少女がぶっ飛んできた。その瞬間を表現するならコレが一番適切。

俺は「いつもの神社」へ散歩に行こうと、街道沿いを歩いて一の鳥居をくぐり抜けて二の鳥居まで。その鳥居の間をぼんやり歩いていた。本当にぼんやりしていたようで、脇道も無い路上で少女とぶつかるようじゃこの先が思いやられる。しかし少女の方も、なんですれ違う余裕はある道路で、俺に突っ込んできたのだろうか?

ぶつかった瞬間に身体を斜めに逃がした、咄嗟の行動だった。そのお陰で「正面衝突」からの大ダメージは受けなかった。俺は受けなかったが少女はどうだろう?いや元気そうだ。下の方から見上げてくる視線は素晴らしく・・・その・・・なんと言うか美しかった気がする。

ちょっとの間をおいて少女がのたまう。

「ごめんごめん。やっと見つけてつい嬉しくって」

「は?君は誰だよ」

「あたしだけど?」

「知らんよ、あたしと言われても」

「マジ?あたしを知らないってマジ?」

「知らねーよ」

「思い出してよ。あたしの名前」

俺は混乱しながらも記憶を探る。いやしかしこの小学生高学年っぽい女の子と「お友達」だった記憶は無い。そもそも、「思い出さなければならないほど前の話」と言うなら、この少女がもっと小さい頃の話になる。どうかすれば10歳以下の女児なんて、俺が見ただけで事案になるような話だ。

「記憶にない・・・」俺は少女を見下ろしながら呟いて、この距離では視線が合わない。俺は人と話をする時は、必ず相手の目線の高さに合わせることにしている。恋人が低身長だった場合は除外するが。

「よく思い出して」

俺は中腰になって少女を凝視した。相手が話しかけてきているんだ、見詰めてもいいだろう。いや、視線が合っただけで事案になりそうな少女だった。美少女なのだろうか?かなり可愛い部類に見える。好みの差こそあれ、小学生にしては身長があり(140㎝あるかな)顔立ちが整っている。昨今のなんちゃら48とか坂道とかのアイドルよりは美形だ。俺はロリコンではないが、可愛さ美しさは年齢に関係ない。この少女の目は薄い茶色だ・・・記憶を探っているうちに俺はとんでもない過去に戻っていた。アレはもう20年以上前のことで、この少女は無関係だが、その郷愁に浸ることにした。

 

俺の両親は離婚している。23年前のことで、俺はまだ5歳だった。親権を争うようなことは無かったのではないかと思う。比較的スムーズに母親に引き取られたはずだ。世の中、仕事で忙しい「お父さん」に親権が渡ることは難しいだろう。その両親が離婚した前後のことだろう、俺はひと時父の実家に預けられている。父の実家だと判断した理由は、その家を再び訪れることが無かったからだ。母の実家は秋田県のデカい農家で、小学生時代に何度も「田舎のお祖母ちゃん」に会いに行った。どう考えてもその母方の祖母の記憶があるだけで、父方の「親戚」すら知らない。

だが、あの「家」で過ごしたことがある・・・

記憶の中のその家は、離婚前後と言うこともあってかなり殺伐としていたのかも知れない。甘やかされた記憶も冷遇された記憶も無いと言うことは、つまりそう言うことだ。俺はその家に懐くことは無かった。記憶に残るのは灰色の坂道。かなりの急坂で、上から見下ろすと左手に小さな「お堂」がある。

雨が降っている。俺は灰色の坂を下りて灰色のお堂の中に潜り込んだ。色の無い記憶だ。お堂の中は薄暗いが寒くは無かったように思う。お堂の中で俺は年上の「お姉さん」にあやされていた。記憶にあるのは1回こっきりだが、その「お姉さん」はとても優しかった。そうだ、俺は父方の実家ではあまり愛されていなかったんだろう。だから「優しいお姉さん」が好きだった。きっといつだって優しかったのだろう。俺の横に座り、ちょっと上から俺を見下ろしながら・・・

「なぁな?」俺は呟いていた。なんで思い出すことなく過ごしてきたのだろう?

「あっきれた・・・それがあたしの名前?」

その少女は数秒考えてこう言った。

「いいわ、ソレがあたしの名前でもいいよ」

「優しいお姉さん」の瞳がその少女の瞳と重なる。

「なぁな?」

 

少女は立ち去った。数歩歩いて俺を振り返る。その瞳は妖艶と呼んでもいいものだった。