旦那のところは3人兄弟なんですが、
前年、兄が急病死し、
それに続いて妹が厳しい病状になっていて、
旦那が両親にとって最後の頼みの綱となってしまいました。
(そういう態度は取らない自立した人たちなのですが)
今後、何かあれば両親の面倒を見ることになると思うのですが、
ヒネタ根性を持つ私は、
素直に見ようって気に成れません・・・・
長男が元気なころは、
出来た長男のお嫁さんと比べて
ほんのちょっとだけ、いつも差をつけられたことを
敏感に察していたし、
何かの時、
お母さんがかわいそうになって
手を握ろうかとしたら、
軽く払われたり、
本心で受け入れられていない事を
感じられているからです。
友人と、そんな事を話していて
”あたしゃそんな奴の面倒を見るのはいやだね~!”
って恨み悪態を付いたら、
”プラマイ・ゼロだよ、”
と友人は言いました。
人生は良い事悪い事、跳ね返ってきて
結局はつじつまが合うんだよってそういう話で、
”塞翁が馬”を彼女的に言うと”プラマイゼロ”ってなります。
人に尽くした善行は自分に跳ね返ってくるから
人としてしなくてはいけないことは、
つべこべ言わずにやるもんなんだって心の中で
言いたいわけですね。
きっと彼女は強い人だから跳ね返ってこなくっても
やる人なんだけど
こちらの心情も察して
そういう風には言わないんだよね。
彼女に比べて、
調子の良い私など、
プラマイゼロなら死に際地獄の苦しみが待っていそうで
怖いんだけど
まあ、私もプラマイゼロじゃなくっても
彼女の本心と一緒の考えで、
人としてやんなきゃいけないことは、
自分の人としての良心に恥じないように
やろう、って思えてきました。
親とのわだかまりは、旦那の両親だって
自分の両親にだってありますが、
それを超える事、
許す事、
それが自分の心の充実感に繋がっていくんだと
なんとなく実感できる気がしてきました。