先日の旦那の実家での新年会の時の事です。
旦那の妹さん、その日は黒のセーターとスラックスでしたか
良く見ると毛玉が付いていたようで
それに気が付いた二人の娘が
ちょいちょいと毛玉を取ってあげている様子が
ほほえましく、
なんだか胸がこみあげてくるような気持になりました。
義妹は、再発乳がんに掛かっています。
ホルモン由来の乳がんを切除したのですが
その時リンパ節にも転移があって
それが新たに骨転移となって表れていました。
(乳がんは癌の原因が判別され易いので
治療法も段階によって確立されています)
今は、ホルモン療法でホルモンを止めて閉経状態に
することで症状を抑える治療をしています。
とは言え、転移という事はリスクが増大していると言う事で
癌が解ってから
”私、教育ママになっちゃったの・・・”
っておっとりしていた義妹が言う言葉の深い意味が
伝わるのです。
自分が生きている間に、最悪の場合成人式まで
生きられないかもしれない現実で
何を子供たちに残してあげられるか、考えての言葉です。
一人でも生きていけるようにとの切実な思いは
教育に、そしてしつけに現れています。
その日は、フレンチでしたが
子供の飲み物を
”お水にしなさい”とおかあさんが子供たちにたしなめ
子供たちもそれで良いと、素直に従っていました。
教育費と生活の為、
妹はフルタイムの仕事に付いていて頑張っています。
”一緒に居られない悪い母親なの・・・”
(もっと一緒の時間を過ごしたいのに
子供だけで留守番をさせてしまう)
って言うけど、
それは、子供の将来を考える上での選択で
子供もそれが十分伝わっています。
自分のことなど、二の次にして
掛かってしまった癌を受け入れ
必死に生きていく姿を見ると
なんて母と言うのは強く美しいものかと
こういう風に人の為に生きたことが無い私には
まぶしく見えます。