高校の国語の時間、先生が教科書を読んで聞かせてくれました。
それは”エリコへ下る道で考えた”という一節から始まる
日本人の小説家のエッセイか何かでした。
先生は「他者への愛」自己を超えた感情を
高校生ならそろそろ考えよう、と説明していて
肝心の内容は忘れてしまったけど、
「エリコへ下る道で考えた」「他者への愛」この言葉だけが記憶に残っています。
今、それが何だったのか探してみると
キリスト教の「親切なサマリヤ人」の話だったのだと分かりました。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/c/dbd83eb8b25abd2f73cfcc6beefd5afc
こんな話をなぜ書いているのかと言うと
中島みゆきの「糸」というの歌詩がものすごく気にいって、
ヒントになるかなと思ったから。
なぜ めぐり逢うのかを
私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを
私たちは いつも知らない
どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない
織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない
ここのフレーズに泣けてしまうんですね。
なぜ感情が震えるのかなと考えると、
人と人と巡り合う事、
それはお互い同士の愛情の交換です。
二人で巡り合ったことで、何か作用してご縁が生まれ
それが自分と全く縁もゆかりもない人に影響を与えたり
幸せを与えるかもしれない。
歌詞のそこが素晴らしいかなと、
自分が意図しなくても普通に生きていることが
他者を幸せにする、だから生は素晴らしいという
そういう事なんだろうなと思ったんですね。
肩ひじ張らず、理想などもあまり追いすぎず
正義感も強すぎず、たまにはだらしなく
でも、困っている人がいれば心が痛む・・・・
私が人を救おうなんて、大それたことなんだと思います。
でも生きていることが誰かを救っていると考えるのはなんだかうれしい。
エリコの道はそういう話じゃないかもしれないけどね。