青い山脈の曲と共に最初に自転車が走っている橋の上のシーン。
画像1 1949年

ここは下田市立野。渡っていた橋は稲生沢川に架かっていた当時の立野橋で現在は架け替えられている。また後方左側に釣鐘状の山が見えるがこれは下田富士(標高187m)。
画像2 2014年

画像1に続くシーン。このシーンの場所は不明である。みんなが走っている部分はゆるやかな右カーブでその先が左カーブとなっている。画像1の周辺や下田市全体の当時の航空写真を元に似たような道路を探してストリートビューで確認したが、どちらも周囲には山が映っており、この画像のように山が映っていない場所は見あたらないので別の場所で撮影した可能性が高い。
画像3 1949年

画像3に続くシーン。関連書籍に下田市内の他多摩川の土手でも一部撮影されたとあるので、このシーンがおそらくそうだろう。場所はいまとなっては特定不可能だが、東宝撮影所最寄りの狛江辺りだろうか。
画像4 1949年

画像4に続くシーン。
画像5 1949年

66年前の作品なので唯一手がかりになるのは背後に映る山並みのみ。この山並みを頼りに下田近辺の海岸を探していたのだが、全く手がかりがない。もしかしたらと思い湘南辺りの海岸を探していたら、ありました。ここは横須賀市秋谷の当時の県道26号線(現:国道134号線)でした。
背後の山並みの見え方と道路のカーブからここで間違いないだろう。
画像6 2014年

当時と現在の背後の山並みを拡大したシーン。
左端の松の木の繁っているところが現在の立石公園、その右手前にある岩礁、秋谷漁港後方の山並み、その右側に延びる荒崎のある半島、その手前に笠島が確認できる。てっきり下田と思っていたこのシーンは横須賀市だった。
画像7

画像5に続くシーン。
画像8 1949年

画像8からカメラは右にパンする。
画像9 1949年

画像10 1949年

ここは横須賀市と葉山町の境界付近、長者ヶ崎前の当時の県道26号線(現:国道134号線)になる。
画像11 2014年

左側に映っていたむき出した岩が長者ヶ崎。現在は整備され駐車場やマリンリゾートなどが出来ている。
画像12 2014年

こちらも背後に映る山並を当時と現在の画像で比較してみる。
画像13

自転車を砂浜に置いたあと座って会話をしているシーン。砂浜よりかなり高い位置である。
画像14 1949年

画像15 1949年

新子と六助が手をつなぎ砂浜を走るシーン。背後に小さな橋が確認できる。
画像16 1949年

ここは下田市白浜の白浜海岸。みんなが座っていたところは正面に映る墓地の後方あたりと思われる。
画像17 2014年

当時の画像の背景と現在の画像を比較してみる。撮影場所と思われる場所は背後の2と3の見え方から現在の画像(道路)より数十メートル左側でかなり山側に寄った高い位置であるのが分かる。また、航空写真と比較するため番号を振った。
1は稲取温泉付近。
画像18

当時の航空写真より。赤点部分が撮影場所と思われる辺り。
画像19

画像19を拡大したもの。赤点部分が撮影場所と思われる辺りで赤丸内は画像16の背後に映っている橋と思われる。
画像20

現在の航空写真。
画像21

画像16に映っている橋と思われる上から二人が走っていた砂浜方面。
画像22 2014年
