既にご存知の方も多いかと思いますが、2019年9月1日より、ICBCの保険の計算方法がガラッと変わります。あの厳しい4カ月の研修は何だったの?というくらいシステムがガラッと変わります。
今現在の保険はRegistered OwnerとPrincipal Operater (RO,PO)だけがその保険に記載され、友達だの家族だの、盗んだ人だの、要するに誰が運転して事故を起こしても25%以上の過失があった場合その保険のROの保険料が上がってしまうという、理不尽なものでした。
9月1日以降更新される保険は簡単に言うと事故った人の責任になるというもの。
なので、今まで事故ってもいないのに貸した人の事故のせいで保険料が上がってしまった人は9月1日以降に更新する場合その事故が履歴から消えてなくなるので保険が安くなります。
今の保険の更新が9月以降なんだけど?という方も、更新時に新しいシステムで計算されることになります。
いわゆる、運転手さんの運転履歴と事故履歴がベースになった保険料です。
ICBCは過去40年まで遡って運転履歴(IDF)をチェックします。
Individual Driver Factor. 30秒くらいでメールが届きますよ。
日本から来た時に免許証をSurrenderした方は、私は運転履歴27年とのこと。
日本からの履歴もしっかり記録に残っているので安心してください。
個人個人の出てくる数字と事故や保証の履歴を見て個人個人の保険料が計算されるので、近所の人と比べ合う事が出来ないわけです。
中には事故や修理などでClaimが3つも4つも、それ以上という方必見。
2017年3月1日以前に起こってしまった事故は反映されません。
なので、今現在事故が反映されて高い保険料を支払っている人は保険の期限が切れるのがまだ先だとわかっていても近所のICBC保険屋さんに9月1日以降に行って新しい保険のシステムで見積もりを出してもらってみるのも安くなるかもしれない手です。
質問がある場合は604-661-2800に気軽にお電話してください。
***あくまでも保険の内容、事故の内容について私達は答えられますが保険の見積もりや計算はしません。
先月(2019年3月)の14日に発覚した静脈血栓症、19日には血栓が肺に移動し心臓発作寸前で、その後薬によって痛みも和らいでいたのですが、4月6日に死ぬかと思いました。
今の公務員の仕事が決まった後、もう1つある病院での仕事は辞めようと思っていたのですが、何分”縁”を大事にする性分なもので病院のスーパーバイザーから連絡が来て「誰もいなくて困ってるの!」と言われると助けなくちゃと思ってしまう。なので辞めずにいるのですが、5日6日の土日も急遽助っ人が必要だということで仕事に向かいました。私の部署が働かないと病院中の患者さんに毛布やシーツのほかタオル類が届かないので。
5日は無事に終了。旦那さんに迎えに来てもらい帰宅。
6日の朝、月恒例の女子の日が始まったので完全防備でスクラブの下にはめっちゃ頑丈な下着完備で出勤。
朝7時に始まって仕事をしているとくらくらする。
ちょっとグロいですが、
水道の蛇口をひねったかのような勢いで水の流れる感覚が下半身にあり。
そして自分の意識とは裏腹に倒れてしまいました。
働いている場所が病院だったこともあり、すぐに救急に移動。
出産を経験していない私が言うのもなんですが、妊婦さんでいう破水
が流血だったと仮定してください。
私の下半身は血まみれで、初めて大人用おむつをあてがわれていることに気づきました。
私が救急にいる間、同僚が私の分も残業をした上に私の下着等を洗ってくれていたことに感謝です。
肺の血栓を溶かす薬によって流血の量が増え、ヘモグロビンの数値が下がりもう少しで輸血が必要な数値75を下回るところでしたが、さすが気分は不死身の私、ぎりぎりセーフ。 でも血が減ったことによって胸の痛みも増加、苦しい1日でした。
旦那さんに迎えに来てもらい、職場の病院の推薦で家の近所の病院に移動。
さらなる検査の結果”血栓がまだ肺にいて悪さをしているとのこと。2カ月は消えないだろう”という大きさ。
この薬を飲んでいる限り毎月こんな苦しみを経験することになるならいっそのこと「子宮を取り除くか卵管を焼いてしまいましょう」って、軽く医者に言われてしまってまたショック。
30歳で結婚した時から妊娠が難しいといわれ、子宮の手術をここカナダで3度経験し、それでも再婚してから人工授精など挑戦していた私にとって子宮を取り除いてしまおうというアイデアは斬新でありながら残酷でもあり。 もう四十路も半ばなので子供はあきらめているにしてもショックが大きすぎて、久々に落ちましたね。
そして3月29日に受けていた癌検診のうちの1つ、マンモグラフィーで速攻引っ掛かり再検査をしに11日に来てくださいと言われ行ったのが昨日。
もう、落ち込みモードの私はここで乳癌なんて言われた日にゃぁ気が狂うってくらい落ちまくっていたんですね。
で、されるがままに再度検査。 写真で怪しい部分を詳しく説明され、その後超音波検査。
結果
癌ではありませんでした!!!!
旦那さんに即効報告。
昨晩は2人+猫2匹で私の誕生日のようなお祝い。
ケーキを買ってきてくれて4分の1を皿に盛られるという。
(食べました)
自分のことのように大喜びしてくれているのがわかり、彼の兄妹に電話をして報告。
手術をすれば私に二度と子供ができない、家族が増えない、そんな私のすべてを受け入れてくれていることに感謝した1日でした。
3年前に書いたブログが久々に上がってたので読み直す。
あの時「誘うのをやめた」ことで、何が自分の何が変わったのか今の自分を客観的に見てみると、明らかに気持ちが楽になったという事は確かです。
特に”誘わない”という事で苦労をしたわけでもなく。
人を誘わなくなったからと言って断捨離をしたかのように友達が減ったわけでもなく、カナダでも日本でも逢いたい人にはきっちり逢えている。
きっと誘わないことによって気持ちが軽くなっているだけなのかと。
わざわざ「逢おうよ!集まろうよ!」と声を掛けなくても、世の中で私に逢いたい、あってもいいと思ってくれる人とは波長が合って逢えるようになっているんだと思います。
私の友達、各界のCEOや業界の方に逢いたいがためだけに私に寄ってきていた人達は断捨離しましたが。
今回死ぬ目にあった件でも、久々の飲み会の予定が3月16日にあったのですが次から次にメンバーが参加できないという事態に。それぞれ仕事であったり、日本に帰国せざるを得ない状況だったり。なので残念ですがキャンセルになったんですね。
もしこの会が決行されていれば、私は14日も15日も痛みをこらえ無理して仕事に行き16日にたらふく飲んで笑って今月中にはあの世行き。
何かに守られたような気がしています。
私は昔ほどあまり人を誘わなくなりましたが、逆にいつでも声を掛けてもらえば参上するように心がけています!
処方された薬でアホみたいに飲めませんがワインの1,2杯は2,3杯は大丈夫なので。
断固ワインを反対していた旦那さんが昨日「冷蔵庫に鮭入ってるよ」と冷蔵庫を開けると私の大好きなXOXOワインが。
本当に美味しいんですよ!!
明日から仕事に復活するので、今日は久々に1杯だけ寝酒に飲んで寝ます。
バンクーバーの桜に季節がやってきました。(写真はGoogleより)
今年で四十路も半ばを迎える私。
色んな病気や手術もしてきましたが基本的に不死身だと思っているので飛行機が落ちても死なないという根拠のない自信を元に生きています。
周りの友達からも「あんたは我慢するからダメなんだよ」とよく言われますが、何年経っても我慢してしまうんですよ。
きっとそれは母親を見てきたからではないかと思います。
母子家庭になり子供2人を育てるために母は病気であろうと怪我であろうと、病院に行こうとせず必死で働いていた姿を目の当たりにしているので、そんじょそこらの痛みで病院に行くという考えがまずないわけです。
そんな私の左足が痛み出したのが今月の頭。
最近足が疲れてるなーと思ってはいたものの、左がピンポイントで痛かった。
3日目ぐらいで痛み止めも効かなくなって、お風呂でオイルマッサージしても一向に良くならない。痛い。やっと3か月の研修を終えた仕事を休むなんてもってのほかなので休むという感覚がなかったんですね。
4日目、歩くのもしんどい。
なんかおかしい。 なので仕事が終わる17時まで待って、それから旦那にも言わず救急病院に。 頻繁に「最近旅行した?」って、もう10回以上聞かれて、昨年8月に日本と12月にラスベガスに・・と答えると「前過ぎるわ、最近よ最近」って、3か月びっしり研修で旅行なんてしてないしー。
待ち時間4時間、さすがカナダ何もかもが遅い。 医者に会えたのが21時過ぎ、先生が「足は腫れてないみたいだけども・・・念のため明日も戻ってきて」と、血液検査だけして帰宅。(普段から足のマッサージやリンパマッサージをしていたので普通の静脈血栓症の患者と違い足が腫れていなかったのが診断1日遅れに。)
5日目、仕方なく会社を休み病院へ。
超音波検査、そしてまた5時間経過
深部静脈血栓症というものでした。 写真の赤と青が血栓です。
「Glad you came today!」(今日来て良かったね!)と、たくさんのナースに言われ、どれだけ死に近づいていたかも説明されました。
怖かったけど原因がわかって安心。その日、Blood thinner(血栓溶解薬?)を処方され、帰宅。
金土日と薬を飲んだらあら不思議、足の痛みが消えちゃった~~♪
嬉しいったらない!
薬ってすごいっと感激して月曜日仕事に行ったら途中から胸がきゅーーーーーーっっと痛む。
あれ?おかしいな?と思いながら月曜日の仕事も終え。
寝る時も痛い。
でも痛み止め飲んで寝たら治るかな?という甘い考えで痛み止めを飲んで寝て。
火曜日の朝、まだきゅーーーーっって痛いけど気のせいだろうと言う事にして出勤。
11時を過ぎた頃から息切れ。
胸が苦しい、痛い。
仕事してても頭に入らない。
なんか変だ。
で、目の前に座っているスーパーバイザーに「胸が苦しいので病院に行きたい」と伝えると「今すぐ行きなさい」と言ってくれたので向かいのビルで働く旦那に送迎をお願いして救急直行。(旦那は仕事に戻ってもらいました)
今回は迅速?にX-rayとCT Scan、心電図、血液検査。
右も左も刺されまくって管だらけ。
6時間経過。
「残念なことに、血栓が肺に移動してしまっているようです。心臓発作を起こす寸前の痛みでしょう。今日戻ってきてよかった。このまま放置していたら・・・」ってまた死に近づいていたことを再確認され。
っておおおおおおおい!!何事???!
死ぬ?え?!
私が死ぬ?
24歳の時盲腸破裂で死にかけた時も意識が朦朧とする中で救急隊員に「なんでこんなになるまで放っておいたんだ!」と怒鳴られた際に、苦しみ、もがきながらも「不死身だと思ったんです」と答えて一緒に救急車に乗った同僚が救急隊員と一瞬笑ったという話を思い出し。
私が死んで喜ぶ人の顔も想像つくけど、泣いてくれる人のほうが多いだろうとか想像しちゃって。それに、今死んだら何もかも中途半端だわ。とか。。
迎えに来てもらった旦那さんに「血栓が肺に移動してるって」と伝えた時の「OH NO」、蒼白感。家族なんだなぁとしみじみ。なんだかんだ10年以上知ってるけども、まだ結婚2年目にして妻が死んだら可哀想だわね。
それより何より、カナダという遠い国で勝手に生きて、しょっちゅう帰国することも出来ず、ただでさえ心配をかけている私が親より先に45歳で異国で死にましたなんてニュースを届けたくない。
母親からのメールを読み直し、文章の最後には必ず「野菜食べて元気でいてね、ママより先に死なないでね」って。
父親も毎日の様に私のFBをチェックしてくれているのがわかるので、遠くからでも見守られている感があり。
そんな親の思いを裏切るかのように病気になり、
なんという親不孝者!!
もう心配はかけられない、それだけが脳裏によぎり。
これから先は 宣言:
痛いと思ったら病院、おかしいと思ったら病院行きます。
苦労して手に入れた仕事を休んでいるのが本当に嫌で、お医者さんに1か月安静のところ1週間に変更してもらい、家で猫と戯れる日々。
あと数日で仕事に戻れるかと思うと嬉しい。
過去の地獄のような会社で「行きたくない」と毎日思っていた日々とは雲泥の差で、今は仕事に行きたくて仕方がない。
薬の副作用は血小板が減少するのでちょっとした切り傷でも血が止まらない、ぶつけた場合もすぐ痣になる。
この薬を摂っている以上、歯医者もしばらく禁止。(これが一番困る)
習い始めようとしていたキックボクシングも断固禁止され。
ゆる~~~~い運動をしなさいと。
という事で、
昨日は近所のコミュニティセンターでサウナとスチームルームとプールで旦那も一緒にリラックス。 North Vancouverに住む方に必見の場所です。
このFacilityが素晴らしく、毎週通う事になりそうです。
私の場合長旅をしたわけでもない、原因不明の血栓症のため今後は癌の検査が2つほど予定されています。
長時間座っていたからじゃないか?と聞いたらそんな仕事をしている人は山ほどいるから違いますって却下されました。
癌じゃないことを願います。
@koikekazuo’s Tweet: https://twitter.com/koikekazuo/status/1092964847237554177?s=09
2015年バンクーバーで初Openしたアメリカ企業に入社。
接客指導、接客対応、内部犯罪の追跡等々、「笑顔がいいね」と言われた人格も人相も、チャッキー、もしくは般若に変わり給料が安くてもいいから気の休まる仕事がしたいと会社を退いたのが2018年4月。
受かったらラッキー♪お気楽に旅行三昧しようと思っていた航空会社に合格したのが4月末。朝6時からのトレーニング期間も無事に終了し海外どこでも$2.50で飛べるという美味しい仕事に就いたのは良いものの、この会社の要求する仕事の量は前職並みで給料は半分。
「これは違う」と判断して心と頭の休憩のため日本に帰国したのが8月。
そしてそろそろ働かないとなーと思って受けた病院勤務に受かったのが9月。
それと同時に絶対無理だと承知で履歴書を送っていたカナダのCrown Corporation=連邦法および州法に基づいて設置される政府全額出資の企業体(簡単に言うなら・・・公務員)からの電話インタビュー、Online テスト、それに受かったら次の面接というお返事が来たのが10月。そしてまさかのまさかで11月に受かってしまった私。9月に受かったばかりの病院はパート扱いにしてもらい、ある程度の時間を働けば辞めることもないのでまだ辞めていません。
そんなこんなで11月からトレーニングが始まりました。 公務員勤務なので月曜日から金曜日まで。残業無し
定時に終わって帰り、日曜祝日休み、バケーションに加えて年内に16回別の休みが。今までの仕事では想像もつかないほどの天国。
しかし、1度入社してしまえば辞める人はいないというくらい待遇の良いこの会社、トレーニングは日本人の私にとって拷問でしかありません。
聞いたこともない用語が嵐の様に出てくる出てくる。
20人合格し、1日目で1人消え、2週間後にはもう1人消えました。
残った18人薄いキャラから濃いキャラまで揃っていますがみんな大人なので喧嘩にもならず。
テキストが1冊終わる毎に安堵し、時には壁にぶち当たり涙した日も多々。 テキストも5冊終了。
そんな怒涛の2018年が過ぎ、新しい年を迎えたばかりだと思っていたらもう2月。
病院の仕事は毎日15000歩は歩いていたのに、新しい仕事は座っているので1日4000歩程度。
ガンダム級に増え続ける体重は歯止めがきかないっ。
11月から受けたテストも12回以上。まぐれでも良く突破したものです。
2月末までの予定でしたが、18名全員案外成績が良かったお陰でトレーニングが今週で終わります。
昨日から本社にすべての荷物を移動し、もうトレーニングルームに行くことはなく、このまま本社で働きます。
歩いて10分の会社、旦那の職場も目の前、海の目の前、マーケットの上に位置するビル。
ただただ一言、頑張るぞ~~~っ!!!
”家族を大事にしてください” それが出来ていない自分に言い聞かせるかのように打っています。
カナダという国を選び、カナダという国で結婚し、職を見つけ、この国で生きると覚悟したのは私。
それが正しい選択だったのかどうかはわからない。
私の実家は日本の僻地と呼ばれた島。
カナダから日本に飛ぶだけで1日、東京から札幌まで乗り継げたとしても札幌から利尻までの飛行機が次の日しかない。
かといって飛行機で8-10時間揺られた後に夜行列車に乗って稚内まで8時間かけて行き、フェリーで1時間30分かけて帰るのも拷問というものです。その費用も東京行きだけで収まらず札幌の宿代だの移動費がかかるので海外から海外旅行に行くようなもの。
なので、実家に帰るには最低2~3日かかるわけです。
でも、そんな苦労をしてもいつでも帰りたいのが利尻島。
私の旦那さんは4人姉弟で義母もそれぞれ車で1時間弱の場所に住んでいる。
旦那さんは「お前の家族だよ」って言ってくれるのでありがたいんですけど、悲しい事にこんなに近くに家族がいるのに滅多に逢わないんですよね。 冠婚葬祭、サンクスギビング、クリスマス、年に数回顔を合わせる程度。
私は2つ違いの兄が居ますが兄妹愛というものを味わったことがないような仲なので旦那さんの姉弟でもどんどん逢いたいし楽しみたいんですけども、4人も兄弟姉妹が近く人住んでいるのに逢わない。とても悲しく思います。
特に私は余裕があれば年に何回でも日本に帰りたいし、両親の顔を見て美味しいものを食べて笑って過ごしたい願望が強いのですごく残念なんですね。 年に1回が精いっぱいのサラリーマンです。
家族愛の温度差が違うとでも言いましょうか。
みなさん、近くに家族が居たらどんどん逢ってください。
喧嘩してもいいじゃないですか。
逢いたい時に家族が空に逝っちゃってたら後悔しか残らないんですよ。
仕事やプライベートで傷つくことがあるたびに、少しずつ気持ちがギブアップしている自分がいる。
14年の日々勉強の毎日の中でも言葉に詰まると「Go back to your country!」「Stupid Japanese!」そう罵倒されたこともある。
なぜここで私がこんな辛い思いをしなければいけないんだろうとか、ここに居なくてもいいんじゃないか?と思う事も多々ある。
普通なら家族で賑わっているはずの大晦日も仕事の後家に帰り、食欲もなく一晩布団に籠り泣いて過ごした昨日。
四十路は涙もろくなってるんでしょうね。
0時を回る頃には泣き疲れて寝ていました。
1月1日、お岩の様に目が腫れています。
2019年の自分はどうなることか。
独り言でした
Happyでいられるかなー