自分が参加できない場合、内心では「始まりゃ終わるし」くらいのマインドでも仕方ないかと思っています。

そして、コンサートに参加できるいつかの未来に向けて、日々を乗り越えていくだけです。








文化放送でWBCの中継をやっていることに気がついて、決勝戦の9回表2アウトから慌ててラジオをつけまして。

ベネズエラチームの勝利の瞬間に間に合いました。

ベネズエラ🇻🇪2026WBC優勝おめでとうございます。


しかし、ぶっちゃけると準々決勝のベネズエラ対日本戦が終わった時点で、自分の中のWBCは終わった気分になっていました。

すぐさま、テレビ中継の東京ヤクルト対オリックスのオープン戦に集中。

15日は一軍も二軍も試合をやっていたので、お気に入りのプロ野球チームがある人は、気持ちを切り替えた人が多いんじゃないかなと思っていました。

NPBファンとしては、選手が大きな怪我なくチームに戻ってきてくれたら、それで一安心じゃないかと。

そう思っていたので、侍ジャパンのメンバーへの誹謗中傷が問題になっていることを知ったときは、まさかと思いました。


いや、思うことや感じることは人それぞれなわけですが。

もし、あの場面でこうしていたらと、たらればで語りたくなる気持ちならばわからないでもない。

が、プレーに関してはど素人の私としては、「侍ジャパンも頑張った。ベネズエラチームが強かった。以上!!」だったもので……

なんで、どうして、誹謗中傷とかになるのか。

たとえ、選手が頑張ってなかったとしても、誹謗中傷はおかしいんよ。


幸い、誹謗中傷そのものを目にすることはなく。

ブログで考察するならば、実際の誹謗中傷の内容を把握すべきだったかなと、後で気がついたのですが。


とりあえず、SNSのオススメで流れてくる選手や関係者の投稿に「いいね」を押しまくっていました。

全部は把握しきれないし、検索まではしないまでも、目についた投稿には、ひたすら「いいね」


誹謗中傷を探し出して批判しても火に油だなと。


おそらく、WBCの大会が終わったことで、誹謗中傷は下火になっていくだろうし、まして、対戦相手が優勝したことで、侍ジャパンに対する批判も少なくなるだろうなと思います。


が、しかし。

何故、誹謗中傷が盛んになるのか。

その点を、実際の誹謗中傷は目にしていないながらも、数日間考えたので、ブログに記そうと思います。


で、侍ジャパンに対して誹謗中傷していたのって、ホントに野球ファンなんですか!?

いまいちピンと来ないんだよ。

繰り返しになりますが、あの日、日本チームの負けを日本国内で見聞きした人のうち、プロ野球ファンのほとんどは贔屓チームの試合経過かスタメンの確認をしていたんじゃないかと思うわけで。

プロ野球観戦モードになっていたかと。

一軍はオープン戦ですが、二軍は開幕していたわけですし。


WBCの試合結果を踏まえて発言しているわけですから、誹謗中傷勢も野球を観ている輩だとして。

野球の日本代表チームが準々決勝敗退しても、ほとんどの人にとっては、ほぼほぼ関係ないんですよ。

どれだけファンであっても、どれだけがっかりしても。


それなのに、何故、誹謗中傷するのか。

何故、「関係ない」人が、常軌を逸したキツイ言葉を使うのか。


注目、されたいからじゃないかと、考えました。


SNSで感覚が麻痺してくると、当初は同調や称賛を求めていたのが、やがて批判でもかまわない、とにかく注目されることが目的となっていく。

見過ごされるよりは炎上した方がマシという。


親や教師の関心を引くために、騒いだり、あえて悪いことをする子どもと同じかな。


なので、称賛されたくて、本心ではない美辞麗句を並べるのと、その精神性は共通するものを感じます。


誹謗中傷を誹謗中傷だと気が付かず人目を引く言葉を選んでいる人から見れば、綺麗ごとを並べている人がさぞ嘘くさく見えているのだろうと思う。


でも。

いずれも歪んだ承認欲求を持て余しているというか、SNS依存型かまってちゃんというか。


なお、注目されることを目的とせず誹謗中傷ギリギリ発言をしている人もいると思いますが、多分だけど、そういう人は大概炎上しないんだよね。


自分自身が、他者を巻き込まず、自分だけの意見や感想を述べるなら、それは誹謗中傷にならないのではないか。

それでも誹謗中傷になり得るパターンもあるかもしれないので、あくまで仮説です。


つまりは、他者からの注目を集めないと自分自身の存在意義に自信を持てない、子どもじみたSNS依存のかまってちゃんが、世間の注目度が高いWBCや侍ジャパンの話題に便乗して、炎上覚悟で選手や監督の誹謗中傷を行ったということなのではないか。


おおいに迷惑。


私は旧Twitter(X)大好きなんですが、属性がツイッタ民に限られるとは言え、世の中や日常に関してリアルな声を目にすることが出来るからというのが大きいです。

なので、トレンド入りを狙った投稿や、いいね目当ての投稿などがあふれているとゲンナリするのですが、それらは言論の自由で守られているから、まあしょうがない。

だが、炎上覚悟かまってちゃんの誹謗中傷は、それは駄目だ。


そんなんじゃない心からの声を見たい。

お腹すいたとか、寒いとか、そういうのでいいんです。

実は、他人の目を一切気にしない、自分の本心をそのまま言葉にするのって、意外と難しいです。


インプレッション稼ぎで本心ではない誹謗中傷するよりも、誰からも注目されなくても本心を言葉にする方が、いいと思う。

まあ、注目されていない私が書いても書いても世間に伝わらないんですけど。


バズりもせず、炎上もせず。


ただ、なるべく技巧を凝らさず、思ったことをありのまま書くだけ。

その方が精神衛生上はいいと思うんだよな。

長期的に見ていいと思うんだよ。

誹謗中傷にかわるやり方として、おすすめしたいです。








SNSもインターネットも普及する前の話なんですが、私はわりと写真を撮るのが好きなように見える人でした。

まどろっこしい表現ですが、要するに、自分が写真に写りたくないので、何かあるとカメラを持参して撮影担当になっていたということです。

私が若い頃にはカメラ女子など、少なくとも私の周りにはいなかった。

男女問わず、撮るより撮られる方を好む人が多かったと思う。

そこで、私はなるべく自分が写真に写らないですむよう、カメラを買いました。

「本格的にカメラをやっているわけではないけど、写真を撮るのが好きな女子」を長年演じていました。

そんな感じだったので、現在も時々カメラを手にしたいと思う瞬間があります。

球場に足を運ぶようになった頃、ちゃんとしたカメラとレンズを入手するか、しばらく考えていました。


しかし、未だにスマホでちょっと記念撮影するのみ。

経済……うむ、経済的にものすごく余裕があれば買っていたでしょう。

携帯電話やスマホではなく、カメラと高いレンズを使って撮ったら、自分がどのくらいの写真が撮れるのか、気になるし、挑戦してみたい気持ちは今もある。

だが、未だに「スマホクオリティですんまそん」とつぶやきながら無難な写真を旧Twitter(X)にアップするのみ。


現地観戦をするようになって、プロ野球ファン界隈で当たり前なことの中でなかなか慣れないこともありました。

実は、試合中に写真撮影がOKというのにも、最初は「えっ!?」と思ったんですよね。

あ、そうか、コンサートとは違うのか、と。

長年、アルフィーファン界隈にいるため、そこを基準に物事を考えるくせがついています。


あ、そうっすね、記念撮影的に撮るよね、みんな。

え、選手のどアップ写真もSNSにあげてもいいのか、そうか。

全体写真も全身図もアップも、試合中の写真にかわりはないもんな。

練習中の写真も大丈夫なんすね。


え、移動中とかの写真だよね、これ。

どうなんだ、仕事中ってことで、いい、のか……??

あ、これは、どっちかと言うと、プライベートよりな瞬間じゃないのか……??


選手の肖像権やプライバシー権について考えたことがあるのか、考えた上でSNSに載せているのか。


考え始めたら何も出来なくなりかねませんが。

なんとなく許されているから、私もスマホで選手の写真を撮っていますけど、許可撮ってないですし。


他人を相手に無許可で撮影するなど、普段の生活ではあり得ないので。

家族を、自然な表情を撮りたいから、内緒で撮影することはありますが、それも後から確認してますし。


偶然の映り込みなどは仕方ないですが。


旧いかもしれませんが、神社の本殿にカメラを向けてはならないと言われていた年代なので。

風景写真だと捉えればナンセンスなのかもしれませんが、「そこにどなたかがいらっしゃる」と思えば、許可なく写真を撮ることは失礼であるという感覚。


肖像権やプライバシー権、パブリシティ権がどうのという以前に、礼にかなっているかどうか。

そこなんですよね、引っかかるのは。

礼として目に見えなくても、仁の心があるかどうか。


まあ、権利侵害を訴えることができるのは、侵害された当事者に限られるのだから、第三者がとやかく言うことじゃないんすよ。

そうなんすよ、そうなんだけど。

写真の著作権より被写体の肖像権が優越すると、私は思うんですけど、実際どうなのか。


ファンが選手の写真を撮影出来ること自体は良いことだと思う。

素晴らしい写真がたくさんあるからではなくて、活動が自由であることが。


昨今のSNSへの動画や写真規制に対して、「素晴らしい写真があるから」「ファンにとって有益だから」認めろといった意見も見かけますが、そのものが素晴らしい写真や動画であるかということと、規制は別にして考えた方がいいと思います、ね。


なんというか。

私の若い頃とは違って、写真を撮りたい人がずいぶん増えたなぁと思います。


素敵な写真が撮れたから全然関係のない皆さんにも共有しようというのは、素晴らしいことなのですが。

しかし、その、なんというか。


承認欲求のために、選手を、SNSを、利用しているのかなーーと感じることもありまして、しかし、それ自体は問題行為ではないし、結果、みんなが楽しんでいるならむしろ称賛すべきかなと思ったりもします。

承認欲求なんかじゃありません!!キリッて感じでありつつ、自分の味方を増やそうという潜在意識が透けて見えたり。

それでも、その写真がいい写真ならば、その写真自体の素晴らしさはかわらんのよ。

けど、モヤるんです。

私がモヤるのも仕方ないし、他人の承認欲求も仕方ないし、人は味方を欲しがるものです。


私が旧い人間なのは自覚しています。


旧い人間ですから、皇室の方々にカメラを向け、動画をアップするなどは思いもよらなかったなと、天覧試合の翌日にしみじみ思うなど。


時代遅れな私は、おそらく当分、球場でスマホでパチリしているでしょう。





実は、WBCをちゃんと観たことが一度しかありません。

前回の2023年の試合は、真剣にテレビで中継を観ていました。


感動のあまり、準決勝と決勝の試合は録画をブルーレイディスクに保存しました。

その日の新聞のテレビ欄を切り抜き、インデックス代わりにしたのは、我ながら良いアイデアだと思っています。


当時、侍ジャパンの優勝はないだろうとの予想が主流だったと思う。

当時の職場で、毎日のようにWBCの話をしていたNPBファンの方も当然決勝の試合を録画設定しているものだと思っていたら、勝てないだろうから予約録画しなかったと言っていて、驚きました。


あいにく私はアメリカの野球をよく知らない。

MLBに関して記憶に残っていることと言えば、野茂英雄投手がメジャーに挑戦するとなったときに、マスコミも世間も応援すればいいのにと思ったこと。

また、イチロー選手がメジャーに(以下同文)

やってみなければわからないのに、「どうせ無理」と決めつけたがるのは、悲観的で卑屈な国民性ゆえからか。

それよりもマスコミの底意地の悪さのようなものを感じ、以来、野球の報道に関してはあまり期待していない。

また、私はあまり国際大会を真剣に観ていない。

スポーツ自体が大の苦手なため、娯楽として観戦を心から楽しめるのは、日本のプロ野球に限られていることもある。

それと、WBCに関しては、なんだか一回目のときに古田敦也さんがめちゃめちゃ苦労していた記憶があり。

詳しいことは覚えていないが、大変な条件を押し付けられていた気がする。

さらに、公務に携わっていたときは、年度末はとにかく忙しかったのです。

こっそり休日出勤したりしていたこともありました。


2023年は年度末も何も関係なく、しっかり野球中継を観ることが出来ることに気がついて。

初めて、ちゃんと試合を真剣に観始めたのです。

よく知らないからか、知らないなりに考えた結果としてか、「もしかしたら優勝するかも」と思って観ていました。

「優勝して欲しい」んじゃなくて、「優勝するかも」と。

短期決戦だから、勝ち上がれば可能性はあると思いました。

決勝でアメリカチームと対戦するときにも、「勝つか負けるかだから、五分五分でしょー」と。

雑です。データも何も、どう見ればいいかさっぱりです。


2023年の大会で、今でも鮮明に思い出せることと言えば、チェコチームが素敵だったこととか、

周東佑京選手の足が速すぎてびっくりしたこととか、

そんなに多くはないのですが。

その中でもやはり、決勝の最後の場面は、試合後も何度も映像が流れたおかげもあり、しっかり記憶にあります。


試合中は勤務時間だったので、試合映像は帰宅してから録画で観たのですが、結果はわかっていても緊張しました。


9回裏の、大谷対トラウトの名場面


母と私は、中村悠平を観ていた。

優勝が決まった瞬間も、その後も、ずっと中村悠平捕手を目で追った。


ムーチョが、世界一のキャッチャーになった。


世界一のキャッチャーの定義が何なのか、正確にはよくわからない。

国際大会で優勝したチームのキャッチャーなら、みんな世界一じゃないか。

どこまで、いつまで有効なのか。わからんけども。

あの瞬間は間違いなく、中村悠平は世界一のキャッチャーだった。


「ムーチョが、世界一のキャッチャーになったよ……!!」


あの日、侍ジャパンの優勝以上に中村悠平捕手の活躍を喜んでいた母と私でしたが、それは家の中でのことなのでご寛恕ください。


さて、2026年のWBCですが、ラジオで観戦の予定です。

どのチームが優勝するにしても、面白い試合が観られれば……観られないんだ、聴ければいいなあと思います。

なんなら面白くなくてもいいんです。

感動しなくてもかまわんです。


野球の試合が出来る。

それだけで、なんかわりと幸せなことだよなと、わりといつも本気で思っています。

ヤクルトファンに舞い戻ってからしばらくの間は、旧Twitter(X)にかなりお世話になりました。

分からないことはとりあえずネットで調べていました。

父がいた頃は野球に関することはまず父に尋ねていましたが、そのときには私が母から色々訊かれるようになっていたため。

試合中はヤクルトファンのツイート(ポスト)も多いので、それらを見ていけば、ファンが試合をどのように観てどう感じたかの他にも様々な情報を得られるだろうと。

最初は#swallowsタグをひたすら追い、そのうちにタグなしの感想、やがてむしろ検索に引っかからないようにしている呟きを探し。

Twitterでファンの皆さんのツイートを読むことで、勉強させてもらっていました。


ファンの感想が100%正しいわけではない。

SNS上に上がる感想がすべてではない。

むしろ、ファンがあえて呟かないでいること、の方が大事なことだったりすることもある。


後にそのように感じるようになりましたが、少しのことにも先達はあらまほしきことなり、ヤクルトファンのツイッター民の皆さんが私にとっての先達でした。


ファンの感想が正解ではないとしても、ネットの感想がファンの声代表ではないとしても、ネットでの最頻値や中央値、最大公約数的な感想を捉えることは、おおいに参考になりました。


そんな具合に、ずっとヤクルトファンの呟きを眺め続けていて、当時感じたことが。


なんか、ムーさんに対して当たりが強めじゃね!?


どんなにその日いいプレーをしても難癖をつけるファンはいる。

他の選手に対してもキツい人はいる。

苦言を呈するのが至上のことのように思い込んでいるのか、あえてほめない人もいるっぽい。

何が何でもポジる人もいらっしゃるので、バランスをとっているんすかね。


いや、それにしても中村悠平捕手に対して、全体的に厳しくないか??


余談ですが、ヤクファンに復帰してしばらくは箱推し??ゆーか「知ってる選手がほとんどいない……強いて言えば高津監督推し、ですかね」な母と私でしたが、しばらくして私は長岡秀樹選手ファンになり、母は中村悠平捕手ファンになっていました。

なので、中村捕手は私も注目していました。

2021年シーズン終盤からヤクファン復帰した私どもにとっては、中村捕手は絶賛、大感謝ことすれ、苦言を呈するなど思いもよらないことでした。

見ている限りは人柄だって良さそうじゃないか……

何故、2021年日本一の功労者のムーチョがファンから厳しく当たられがちなのか!?

長い間の謎でした。


やがて少しずつわかってきたことには、どうやらヤクルト暗黒期とやらが影響しているらしい。

2017年……うちがプロ野球の試合中継を全く観ていなかった年です。

当時の話を目にするたびに、

おおう、そうか……大変だったんだな……

観ているファンもしんどかったんだな……

などと、応援し続けたファンの皆さんに対する労いと感謝の思いがわきあがりました。


が、しかし。

どうやら、その当時の中村悠平捕手に対する批判を引きずってコメントしている人がいるっぽい……??


いやいやいや、当時は当時だし、ムーさんめっちゃ選手として成長しているんだから、現在を観ようよ。


これはあれか、いわゆる「一貫性の原理」か。

自分の発言を一貫性のあるものにしたいがために、過去の中村悠平捕手への批判を引きずっているのか。

あー、そういったバイアスは取り払っていこう。


てゆーか、手のひらを返すのがプロ野球ファンでしょうが!!

選手が活躍したらどんどん手のひら返していこうよ!!


信念に固執するべきなのは野球観戦の場面ではない。


そう思ったんですが、他所様の気持ちを変えることは出来ないですし。


せめて、わが家はムーチョを応援しよう……

そう思い、「お土産ーー(^o^)」と言って、母に中村悠平捕手のタオルを渡しました。

二人で現地観戦するときには一緒に掲げています。


中村悠平捕手に感謝していることの一つに、ムーチョファンになったことで、母が捕手がどれだけ重要なポジションかわかった、ということがあります。

逆に言えば、父と私がかつて古田敦也さんの凄さを語っていても、その凄さがわかっていなかったということが明らかになりました。


話を聞いた時にはびっくりしました。

さんざんテレビで試合を観ていても、古田敦也捕手の凄さがわからんこともあるのか。

私も理屈じゃなくて感覚で「すごい」って思っただけだからなーー……

母にも伝わる説明を、父も私もしていなかったな。


ん??

もしかして、中村捕手の凄さや素晴らしさを実感できていない人が、バイアスかかったままのコメントを見て、そう思い込んじゃったりすることもあるのかな。

嫌だなあ。

ちゃんとわかっている人がいればいいとか、ファンはわかっているからとか、そう思えばいいのかもしれないけど。

ムーさんが過小評価されているのは、やっぱり嫌だなあ。

そう思いながら、他人のバイアスはどうにも出来ないもどかしさを感じていました。