秋の日

 

 まったく、首藤千恵里ほどしゃくにさわる女はいない。他の女生徒なら私はいくらでも無関心になれるのに、彼女が相手だと妙にむきになってしまうのだ。

 当時、千恵里が風邪をひいて休んだ実力テストの時、英・数・国の三教科の点数で中二の学年中二位だった、と彼女の教室までわざわざ自慢しに行ったら、彼女は涼しい顔でこう言ってのけた。「私が休んでなかったら、貴女は三番だったわ」千恵里が言うとなぜか漢字で聞こえる「貴女」もカンに障る。

 どうせ苦手な理・社を抜いたいわばインチキな成績だが、学校側がそのような順位を出すのだから仕方ない。彼女もそれは先刻承知のはずだ。その気になれば私などよりはるかに優等生のくせに、私のささやかな満足を鼻で笑うその態度が気に食わない。

「どうかな。やっぱり私が二番だったんじゃないかな」

「あら、そうかしら」と自慢の美貌、ヴィヴィアン・リー似の鼻をつんと上に向けた。「風と共に去りぬ」の愛読者だけある。

 これがまたしゃくにさわる。この中学で本を読む人間はもちろん私だけではないが、一方私ほど読書カードを多数更新している生徒もいないはずだった。その私がちっとも面白いと思えない「風と共に去りぬ」を彼女は何度も「とってもいい本よ」と貸してきて、こちらも何度も「やっぱり面白くない」と突き返していたのだ。私に面白くない話に面白さを感じ取れる彼女に、優越感を持たれているようでこれまた無性に腹が立った。

 そんな千恵里と私がなぜ親しかったのかというと、父親同士が同じ会社に勤務していたからだ。小学生の頃から母の運転でときおり千恵里の家に連れて行かれた。よその家に行くというのは気が張るものだ。特に「その家の子供と仲良くしなければならない」時はなおさらだ。母親同士が階下のリビングで話に花を咲かせている間、千恵里と私は二階の千恵里の部屋で遊ばされた。小学校の時はそれほど面白くもなく、ただ本のたくさんある部屋だったので闇雲に読んで時間をつぶした。千恵里とは学校の話をするほどの親しい距離ではないと感じていた。小学生女子のグループは実はけっこう結束が固く、グループ外の子とつきあうのはめずらしいからだった。なので、訪問のたびに私は結構それなりに気づまりな思いをしていた。

 それが一変したのが中学に入ったあとだった。うちに比べて裕福に思えた千恵里の家では、ローティーン女子のあこがれ、「セブンティーン」という雑誌を娘に買い与えていたのだ。

 ほんの数年の違いでも、十三歳が読む十七歳は世界が違い、結果、きわめて単純に「千恵里ってオトナなんだ」と漠然と思った。もちろん「セブンティーン」はむさぼるように読み、千恵里から「紗枝ちゃんはこれ読みに来てるみたい」と非難とも単なる事実の指摘とも取れる言葉をかけられた。学校でも優等生で、美人でしかも有能かつ気さくな彼女は教師たちに可愛がられ、仲間たちからの信望も厚かった。

 私はと言うと、不良すれすれの反抗精神が生活態度にも現れており、深夜徘徊も、「程度が低い」と言われていた高校の男子たちの走らせるバイクの後ろに乗ることもしょっちゅうだった。成績が良いのと、モットーである「悪法もまた法なり」から学校の規則を破ることは少なくとも校内ではしなかったのが幸いしてか、千恵里の家族にもつきあいをとがめられることはなかった。女子グループの存在自体を嫌うようになっていた私には、時折校内で千恵里と立ち話をするぐらいが学校生活ではちょうどよかった。

 ある時、家族が留守の千恵里の家に泊まりに行く機会があった。母も、千恵里が「しっかりしたお嬢さん」で「パパの同僚のおうち」だから許したのだろう。ただ肝心の私たちのテンションはそれほど高くなく、パジャマパーティーをするとか一緒にお風呂に入るとかそういうイベントはなかった。淡々と、自分たちで読みたい本をそれぞれ読んでいた。印象に残っているのは、翌朝の食事の時だった。当時やせの大食いだった私が千恵里の作ってくれたおかずがおいしいからと四杯目のごはんをお願いしたら、千恵里はあきれ返ったという表情で、

「紗枝ちゃん、まだ食べるの?」と答えた。

「うん。なんで?もうごはんない?」

「あるけど、人の家で朝から四杯もごはん食べる人なんて初めて見たわ」

 実際私のせいで炊飯ジャーは空になったが、どのみち小食な千恵里には何の影響もなく、私も恥ずかしいとは全然感じなかった。ただ、「口うるさいな」と思った千恵里に対してなぜかこれまでで一番深い興味と愛着を持った気がする。

 高校受験のシーズンが来て、成績優秀な千恵里はそれにふさわしい名門高校に進学した。私は英語と国語が非常によくできたと本番に強いのとで、内申書から導き出される高校よりワンランク上の受験を許された。これはけっこう異例なことだった。特に名古屋の中学は内申書が厳しく、それと成績をもとにした細かい偏差値を見て、受かる可能性がほぼ百パーセントの高校しか受けさせない暗黙の決まりがあったからだ。実際私は合格した。千恵里の高校とは何ランクも差がつく県立進学校のどん尻に近かったが、気にならなかった。「私」が問題なのであって、「私が行く高校」などどこでも変わらないと思っていた。ただ、先に滑り止めを受けて受かっていた私立の入学金を母親が実は払っていなかったと後から聞かされ、これには驚いた。県立高校に受かっていなかったら私は中学浪人になるか、どんな成績の生徒でも入れる「最終的などん詰まり」的高校に行くしかなかったわけだ。

 さすがに母親に「なんで払わなかったの?」と詰め寄ったら、

「だって、どうせあなた県立受かるつもりだったでしょ。入学金、無駄になるじゃない」とむしろいいことをした自信に満ちた声で答えた。母はそういう人だった。

 そんな高校受験の前、中学時代も終わりかけのある秋の夕暮れ、私は千恵里と一緒に教室の窓から滑り込むクラブ活動のにぎやかな声を聴いていた。なんだか小瓶に入れてずっと取    っておきたいような時間だった。千恵里はどう思っていたのか、窓の手すりにもたれて、「今日はいい天気だったわねぇ」などとしゃべっていた。私にとっては今朝も母親から平手打ちを食らったばかりで、「いい日」とは言えなかった。

    ふと思った。

 千恵里は、お母さんに叩かれたりするのかしら?いい子だからきっと叩かれたりしないんだろう。始終怒鳴られたり急に叩かれたりの母の気まぐれでタガの外れた行動にどう対応していいものかわからない私は、突然カッとした。このいい子のお嬢さんは、きっと殴られたり叩かれたりとは無縁の人生を送っているのだ。そう思ったらもう口に出していた。

「ねえ、千恵里。人に叩かれたり叩いたりしたことある?」

彼女のアーモンド形の眼が真ん丸になった。

「まさか!ないわよ」

 ああ、やっぱりだ。千恵里と私は全然違う人種なんだ。そう感じたとたん、猛烈に千恵里の泣き顔が見たくなった。

「叩き合いの決闘しない?お互いに平手打ちして、先に泣いた方が負け」

 ひるむかと思いきや、いつも腹の立つあの平然とした空気をまとったまま、千恵里は笑った。

「面白そうね。いいわよ。じゃあ、貴女からね」

 思いっきりぶった。いろんな憤懣を理不尽にも千恵里にぶつけるように、全身の力を込めて彼女の頬を打った。

 反動で二歩ほど下がった千恵里は、しかしおびえてはいなかった。相変わらず「面白いじゃない」という顔のまま、今度は彼女が打ってきた。手首のスナップが十分効いていて、上級者の打ち方だった。器用な人はなんでもうまいのか。

 それから五、六合平手打ちの応酬があり、千恵里の色白の頬は真っ赤にはれ上がり、額まで汗をかいていた。私も似たようなものだったろう。

 突然、二人とも大声で笑い始めた。立っていられないぐらい、おなかの底から大笑いした。

「あはは」「うふふふ」

 二人の笑い声がいつまでも、柿色の斜め陽に染まる教室に響き渡った。

 

 

                            ―了―