大分前ですがTVで,
インドにはその当時でもTVなどに使われなくなった真空管ですが
軍の施設にその当時まだ使われているので、
工場が真空管をそういうわずかな必要需要のため
1社だけが残って作り続けている、
そういう企業を”最後の独占企業”と言い表していました。
今日ですと、富士フイルムのフイルム部門なんかも、
コダックが抜け、アグファ―が抜け、小西六が抜け
多分フイルム作っているのはここだけだから、
これもフイルムと言う製品だけを見ると”最後の独占企業”
という形態になりますね。
なかなか独占企業ですが、ほろにがなもんです。
そんなことが田舎の、実家にも起こっています。
実家は生鮮品や酒類などを扱い、
高度成長期にはそれなりに地域に貢献していたのですが
独占企業に向かうスーパー間の価格競争にあっさり潰され、
ジリ貧の今では店舗売り上げはやっているのか?
状態の零落商店になっていました。
周りにたくさんあった色々な業種の商店も
また同じ道を辿り、
ある時にまずタバコ屋さんが廃業するに当たり
実家でその後の地域での販売の権利の
免許を取る事が出来ました。
そしてまた、ある八百屋さんが廃業するに当たり
給食の野菜納入の権利を譲り受けることになりました。
ここの地域では、給食の野菜は青果市場の管轄で
市場に出入りする組合員から希望者を募り、
その中から選び出されるのです。
仕分けがめんどくさく、手間がかかるので
大手スーパーはやりたがらない、
第一スーパーは独自ルートを開発するので
青果市場からあまり取引などしないんです。
それで免許が居るもの、組合がらみの物は
長く実績がある真面目な組織に反目しない
小さな商店に、寛容なのです。
今月から、また給食の権利を持っていた八百屋さんが
引退するので、今度は中学校の
1か月に1週間分の野菜の納入を
手に入れる事が出来たと、喜んでいました。
今残っていて、小規模で人も入らない商店も
なんとか踏みとどまっても最後まで行けば、
開く道が少しあるんですね。