軍艦島37 再び解説 | 郷土を愛そう!散策しよう♪ウォーキングブログ

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〔2014年6月19日の記述リニューアル再アップ〕

軍艦島36

軍艦島初めての方へ!ラブ

自分のブログの常連様はご存知ですが
(笑)自分は廃墟マニア。

正確には軍艦島&廃墟&建物マニア(笑)

軍艦島と言うと、聞こえが悪いと思いますが、

軍艦島…正式名称`端島´(はしま)

場所は長崎県西彼杵郡高島町の沖合いに浮かぶ半人工島。

もとは岩礁で1810年に石炭が発見され、1890年(明治23)に三菱の所有になり石炭採掘開始。炭鉱の廃土で周囲を埋め立て、現在の形となる。

軍艦島の名称由来→旧日本海軍の軍艦土佐に似ているからと言われている。
 



(ネットより添付)
この島は、南北約480㍍、東西約160㍍、周囲1,2㌔の小島。


ここには日本最古の鉄筋コンクリート造の高層アパート30号棟がある。

真ん中の建物が30号棟
(大正5年建設)
※オリジナル画像、無断転載禁止


その後も続々と高層アパートが建築された。


増える人口。狭い土地。建物は高層化
が進む。(画像ネットより添付)



上の白いのが、端島で最後に建築され
た、3号島(昭和34年建設)

※オリジナル画像に、無断転載禁止

唯一内風呂がついていた。


人口は最大で昭和34年には5259人。
人口密度世界一。当時の東京の人口密度の9倍。

また

日本初海底電話(1938年 昭和13年)

日本初海底水道(1957年 昭和32年)

それぞれ完成。

1958年(昭和33年)には全国に先駆け、テレビ、冷蔵庫、洗濯機の普及。

娯楽施設も充実…パチンコ店、映画館もあった。

まさに冬至の最先端の技術が投入された未来都市であった。

当時の画像(ネットより添付)

でも、過酷な炭鉱の労働、爆発事故、
先の大戦時の中国人や朝鮮人の強制労働と暗い過去もある。

国のエネルギー政策が石炭から石油にかわり、石炭の需要がだんだんと減り、昭和39年には人口も3000人余り。

昭和48年に石炭採掘が終了し、昭和49年閉山式。住人は本土へ退去し、以来30年以上廃墟になる。

ロマン感じません!?(^-^)



愛知県にある、明治村の中の軍艦島模型。当時を再現している。



(ネットより添付)
木造の建物は風化し朽ち果て、今は跡形もない。

分からないのは…



このように遺留物が沢山あるのだろうか…

興味沸きません?(^-^)

本やDVD出てます。気になる方は調べて下さい♪(^-^)


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