さっきブログを書こうと アメブロに来たら、
な、、なんと こんな私のブログにコメント下さった方が
いらっしゃるではないですか!!

めちゃくちゃ嬉しくて嬉しくて!!

その方のブログを覗いたら、
バランスの良いダイエットの紹介をされてました。

色文字やらフォントのサイズも変えたり、
写真が載ってたり
とても感心してしまいました。

まだまだ初心者で、コメントの残し方とかリンクの貼り方とか
ほとんど分からずやっている私とは大違い;;

私も少しずつですが、見やすい
分かり易いブログになるよう頑張りますので、
みなさま いろいろ教えてくださ~~~い☆


 病気との関連性はわかりませんが、

中学と高校の頃のお話です。

少し前に話題にもなっていた 体罰。
私が入部したのはバスケット部。
部活の先生はおばさんでしたが、
男性の先生よりも遥かに恐ろしく暴力的でした。
スリッパで頭を叩かれるのなんてざら。
顔にまでスリッパで叩かれ、
グーパンチも思いっきりすれば、
蹴りも飛んできました。
苗字が権田だったので 影でゴンバーと呼ばれていた人でした。
もう過ぎ去ったことなのに、
今でも あの恐怖は忘れません。
あの頃は程度こそ低いですが、
先生が何をしても許される時代でしたので、
最近のように話題になることもありませんでした。

高校は出来たばかりの高校に通いました。
何よりも自由を重んじる という
たぬき校長の言葉を信じた自分が馬鹿でした。
私たちが1回生だったので、
なにもかもやらされました。
校庭の石拾いに草取り、
高校独自の体操づくりに、長い髪は必ず縛る。
前髪はパッツンで前髪を押して、眉につかなければ合格。
学校から支給された風呂敷包み以外は全部バックに入れる事。

校長の言っていた、アメリカの学校のように、
個性を活かし、自由奔放の精神で
生徒それぞれれの個性を伸ばすだと~~~!!??
バンドを組んだり、アルバイトもダメ。
むろん 恋愛も禁止。
バレれば、停学。

で 私はバレて、親は学校にまで謝りに来て
ついでにバイトしてたこともバレて
長い髪を切らなきゃならなくなりました。

そうして、私はその頃の学年主任の餌食となってしまいました。
常に目をつけられ、セクハラを受けたのです。
つきあってた奴とは何回くらいしたんだ?
気持ちよかったのか?
なんでかいつも個室の部屋に入れられ、
説教を受けました。
幸いにも 手を出されることはなかったですが、
危ういところだったと今でも思います。

こういった生活環境も 
やはり うつ病に繋がり得る要因ではなかったのかと
思えてなりません。

私の中学、高校生活は 全く楽しいものではなく、
思い出したくもない 最悪だった6年間でした。
生きていくということは、
何もしなくても
お金が必要だと痛感します。

私はバック売りや、ソープでかなりの大金を稼いだのですが、
躁の状態の時、使いまくり
結局 一銭も残っていません。
たかの友梨エステティックに全部つぎ込んでしまいました。
自分自身への癒しが欲しかったんだと思います。

今はやっと普通の金銭感覚に戻ったのですが、
そこには自立支援や、障害者年金にたどり着いて、
これでなんとか生きていける、、、と実感したからです。

実家の母屋を借りて、住んでいるのですが、
ただ、クスリを飲んで、寝ているだけでも
お金は掛かるんですよね;;
息をせず、物を口にしなくても、お金はかかる。
自分がいなけりゃ、余分なお金はかからないとさえ
思い始めていました。

障害者年金をもらえるようになってからは、
少しだけですが、こころにゆとりがでてきました。

ゆとり って 大切ですね。

生きてても大丈夫なんだ・・と。

自分を責める要素がひとつなくなりました。
今日はお薬の話です。

今現在飲んでいる薬を挙げてみます。

ワイパックス0.5
レキソタン5
セルベックス50
アキネトン1
ツムラ 60番
ツムラ 71番

ジェイゾロフト50*2
リピトール5
ワイパックス0.5
レキソタン5
セルベックス50
アネキトン1

ロナセン4
セレネース0.75
ヒルナミン25
デパケンR200*2
りスパダール1
パルシオン0.25
ソレントミン0.25

ロキソニン60
デパス0.5
ミナオール50

ガスター20

上から 朝・昼・夜・非常時 となっています。
初めて自分が口にしてる薬を載せてみると、
クスリ漬けな自分に気がつきます。

今のお医者様になってクスリは大分減りました。
一時は一万円近くお薬にかかっていました。
そこは、クスリはひょいひょい出してくれるし、
カウンセリングにもお金を取られました。
タクシーで通っていたので
合計で2万円位です。
自立支援のことも教えてくれませんでした。
ひどい所に通っていたものだと、
つくづく思い知らされます。


クスリなんて飲まなきゃよかった。。。
これが今の本音です。
でも、当時は精神障害なんて 煙たがられて
変人扱いされてましたから、
早く治さなきゃという思いしかありませんでした。
最初に通った病院は市民病院でしたが、
先生はろくに話も聞いてくれず、
ただただ、、私は泣きじゃくりながらしゃべっているのを
パソコンを打ちながらの診断でした。
その時出されていたクスリは
今はほとんど使用禁止になったものばかりです。
藁をも掴む気持ちで病院に行ったのに、
クスリの副作用で
生理は止まり、
思考停止の状態でぼんやり1日を過ごす日々が
何ヶ月もつづいたのを覚えています。

良くなるどころか、薬はどんどん増えていき、
私は部屋を出ることすら辛くなってました。
一日中 カーテンを締め切り 何日も寝ないで、
同じビデオを何回も何回もくりかえし、ぼーっとしていました。
つくづく自分が嫌になり、家族の心配が逆に重荷となり、
バッグ売りで貯めた貯金もなくなり、
お金を貯めなきゃ・・・
こんな状態から抜け出さなきゃ・・・
もう死にたい・・・
どうやったら、誰にも迷惑かけることなく死ねるか・・・
誰も、、誰も、、、分かってくれない・・・・・

親が死んだら自分も死のう。。

負のスパイラルが頭の中を何回もよぎりながら、
家から離れよう、死ぬつもりならなんでもできる。
そう思った私は翌日には バックひとつで家を飛び出しました。
自虐行為だったのかもしれません。
体を売ることを決めた私。
そうして、ソープの世界に飛び込んでいったのです。

躁鬱病になって16年がたちました。
この年でこんなことを書くのも何ですが、
波乱万丈の人生でした。

帰国子女でトヨタの本社に勤務し、通訳と秘書を兼任しました。
しかし、1年で退社し、アメリカに留学。
帰国後、バナナの叩き売りのような販売で日本国中の大手デパートにて
ハンドバックを売り、一ヶ月100万位稼いでいました。
躁鬱病が発症したのは、この時でした。
少し自宅療養していたのですが、家族に迷惑になると思い、
もうどうなってもいい と考え、
ソープのお仕事をしました。
1年目には予約も取れない人気ソープ嬢となり
年収は1千万以上。
名実ともにソープ街のNO1になったのです。
しかし、5年程でひどい躁鬱病を再発し、現在になります。
今は自宅療養で晩婚ながら、夫と愛犬と3人暮らしをしています。

簡単なエピソードで今日は終わります。

よく アメーバさんのブログのやり方がわかっていなくて、
これでいいのか分かりませんが、
こんな使い方もできるんだよ~って教えて下されば幸いです♪

これからもよろしくお願いします^^

一緒に欝病と戦ってる方も読んで頂ければ
ネットでいろいろな情報も交換できるかと思います。


今日はここまで。段々慣れていきたらいいなって思ってます(●´ω`●)