↑の史実を題材にした


”忠臣蔵”


討ち入りは12月14日ですからちょっと時機を逸した話に成りますが

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E7%A6%84%E8%B5%A4%E7%A9%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6
ウィキペディアの元禄赤穂事件をたまたま読んだら
忠臣蔵の全容ってこういう話だったのって、
大変面白かったです。


忠臣蔵には、日本人の持つ一つの倫理観の憧れが
凝縮されています。


”命より重いものがある”

こういう価値観です。


元禄赤穂事件では、幕府の大切な儀式のときの先生役の
吉良上野介(きらこうずけのすけ)に

道理をわきまえないと(賄賂をはずまない)田舎者扱いされた
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)


彼は自身の誇りや名誉を守るため、殿中(江戸城内)であるにも関わらず、
自分の行為が臣下を路頭に迷わせることにもなることも覚悟で
切傷沙汰に及びます。


当然その当時の法律にのっとって切腹です。


その後浅野内匠頭の赤穂藩(あこうはん)はお取り潰しとなり
幕府の決定によって

家臣はお家再興の道を断たれ
当主の敵である吉良上野介をかたき討ちする方向に
傾いていきます。


何故命を掛けてかたき討ちをしたいと思ったのか、


下級武士が多かったことを考えると
次の再就職先も見つからないだろうし、それなら
討ち入りで”名”を上げることで永遠の名誉を受けたいと
願ったから
(現に討ち入りに参加したものの子孫は再就職先が
沢山有りました)


また、それなりの理由があって切傷沙汰になった
主君の気持ちを思い、その無念を晴らすことが
家来の務めだと言う倫理観が有ったんだと思います。


幕府も法に照らし合わせては、
処分は妥当なものでは有りますが、
その為の代償が赤穂藩には大きすぎるから
討ち入りを黙認した形跡が見受けられます。


討ち入りを果たしたことで、
赤穂藩の方にもガス抜きが出来ましたし
幕府はこの局面を上手に切り抜けたようにも思えます。


命より大切なものがある


使命のようなもの


忠臣蔵が庶民に爆発的に受け入れられたのも
その核となる倫理観が心を強く打ったからに
違いありません。


今回の大震災でも
名もなき赤穂浪士の末裔が
その心を受け付いていました。