ケーキが大好き。

それはもう、ホールケーキ丸ごとにかぶりつきたい!と思うくらいに。

やった事はないけれど…


先日、姉Bとケーキバイキングに行ってきました。

近くのイタトマですけど(* ̄(エ) ̄*)

イタトマのケーキはとにかくでかいので、二人ともあまり戦果は期待できないと思っていましたが、1個目が思いのほかぺろりと食べられてしまって、何だか『無敵』な気分に…

およそ十分弱の間に、それぞれ2個のケーキを完食してしまいました。

それからピッチは遅くなったものの、二人で合計、なんと10個も食べちゃったのです!!



美味しかった~♪



それぞれ、同じものは食べないように気をつかって(?)いたので、ほぼ全種類食べられましたし、なんだか話も弾んじゃって、本当に楽しかった!

昔は…思春期の頃は、姉Bほど苦手な人間は居なかったんですけれどね。

色々なことでぶつかりあって、同じ空気をすってることにすら、嫌悪感抱いたり。

でも、今となっては家族の中でも一番の理解者。

歳近くうまれてよかったのかもな~と思っています。


が、しかし。

恐くてバイキング以来、体重計には乗っていません!!

二人とも、お互いの加重具合をさぐりあい、その度合いを見て自分の増量具合をイメージし、衝撃を減らそうと目論んでいるため、いまだ軽量できずに入るのです…

今夜辺り…抜け駆けしてこっそりはかってみましょうかね( ̄◇ ̄;)

『女神』 三島由紀夫


新潮文庫から昭和五十三年に発行されています。

三島由紀夫さんの短編集で、『女神』のほか、『接吻』『伝説』『白鳥』『哲学』『蝶々』『恋重荷』『侍童』『鴛鴦』『雛の宿』『朝の純愛』など。

私が学生時代に主に学んでいた事は、いわゆる古典文学に偏っていまして、国文卒業と言っても、近代のほうはからきし、というていたらくなのですが、三島由紀夫さん、谷崎潤一郎さん、芥川龍之介さんなどの作品は、中学や高校時代に趣味として読ませて頂いていました。

ひさしぶりに図書館で目にして、通勤の合間に読もうと借りてきたのですが…三島さんの女性を見る目のマニアックなまでの綿密さとこだわりの深さに、改めて気付かされました。

(いや、本題は勿論別にありますが、高校時代までには気付かなかったほどの彼の設定の深さに、驚かされてしまったんです)

男性美に対しても、神経質なまでの美への執着が感じられるのですが、むしろ女性を審美する目の三島さんからは、彼の中の強い女性性が浮き彫りにされているようで、写真などから受ける精悍なイメージの三島さんとの差異に戸惑いを感じるほどでした。

完璧な美を追い求めるが故の、妥協できないという不幸が、この一冊には随所に見られ、これはそのまま三島さんご本人の苦悩でもあったんだろうなと思ったり…しました。

全然関係のない話題なんですけれどね。

↓を書いていて思い出したことがあります。

以前、知人(日本語教師)が、面白い話を聞かせてくれたんです。


ある日、知人は「もし~なら」をつかって、文章を作りましょう、という授業を、海外からの留学生さん相手にしたそうなのですが、その中に、

「もし、ここは奈良ですか」

という文があったことを教えてくれました。


彼女は「もし~なら」で、仮定文を作って欲しかっただけだったのに、時代劇にでもでてきそうな文章が帰ってきてしまい、授業中、アッパーカットでも食らわせられたかのような衝撃を感じたそうです。

私も、あまりの渋い台詞(笑)に、時代劇に出てくるような、○○庵とかに住んでいそうな儒学者とかを思わず想像しちゃって、涙流して笑い転げてしまいました(* ̄(エ) ̄*)

気分は、昔TVでやってたさんまのからくりテレビのファニエストイングリッシュ?でしたっけ…のコーナーですよ。

ほんっとうに、キュート!

ほんっとうに微笑ましい珍事件でした(笑)

私は、既に「言葉づかいが崩壊してきている」と言われて久しい時代に生を受け、育ってきた人間です。

だから、なんて免罪符にはなりませんが、やはり、美しい日本語が話せているか、と問われたら、いいえ、とお答えするより他ありません( ̄◇ ̄;)

ですが、そんな私ですら、ギョッとするようなことに、近年特に見舞われているような気がしてなりません…


数年前、ある金融会社の社員さんが、街中でポケットティッシュを配っていらっしゃったのですが、私の前に一つ差し出し、その方が仰った言葉に、度肝を抜かれました。

「頂いて貰えませんか?」


…。


反応に困りました。


この方は、丁寧な表現を心掛けていらっしゃっただけなんでしょうけれど、よりにもよって、お客さん(利用したことはありませんが、あの社員さんからすれば、将来の利用者候補?ですよね)に対し、自分が配っている粗品をありがたーくいただいちゃってくれない?と言っちゃったわけです。

罪のなさそうな笑顔で私の戸惑いに気付かない社員さんは、固まっている私の手にティッシュを押し付け、次のターゲットへと歩み寄っていきましたが、長い事、この一言は、私の中に大変な事例として残りました。


自分に対して敬意を払え、というつもりはありませんが、この場合、「貰っていただけませんか?」の方が、無理なく適切な表現だと思うのですが、それがちょっとひっくりかえっただけで、とんでもなく上から物を言うような態度に転じてしまうという恐ろしい例を見せていただいたような気がしました。

学生時代ならば、まだ笑って許されるようなミスですが、社会にでておかしてしまったら…大変な事になってしまう表現ですよね。


この事件?のお陰で、何気ない敬語の使用ミスが、とんでもない事になりうる事を学べて、敬語について見直す機会を得られた事は、まあありがたかったかな~と思いましたけどね。


で、このびっくり発言以来、ここまで度肝を抜かされるような発言には、幸いにも出会わずに来れたのですが…先日、思わず振り返ってしまった事件が起きました。

それは、同僚さんの一言。

その子は、地元国立大学を卒業したての若人で、にこにこ笑顔が可愛く、受け答えも丁寧で、本当に皆に好かれ、可愛がられているこなのですが…利用者=お客様に対して、とんでもない事を言ってしまったのです。


敬語と謙譲語との区別がつかない、という人も少なくないと思いますが、敬う相手の行動「なさる」と、自分の敬う相手への行動「いたす」は、基本的なものである分、あまりしくじっちゃうこともない言葉の一つだと思ってきたのですが、利用者に対して、「○○いたされますか」とそのこは言っちゃったのです…

後で他の作業をしていた私は、思わず振り返り、目をまぁるく見開き驚いている利用者さんと、思わず見詰め合ってしまいました。

慣れない職員との会話に動揺した利用者が、私が申し上げた敬語を、思わず鸚鵡返ししてしまわれる事は結構あるのですが(○○なさいますか、という私の問いかけに対し、○○なさいます。と応えちゃう方、結構多いんですよ)…職員側でのこういうミス発言?があるとは思っていなくて、動揺を隠せませんでした。


ばりばりに敬語や謙譲語を使いこなせる職員、というのも、何だかとっつきにくかろうと思うので、適度に使い分け、曖昧な所は丁寧語で乗り切れば良いんじゃないかな~なんて楽観視してきたのですが、今の日本は、そういう事を言っていられないレベルにまで、対人会話力が低下してしまっているんじゃないかと、改めて危機感を抱いてしまった事件でした。

我が家で今持て余されているもの…それはじゃがいも。

去年は、とんでもない量のじゃが芋、しかも男爵をこさえてしまった父が、その処理を私に押し付けてしまったために、そのしょうひ方法に、、私は長い事悩まされました。

我が家は、カボチャで言えば、恵比寿カボチャ(くりかぼちゃ)のような、ぽくぽくしたものよりも、ねっとりしっとりしたかぼちゃがお気に入り、という嗜好の家です。

それは、そのまんま芋にも通じておりまして、さつま芋をふかす時は、ぽくぽくよりも、しっとりとふかし、じゃが芋も男爵よりもメークインを好んで消費してきました。

その我が家に、男爵芋がてんこもり。

芋もちにしてみたり、マッシュして、砂糖やミルクを加え、饅頭のあんこにしてみたり。

(このじゃが芋饅頭は、幼い頃からの祖母の得意料理?で、未だに何か親戚が集まるような席では、普通のあんこの饅頭と一緒に、折り詰めに詰められて配られています。すごーく美味しい上に、綺麗なクリーム色に仕上がるので、見た目もよいんですよ~)

肉じゃがやカレー、じゃが芋のポタージュなど、色々頑張ってはみたのですが、肉じゃが、カレーなど、大量消費が期待できる料理では、ことごとく「食感が好きではない」だとか、「味のしみ具合が良くない」だとか、酷評の連続でした。

(魔法瓶状の鍋「魔法鍋」で一晩に続けたのにですよ)

そんな家族達をなだめすかし、じゃが芋料理とむき合わせ続けたあの日々から幾月。

今度は、皆が大好きなメークインさんたちが大量に収穫されて着ました。


始めは、ただのバター焼きにも「やっぱりメークインはちがう!」と絶賛。

ただのカレーにも「やっぱりメークインは違う!」と絶賛。

そして、ジャガイモンブランにも「やっぱりメークインは違う!」と絶賛の嵐。

だったのですが、もうそれも一ヶ月を過ぎる頃から聞こえなくなり、いまでは「また芋…?」と、処理を押し付けるだけで何の手伝いもしてくれない無責任な生産者からの、「もう食べたくない…」というような言外のアピールが見え隠れするお言葉にとって代わってしまいました。


でも、ある物はあるのですから、使わない事には…

ということで、カレーよりも何よりも、一挙大量消費が出来るこのメニューを選択しました。


じゃが芋は、大きめの乱切りにし、レンジでしっかり加熱。

フライパンに、大きめにカットした粗引きソーセージ、冷凍していた肉団子(ハンバーグと同じ)を炒め合わせ、大きめ乱切りのピーマンを合わせ、さっと火を通したらボールにあける。

鍋に串霧タマネギを入れ、しっかりいためたら、トマト、トマトケチャップ、砂糖、塩胡椒、市販のハヤシライスのルーを2欠け程入れ、お湯、じゃが芋を加え、煮込む。(さっとで構わない。)

じゃが芋がソースと馴染み、水気が減ったら、ボールの中身を加え、味を調えて出来上がり。

緑が綺麗だし、カレーなどよりも、しっかり主役としてじゃが芋がごろごろしているので、倍量位は消費できますよ。

『人はなぜ「美しい」がわかるのか』 橋本治


この「美しい」に限らず、私達が物事を解釈する際のものさしは、決して同じではありません。

その細部に至っては、「好み」と認識され、その人個人個人の判断によるものとされていますが、私達が共通してもつ「認識」については、どこでラインを引いて良いものか、悩んでしまいますよね。

この一冊の中では、真面目な顔して「そうだ、そうだ」と同意できる対象もあれば、思わず吹き出してしまうような対象もあったりと、自分自身、これまで「美」という土俵でとらえたことのない対象物の隠された魅力なんかにも気付かされたりと、最後まで飽きない一冊でした(笑)

なんとも、引き出しの多様な方だと関心(生意気!ですね( ̄◇ ̄;))しきりでした~




ところで、私は結構「何でそんな事考えるの…?」と、微妙~な目をした家族や友人に問われるような事柄について、深~く考え込んでしまう事があるのですが、これって私だけでは有りませんよね?

何で神社は二拍一礼なんだろう、とか。

(これに関しては、微妙に異なる神社さんもお有りだそうですけど。)

カレーの具の標準的な大きさってどのくらいなんだろう、とか。

(私のカレーは、具がでかすぎると評判?なのです。)

おはようございます、とこんにちは、のさかいはなんじなんだろう、とか。

(10時位からこんにちは、だと友人は主張しますが、私はずっと12時の正午からこんにちは、だと思っていたんですよね~)

「味あわせる」と、「味わわせる」は、どちらが正しいのか、とか。

(私は「味わう」というのだから、「味わわせる」だろう、と思っていたのですが、高校時代の現国の先生は、私の質問に対し、「味あわせる」が正しかろう、と仰いました…未だに納得できていません(笑))

こういうことについて、ずーっと長い事考え込んでいる私に対する周囲の理解はとても低く、「そんなくだらない事考えてる暇があるなら、このじゃが芋の皮むいてよ。」なんて、思考を無理やり中断させられる事もしばしばです。

でも、こういう小さな疑問の数々を束ねていった物が、私という人間の人格というか、思考を支えているんだと思うんですよね。

自分が何故なんだろう、と感じた事をほうっておくことは、私自身から目を背けてしまうことのように感じられるからなんでしょうか。よくは分からないんですけれど(笑)私が、日頃かしましい唇を閉じ合わせたまま、ぼーっと思考の海に身を投じている時こそ、私が純粋に私である、私で居られるときだと思っているんですよね。

まあ、結局は自分の中で考えがぐるぐると巡るだけで、たまーに忘れた頃に、思いがけず答えを頂く以外は、その疑問、悩みが解消されたりって言うのも珍しいという実の無い行為なので、忙しい方、すべき事が山盛り沢山で、とても無駄な思考の時間なんて作れない、という方以外は、「私ってこう言う人間なんだ~」と、自分が疑問に思える事柄から、自分を見つめなおしてみるのも面白いかもしれませんよ~

先ほど、日頃から何かとお世話になっております(笑)姫さまのブログ上で、大変な記事を読んでしまいました~

姫さまブログ、なんとTVデビュー&書籍化の可能性がお有りなのだとか!

姫さま…どんな時でも、やっぱり姫さまは姫さまです!

以前から、姫さまブログファンの方々からも、書籍化したらいいのになぁ~というようなお声がでていたようですが、本当に実現してしまうのかもしれませんね!

は~、何故か私も興奮してしまいました(笑)


姫さまブログは、本当にたくさんの方々から愛されていらっしゃって、コメントの一つ一つにも、皆さんの姫さまへの思いが感じられるようなものばかりなんです。

そして、とにかくたくさんの方が書き込んでいらっしゃるので、なんだかそこにお邪魔させていただくのもおこがましいようで…(>_<;)気が引けてしまったので、ちいさくこのブログで、しずかーに喜びを表現させていただいちゃったり(* ̄(エ) ̄*)

先月、私にとってかけがえの無い友人の一人が、結婚しました。

学生時代の最も辛かった時期を共に助け合い、支えあった、「親友」と呼べる人でした。


まだ学部生だった頃。

旦那さんとなった彼に気持ちを告げられて、途惑っていた彼女に、

「気になっているのなら、飛び込んでみてもいいとおもう。

嫌いな人と一緒にいることはないけれど、もしかして、凄く好きになってしまえる人かもしれない。

いまはまだはっきりわからない位の感情でも、明日は分からない。

結婚するわけじゃ無し、気持ちを楽に、知り合う位の気持ちで始めても良いんじゃないかな」

なんて、わかったようなアドバイスをしてしまった私に、そうだね…と静かな声で、一歩歩みだす事を宣言した友人は、それから二年半をかけて、当時想像もしなかった位の深い愛情を、彼との間に構築し、幸せな日を迎えました。


その二人が、披露宴で話した理想の家庭像が、

「明るく文化のある家庭」

でした。


何と言うか、感動してしまったんですよね。

明るい家庭は、誰しもが願う家庭像ですよね。

暗ーい家庭に、健全な精神は宿らないような気がします(>_<;)

しかし、それに留まらず、文化のある家庭を、と望んでくれた事に、なんとも大きな衝撃を受けました。

文化。

一口にはとても言い表せないものですよね。

一日やそこらでは作り出せないものですから。

時間をかけて、様々な要因と混ざり合い、形を作っていくものですから。

でも、これから何年もの時間を共に過そうと誓い合った二人が、その家庭という時間軸の中で、自分達の文化を築き、高めあうような家庭、関係を希っているということに、素晴らしく感動させられてしまったのです。


人は、堕落する生き物です。

高く保とうとする意思が無くては、何処までも怠けてしまえる。

家庭を作る以上、相手を思いやる心、愛する心がなくては、その関係を保つことは、とんでもなく困難でしょう。

でも、そのなかで、さらにもう一つ上に目標を置き、二人の関係をスタートさせたいと考えてくれた事に、私は何故か、「ありがとう」といいたくて仕方なくなってしまいました。


この関係、文化が作られる途中は、様々な形にもなったりするでしょう。

歪になる事もあれば、ほつれてしまう所だって、でてくるでしょう。

でも、それをどう補い合い、また新しく一歩を踏み出し、素晴らしい「文化」を築き上げてくれる事を、心から祈りたいと思っています。

















でも、やっぱり、大切な友人を奪い取っていった彼には、一言物申したいですね…

私の大切な友達を、遠い島国にさらって行くんだから、いっぱい、いっぱい幸せにしないと、ただじゃおかないんだからね!!

彼には、私のこの恨み、無念をしっかり背負って、十二分に、彼女を大切にして欲しいものです。

今日は、昨夜から実家に帰ってきていた姉Bのお弁当をつくりました。

遅出なので、実際に食べるのは晩御飯の時間…ということで、ちょっとボリュームのあるものを選択してみました。


ピーマンの肉詰め。

オムレツ。

サラダタマネギ、人参、エノキ、ソーセージ入りの和風スパゲティ。


手抜きでしょうか(笑)


ピーマンの肉詰めは、肉が1なら、野菜は同僚、もしくはそれ以上たっぷり入れます。

憂すぎる肉などと異なり、挽肉には脂肪がたっぷり含まれて入るそうなので、多く採ってしまうと、我が家の姉妹は胃もたれ、消化不良に苦しんでしまうのです…

今日は、サラダタマネギと人参をたーっぷり微塵切りにして炒め合わせ、小麦粉少々と塩胡椒、卵を加え、粘りが出るまで混ぜ合わせて種を作りました。

ピーマンにしっかりと粉をふるい、挽肉タネの表面にも粉をふるう事で、野菜とタネとが離れることを防ぎ、またお肉がかりっと色よく焼きあがります。

材料費はとっても安い!(笑)

シーチキンで代用も可能ですし、ピーマンじゃなくても、くり抜いたイモ類や、輪切りに下タマネギ、ゴーヤなどでも美味しく出来ます。

パン粉を混ぜたり、片栗粉を混ぜたりと、粉類(?)を変える事でも、かなり食感を違わせる事が出来ますし、シンプルにケチャップを添えても美味しいのですが、種に少しごま油を混ぜ、醤油、砂糖、酢、水溶き片栗粉で作った甘酢餡をかけても美味しいんですよ。

カレー味にも出来ますし、豆腐や椎茸を混ぜ込むのもおすすめです。

(豆腐の時には、鶏挽肉でも美味しいです。冷凍インゲンを刻んで入れると、食感も面白い)


決まった形はありませんので、色々と工夫をされてみてください!


そういえば、以前、鶏肉で作った時に、遊び心で栗の甘露煮を刻んで、豆類と一緒に混ぜ込み作ったのですが、意外にも好まれたんですよね。

甘味があったみたいです。


今日のピーマンは、我が家の畑になった初物。

大ぶりで、身も厚く、焼き上げた時も全然型崩れしていなかったので、お弁当映えして良かったです。

毎年、この時期になると「初物」として食卓に上る物ではありますが、やっぱり「初物」って特別ですよね。

我が家では、家の初物は必ず子どもに食べさせる事になっています。

なんでも、「初物」のもつ生命力を、食べる事で子どもに与え、無病息災を願った風習の名残なのだとか。

万葉集などにも、カザシなどに植物の持つ生命力を身につける事で得ようとする風習が見えますが、これと似た物なのでしょうね。

我が家の「子ども」たちも、早二十歳をとおに越え、30代の呼び声も近くなって、とても子ども扱いできる年齢ではなくなってしまいましたが、未だにこうして初物の恩恵にあずかれることに、くすぐったさと、変わらぬ家族の愛情が感じられるようで、家族の絆、暖かさを感じられ巣、私達にとってなくてはならない行事の一つになっています。


今は、家庭菜園とかも、プランターなど利用して簡単にベランダなどで出来るようになっていますよね。

ご家族と同居されていらっしゃる方も、一人暮らしの方も、食物の持つ生命力を体に宿し、一年を健康にすごせるよう祈って、お試しになってはいかがでしょうか?

『今野もんじろう』 いわむらかずお


最近、職場の先輩の影響で、児童書(って分けるの、勿体無い気がするんですけれどね)も頻繁に手に取らせて頂くようになりました。

そのひとつが、この作品。

始めは、主人公もんじろうのふわふわの尻尾がなんとも可愛らしく、手にとっただけだったのですが、大好きな家族と穏かな日々を過していたもんじろうに降りかかる試練、そしてそれに伴なう悲しみの数々に涙が溢れ、成長していく彼の姿に、心が震えました。


子どもさん向けの作品なので、表現はとても柔らかく、難解な言葉は避けられていますが、そこに込められている思いは、大人が読んでも充分感動できるものです。

こういう作品に出会うたび、絵本や児童書といわれる作品は、大人にこそ必要なものなのかもしれないと思わされます。

そりゃぁ、「大人の世界」って大変なことが多くって、疲れちゃうのも無理が無いって思いますよ。

でも、だからこそ覚えておかなければならないこと、手放しちゃいけないおもいってあると思うんです。

児童書は、華美な表現も、過度な感情もないかわりに、シンプルな、純粋な感情を、するりと心に滑り込ませてくれます。

現代の心理描写が緻密になった分、難解になってしまった日本ドラマに共感できなくなってしまった方々が、韓国ドラマの率直さやピュアさに惹かれることと、ちょっと似ていたりして…(笑)


まあ、そういう事を考えずに、本に年齢のボーダーラインなんて設けたりせずに、気軽に手にとっていただければ良いんじゃないかなと思います。

(あ、薦めちゃいましたね…)

飲酒や喫煙と異なり、本に年齢制限はありませんよー

(お若い方々には、お色気たっぷり作品や刺激の強い作品への制限はありますけれどね!)

自分に、心に「限り」なんてつけずに、思い切って飛び込んでみるのも、一興です!

新たな世界は、常に本の向こう側に続いているもんです(*^▽^*)