昭和塾堂へは御朱印ウォーキング 金山~覚王山の時に訪れました
昭和塾堂
この建物は昭和3(1928)年、八幡宮より境内を借り受けた愛知県が建設したものである。「昭和塾堂」の名は第21代愛知県知事柴田善三郎によって命名されたものであるが、時は関東大震災の直後、満州事変の直前という難局にあり、とりわけ男女青年団の意義は重要視され、青年層の教育・育成に対して県として大きな関心を寄せていた。その様な背景から、昭和改元の記念事業として、柴田知事が中心になり青年教育・社会教育の施設を建設する運びとなった。当時日本建築構造学の権威、佐野利器(としかた)博士の助言のもとに愛知県営繕課酒井勝、足立武郎(設計主任)、黒川巳喜(意匠図・黒川紀章の父)、尾鍋邦彦(構造図)等が設計し、完成したものがこの昭和塾堂であり、いわゆる「教化殿堂」「人づくりの殿堂」として建設されたものである。尚、佐野利器博士は、明治神宮造営局参事を務め、名古屋市庁舎・愛知県庁舎建設の顧問にも就任している。
城山八幡宮HPより抜粋
詳しくは城山八幡宮HPをご覧下さい♪
名古屋市覚王山にウォーキング来なければ、昭和塾堂に行けなかった。
またここに来なければ、城山八幡宮にも行けなかった
両者に呼ばれたかもね