ちょっと前にホロスコープを勉強していて、

 

あまりの複雑さに投げ出したんだけど

(占いはみんなそうなのかな)

 

とりあえずそれでもなんとなくわかったことはあって。

 

 

めちゃくちゃ私は牡牛座が強いんだけど、

 

それは芸術とか五感が満たされていないとダメっていうのに納得して、

 

まあそれはそうなんだけど、

 

何よりも、牡牛座は貴族というのがすごくしっくり来た。

 

(なんか嫌な感じに聞こえたら申し訳ないのだけど、

私的なブログなのでね)

 

 

私は物心ついた頃から、めちゃくちゃお洒落で、

 

靴はエナメル、ハンカチはレース、スカートじゃないとダメ

 

という、もう、何!?みたいな子どもだった。

 

 

貴族って、綺麗な服着て、楽器演奏したり、紅茶を楽しんだり。

 

それなーという感じ。

 

 

でも、この時代に生きている私は、

フランス革命でマリーアントワネットが民衆に殺されたことを知っている。

 

 

だから、私は、間違っても「貴族」なんてものに憧れるわけにはいかなかった。

 

 

今、日本では上級国民なんていう言葉もあるし。

 

 

だけど、その言葉自体に良し悪しなんてないのだ。

 

 

 

 

少し前、某インフルエンサーが、

 

「国に頼るなんて甘え。

お前らは、俺らの税金で暮らしているんだ」

(意訳。実際はもっとソフトな言葉)

 

と言っていた。

 

 

確かに、インフルエンサーがめちゃくちゃ稼いでいるのは事実だし、

納税もすごい額にのぼるのだろう。

 

そして、インフルエンサーになるためには、

めちゃくちゃ努力をしたのだろう。

 

だけど、そのきっかけは、

常識的な教育を受けさせてくれたり、

最低限の衣食住を与えてくれた親のもとに生まれたこと

ではないだろうか。

 

 

親は選べない。

 

 

私自身、家庭環境には問題があった。

色々とおかげで苦労したし、

人生を楽しめるようになったのは最近のこと。

 

 

だけど、きちんと教育を受けさせてくれる親だったからこそ、

ピアノを習わせてくれた親だからこそ、

 

いま、こうして生きていられる。

 

 

残念なことに、

 

いま日本では、「当たり前のこと」に随分格差ができてしまっている。

 

私が子どもの頃は、クラスのほとんどの子どもが、

何かしら習い事や塾に通ったりしていた。

朝ごはんを食べてくることも当たり前だった。

 

ごくごく普通の、地方にある公立の学校だ。

 

 

それが私たち世代の当たり前だった。

 

 

今はそうではないみたい。

 

 

だって、習い事一つとっても、

 

ピアノならば

 

親の送り迎え、

月謝、

小さいうちは付きっきりで練習に付き合わないと

上達しない。

 

 

 

習い事なんて、贅沢品と思う家庭だってあるだろう。

 

 

人間が、生まれる環境によって左右されて、

教育や健康に差が出るなんて、あってはならない。

 

そこに差ができてしまわないよう、

支援をする、税金を使うのが国の役目。

 

 

生まれる環境を選べないのに、

自己責任だなんて切り捨てられるだろうか?

 

 

そこへメッセージを発信していたのが、

先日終わった、「天国と地獄〜サイコな二人」なのではないか。

 

生まれた時間が15分違うだけで、

天国と地獄のように運命が違ってしまった双子の物語。

 

片方の犯した罪を、

「15分違っていたら、自分がやっていたかもしれない」という片方。

自分の片割れを最後まで庇う。

 

 

双子、というのは、父母と生まれる日(一卵性の場合は遺伝子も)を共有しているので、

「似たもの」「もう一人の自分」と理解しやすい。

 

しかし、このドラマでは、赤の他人同士が入れ替わる。

 

これは、誰でもそうなる「可能性がある」というメッセージではないか。

 

 

みんなは私であり、私はみんな。

 

この世界の片隅で、誰か一人でも不幸でいて欲しくない。

人類皆兄弟なんだよ。

 

恵まれた立場にあるものは、その力を恵まれない人のためにも使うべきだと思う。

 

あまりにも、自分の力の小ささに絶望するけど。

 

 

 

昔、ある高級者にのせてもらった事があって

その時、その車のオーナーが、

 

「こういう車に乗るのは、海外だと貴族だから。

それに相応しく、あらねばならない」

と言っていたのは、私の心に深く刻まれている。

 

高級車は富の証、だけではなく、

そういう文化芸術に造詣の深い、貴族社会が育ててきたもの。

 

それに敬意を払い、ふさわしい品がないといけない。

 

そして、貴族とは、民を守るもの。

 

 

 

 

 

 

さっきアマプラで、

 

ダンシング・ベートーヴェンという映画を見た。

これは、モーリス・ベジャールが、ベートーヴェンの第九を振り付けた作品の、

東京公演の密着ドキュメンタリー。

 












第九はご存知の通り、「人類みな兄弟」がテーマ。

 

この東京公演では、様々な国の人が手を取り合って踊るだけでなく、

音楽とバレエが一体となって、この舞台を作り上げる。

ここが、もうたまらなく良かった。

 

ずーっと、そういう垣根をなくした作品を見てみたいと思っていた。

(マーチングがそれに近いかも?と思っていた)

 

音楽はバレエと一緒になると、どうもBGM扱いになるのだが、

この舞台はそんなことはなさそうだった。

(そもそも第九という壮大な曲だし)

 

 

最後の言葉が印象的だった。

 

人間の手は、繋ぐこともできるし、殺戮もできる。

 

それをどうするかは、一人一人の心がけ次第。

 

芸術なんて、なんの役にも立たないかもしれない。

でも、人間は美しいものが好きだし、

それによって勇気づけられたり、励まされたりするから。

 

 

 

私自身、大切にしていきたいし、

そういう何かを作りたい。