2007年の終わり、2008年の始まり | わたしの場合

2007年の終わり、2008年の始まり

この年末年始は、なるべく病気のことを忘れようと考えていたので、少し気楽に過ごせたと思う。


あいかわらず眠れなかったり、食事がとれなかったりはしたが、精神科の先生に出していただいたお薬を時々寝る前に飲んだりしていた。


治療に関しては迷いがあって、なかなか答えが出せなかった。


でもセカンドオピニオンに言ってから、なんだか悔しい気持ちが残っていた。


東京にはなんでもある気がした。

お店も、会社も、病院も、私が住む県では受けられない治療も・・・。

私はこんなに調べて悩んで、セカンドオピニオンを受けたけど、東京に住む人ならもっと近道であの病院にたどり着けるのかもしれない。

羨ましいなぁと思った。(勝手な想像です)


それと、セカンドオピニオンの際の説明で「最近は若い人の子宮頸癌が多く、子宮温存を望む患者が増えている。なので広汎子宮頚部摘出術はせざるを得ない治療となってきており、手がける病院も増えてきている。」と聞いていた。


その、これから増えてくるかもしれないと言われている治療を、「病院が遠いから」「県の大学病院の先生が無理と言ったから」で諦めたら、きっと後悔すると思った。

徐々に東京に行きたいという思いが強くなったが、やはり家族に迷惑をかけるのではないかという思いがあって決められなかった。


いつもの年末のように、おせち料理を作りたいと思っていたので、12/31は朝から台所にこもっておせち料理を作った。

料理をするのはキライではないので、久々にこういうことに気が向いたのがうれしかった。



あとから思うこと

他に変ったことと言ったら、白い眉毛が1本生えたこととか(いろいろ考えすぎて10円ハゲができるとか、白髪が増えるなんてことが心配だったけど、私の場合白い眉毛が1本でした。)、

年末にお節を作っていたらいきなり出血して、元旦は寝て過ごしたことくらいかな?

この出血の理由は分かりませんが、円切の傷痕のかさぶたが剥がれたのかなぁ?

ちなみにお節は毎年4件分作ります。

(2008、7月)