毎日息苦しいです。


胸を貫かれます。


揺れます。


どうなりますか?
「誰もが幸せになる道なんてないんだよ」






心が豊かな時には
みんなの幸せを祈れる


心に余裕ない時には
そうはなれない


「誰もが幸せになる道なんてないんだよ」

とっても久しぶりに、ブログに手を入れます。


言い訳・・・


ずっと忙しくて手を入れられなかった、から。


ホントいうと

「吐き出さないとくわれてしまう」思いがあるから。


自分が

どれほどに弱いかよくわかるんだけど


すぐに凹んでしまって

自分で自分の存在価値すら疑ってしまう。


いろんな人が口を揃えて言うけど

私のかわりなんて、いくらでもいるのに


だから

恋をするのかな


まわりに必要とされている誰かに必要としてほしいから、恋をするのかな


その人が恋しいからじゃないのかな


だとしたらそれは自慰的な恋であって

健康的とは言いがたいかもしれないよね


会いたい人なんてどこにもいない


もう寂しいとか悔しいとか思うのも疲れちゃった。


人生には、選ばなくちゃならないときがある。


ずっと同じままではいれない。

いや正確にはいれるのだろうけど、それはすごく難しい。


自分を貫いて、変化を拒否するのかい?

それとも自分を曲げて、変化を受け入れるのかい?


そんな選択とかあります。


それでも変わらないのは「選んだ瞬間は戻らない」ということ。


私は「自分がその状況から逃げたくなった」から逃げたことがいろいろあります。


もしあのときその状況で逃げなかったら今とは違う「今」があるはず。


だけどあのとき逃げていたからこその今がある。


自分がいなくなる時にわかるのだろうか? どちらが正しかったか、ってことを。



なにかを守りながら進むのはすごく力のいることだ。

私はその力を持てなかったから、今、ここにいて、生きている。


この歌詞があまりに痛くて胸を刺す夜もありました。


だけど今はこの歌が私を勇気付けてくれます。




手に入れるために捨てたんだ

揺らした天秤が掲げた方を

こんなに簡単な選択に いつまでも迷う事は無い

その涙と引き換えにして僕らは行ける

                       「同じドアをくぐれたら」/BUMP OF CHICKEN



最近の、お話。


なんだかぐだぐだでうっだうだしてたとき。


自分の弱さやら力の足りなさやらを実感しちゃったときに

この歌詞が寄り添ってくれました。


辛い時辛いと言えたらいいのになぁ

僕たちは強がって笑う弱虫だ

寂しいのに平気な振りをしているのは

崩れ落ちてしまいそうな自分を守るためなのさ

僕だけじゃないはずさ 行き場の無いこの気持ちを

居場所の無いこの孤独を あぁ 抱えてるのは

Aqua timez/決意の朝に



車の中でひとりで泣きながら聴きました。


「辛いです」


その一言が言えるか言えないかで

その人の心が潰れるか、生きていれるか、変わっちゃうぐらい、すごい一言だと思う。


そして「辛い」といえる人がいるかいないかでどれほどに強くなれることか。


弱音は吐いてもいいと思う。負けなければ。

私が音楽の専門学校に入学したとき。


私は「うまく」歌うことが、「歌手」なんだと思っていました。


音程をはずさずに。リズムを正確に。

教科書どおりに・・・譜面どおりに・・・


もちろんそれはそれで正解だとも今でも思ってます。


でも、それだけでは、人の心には響かない。



私の心に、強く強く、「自分」を響かせた、そんな人がいました。


感情表現がとてもストレートで、その人から「エモーショナルに歌い上げる」ことを教わりました。



私は言葉を並べたりするのが好きだったり

こんな風に文章を書き連ねることが好きだったりするのに


肝心の「歌詞」をおざなりにしていた


その人から、それを気づかされました。


そして、少しずつ少しずつ気持ちを込めて歌うようになって


教科書どおり歌うのが、なんだかつまらなくなりました。


確かに、プロの歌手になるのであれば、正確さや技術は必要。


だけどそれだけで、ずっと「歌い手」で居続けられるとは、いつしか思わなくなっていました。


その人にしか出せない味、魅力、個性

それがあるから「歌い手」なんだと。


ならば私は、感情表現を、最大限に、自分らしく、やりたい。


そう思うようになったのは間違いなくその人がいたからだと思います。




そして今日、私は久しぶりにその人の歌に触れてきました。

その人の歌は時に激しく、時に優しすぎるほどに優しく、時に甘すぎるほどに甘い雰囲気を漂わせます。


変わっていなかった。

むしろその人はさらなる感情表現力をつけて私の前で歌っていたようにすら思います。


音楽を好きになるのは「好きになる技術」なんて必要としない

音楽を好きになるには「気持ち」があればいい


その人は常にアコースティックな素朴な音で私たちに語りかけます。

私がアコースティックが好きでデジタルを苦手とするのはその人の影響があるのかもしれません。


ようこそ。


ええと、ここはわたしが「日々、感動」することを忘れないように、と思って

始めたブログです。


たとえば人の言葉とか

たとえば音楽とか映画とか

たとえば景色とかそういうことで。


感動しなくなってしまったら、人でいる意味がないと思うから。


私は生きていたいから。


第一弾の感動。


お前が「死にたい」と言って無駄に過ごした今日は

昨日死んだ奴が一生懸命生きたかった明日なんだ