教会内の問題で、いろいろ不平不満をこぼす人がいる。
気持ちは分からないでもないが、私に言わせてもらえば、
そんなのはぜいたくだ。
考えてもみて欲しい。
今私たちの国では、礼拝に来たからと言って、問題は起きない。
世界には、また歴史を見れば、それだけで捕まったり、村八分にされたり、殺されたりする国もあった(ある)。
しかし、日本では、多少家族に文句を言われるぐらいで、社会的地位を失うわけではない。
だとしたら、ちょっとのことで不満を持つのは、ぜいたくな話なのだ。
説教についてもそうである。
説教者にはいろいろなタイプがあり、中には、原稿を作って語る者もいる。(私もそうしている。その理由は、大事なことを言い忘れないため、また、文章にしておけば、その場にいない人にも読ませることができるためである。)
しかし、聞いている側としては、原稿なしの方が説教らしく、また聖霊に導かれているらしく聞こえるようで、実際、原稿を読むタイプの説教について、「説教を聴いている気がしない」と言う人は多い。
<つづく>