軍艦島29 風化する島 65号棟解説 | 郷土を愛そう!散策しよう♪ウォーキングブログ

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〔2013年5月1日の記事リニューアル再アップ〕

この前、同僚と上司が旅行で軍艦島に行った。

今は観光地となっていて、軍艦島クルーズというツアーで行けるのだが、上陸しても少しの部分しか行けない。

しかしそれでも好奇心を抱くのに十分であると思う。

同僚から聞いたのですが、軍艦島に上陸したとき、ガイドさんがこう言ったそうだ。

「今見ているのが皆さんが見た軍艦島です。次来たときは違う姿をしているでしょう。刻々と変化を続けているのです。」

そうです、この島は絶えず変化するんです。

台風が来るたびに壊れ、また時間の流で風化し、畳は腐り、木は朽ち果て、ガラスは割れ、遺留物は残る。

コンクリートは剥げ、トタンは錆びて無くなる。

皆さんが軍艦島へ言ったら、それが今の軍艦島の姿です。

次きたら違う姿を見せるでしょう。

「あれから数十年!この端島は荒れるにまかせ朽ち果てていたこの島はもう再びよみがえることはない」
端島(通称軍艦島)の66号棟鉱員合宿(啓明寮)に書かれた有名な落書き文。



蘇る事はなく、これからも朽ちて行くでしょう。

それが軍艦島の魅力でもあるおねがい
 
 
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自分は昔軍艦島へ上陸しました。

あの時の思い出は一生ものです。

この島はその朽ち果てていく過程が大事なんです。

それは人類の墓標とも言えるでしょう。

では改めて紹介しましょうニコニコ


正式名`端島´(はしま)通称‘軍艦島’


長崎県西彼杵郡高島町の沖合にある人工島。

南北480㍍、東西160㍍、周囲1,2㌔
この小島に最盛期5000人住んでいた。

この島は炭坑の島。

岩礁だったこの島は、炭坑の廃土でどんどん埋め立てが進み、今の形になった。

鉄筋のアパートが立ち並ぶ島の姿が、旧日本海軍の‘戦艦土佐’に似ていた事から、軍艦島と呼ばれるようになった。



これは自分が最も興味をもった建物、65号棟。

通称`報国僚´

何回も紹介しています爆笑

軍艦島12⬆過去記事リンク


改めて65号棟を紹介します!爆笑


島内最大の建物で地上9階・地下1階。

コの字形アパートで、戦争中の物資不足の中で完成。

ちなみに北側の棟は戦後に増築された。10階建。

10階には保育園がありましたニコニコ

エレベーターシャフトはあったが、エレベーターは最後まで付かず、シャフトは居住スペースにあてられた。

各階に共同便所が付いている。

しかし新しい北側の新棟は、部屋にトイレが付いている。

また旧棟は木造の玄関だが、新棟は鉄扉。

戦前に建った方と戦後に建った南側と
の違いがわかる建物です。



コの字形。右側が新棟。

この正面の空間には、児童公園があったニコニコ



出っ張り部分がエレベーターシャフト


居室として使われ、エレベーターは付かなかった。



朽ち果てていく…

次見たら違う姿をしているかも。



正面が65号棟南側。



南棟。

このように65号棟一つをとっても好奇心わきませんか?爆笑


この島には日本初のRC造のアパートがあります。

また時代の最先端の島でもありました


軍艦島の詳細は当ブログでニコニコ

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軍艦島30