三谷版”桜の園”をパルコ劇場に見に行きました。
桜の園原作は、
決して笑いを取るような内容では有りませんが、
チェーホフはこの戯曲を「四幕の喜劇」と書いたので
三谷さんは喜劇として
新しい切り口で紹介したかったようです。
でも、喜劇を書こうとすることに
ふりまわされちゃったんじゃないのかと、思いました。
西洋ではコメディーでは無くても、
悲劇的ではない円満な結末を迎える、俗な話は
喜劇としているそうなので、
”桜の園”はその手の喜劇になるんでしょうね。
舞台はロシア、
登場人物は、
落日の貴族で
自分で迫りくる危機をどうしようと考えずに、
今の生活を変えようとしない
浅岡ルリ子演じる”ラネーフスカヤ婦人”とその兄、
浮世離れした優雅な人たち。
農奴出身の実業家”ロパーピン”
(多分ひそかにラネーフスカヤ婦人に恋心を持っている)
成り上がり者の苦労人で、
親の時代の辛さが身に染みているけど、
一方そういう優雅さへの憧れも持っていて、
屈折した感情の人間になっています。
この役をやった
”市川しんぺー”さんが一番カギを握る人物です。
ちょこっと華が少ないでした。
もうちょっとハンサムだったら
、隠れた恋心に共感できたのに、
あえて”ハンサムを避けたんだろうね。
ロシア革命が起こる、数十年前の話で
平等の精神と自立と言う新しい思想を学んでいる
藤井隆演じる大学生と、
その思想に共感するラレーフスカヤ婦人の娘
どうしようもない現実
どうしようもない人たちばかりの中
希望としてこの二人を配しています。
(それなのに藤井隆を禿呼ばわりしてからかっちゃって・・・)
見ての通り、
どの人物も俗なものも混ぜ込まれているので、
感情移入しにくくなっています。
そしてあの時代の、没落する貴族と台頭する実業家
の当たり前の物語になっているので、
見終わった後
何が判らないって、何を言いたいのか、
何を伝えようとしているのかが良く解らない。
消化不良みたいなもやもや感が残ります。
ラレーフスカヤ婦人はずっと人が良く優雅で、
おつむてんてんのままで、しいたげられた人々の
痛みの元が解らない。
だから自分の危機も解らない。
もっと頭を使って考えられたら、
とも思うけど、時代の流れはそんな感情より強く
現実を押し流していきます。
チェーホフと言う人は作家として
奥底にあるものを表面には出さない傾向が
ある人なんだそうです。
起こった現実を、批判したり白黒つけたりせず
ただこんな事が有りましたという、
語り部としてのスタンスが強いんですね。
もやもや~な感じを
なぜ、もやもやするのか?
すっきりしないのか、見終わった後
もう1度見て確認したくなる、
そういう舞台でした。