http://www.nhk.or.jp/ashita/bangumi/
”きみは確かにそこにいた”~歯科医師たちの身元確認~
と言う番組を拝見しました。
他の部分に比べて腐敗することがゆっくりで、
歯科医にカルテが残っている歯は
個人を特定する切り札になります。
震災後も身元のはっきりしないご遺体の本人確認を
決定づけたのもこの歯からの検視結果である場合が
多かったそうです。
アメリカの911テロの後
”私の御墓の前で泣かないでください
そこに私は居ません~♪”
という歌が自然発生的に湧き上がりました。
魂は神様の元にまず行ってから審判が下される
キリスト教では遺体は抜け殻のようなもので
それほど重視はされない気がしますが、
無宗教と言われながらも、仏教思想がある日本では
供養されていない遺体は、まだ成仏されずに
無念の気持ちで漂っていると考えられています。
以前日空の飛行機事故で、操縦士の遺族には
遺品として”歯”が5本しか渡されなかったそうで、
”これももしかして本人のものではなく、納得させるため
渡されたものかも・・・・”
って疑問をずっと持っていたらしいけど、
それを知った歯科医が、
その歯が本人のものである正しさを科学的に
説明して、遺族はようやく死を受け入れられることができた。
と話されている場面がありました。
遺体の発見は、親族にとってそれほど大切な事に
なるんですよね。
思想文化の違いで、
そういう気持ちを抱える文化の集団の中に有っては
遺体をきちんと荼毘にふせると言うのは
残されたものにとって、しなくてはいけない供養であり、
本人にとっても次に進んでいくための区切りとなる
大切な儀式なんです。
生きていくと言うのは、
何かと辛い事ばかりですが、
それでも生きていかなくてはいけない私たち、、、
明日を前向きに生きる為に、
仲間を大切に想い、敬い、
また自分もそうされていくであろうことで
心の安心をはかっていく。
無宗教と言われますが、
これもまた日本人の宗教観で、
そういう文化なんですね。