作家の”遠藤周作”のエッセイで
ゴルゴダの丘に巡礼の旅をした話が有ったんですが、
(彼は敬虔なクリスチャンでした)
そこの聖墳墓教会かな?
まあどこかそういう聖地に巡礼者がお供えをする場所で、
お祈りをしていたら、
隣でお祈りしていたおばちゃん一団の一人が、
こそこそ~って別の人のお供えを一つ失敬しちゃったそうです。
キリストの前でそれ、するか~な出来事なんですが
彼は咎めると言うより、
”くすっ”っていうおかしみを感じたそうです。
同時にキリストもウインクしたって感じましたって。
どんな時でも、なんとなくふと、罪を犯してしまう
人の弱さ、に対する共感なんでしょうね。
彼の目は弱者にいつも向けられています。
許す事の出来る、優しさ、芯の強さがあります。
弱者であるけれど、認めることができても
許すまで強くなれない、
そこが私の弱いところです。
今日の花、ドクダミです。
白い花が里山の小道に咲いていました。
雑草だと思うけど、なんとなくこそこそ摘んでます。
ここは整備のためのけもの道だけど、
たまに同じ目的の”花泥棒の同士に逢います。
お互いなんとなく目をそらすところが、
山の明るいハイカーとは一線を引きますね。