昨日歴史秘話ヒストリアと言う番組を見ました。


http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/103.html

邪馬台国についての秘話です。


邪馬台国については中国の歴史書の三国志の中の
魏書と言う書物の中

中国から見て東の方の民族について
わずか原稿用紙3枚半のちょこっとしか書かれていない
何ともあいまいな記述です。


三国志と言えば、赤壁の戦いです。
レッドクリフです、
諸葛孔明ですよ。


はるか紀元前に歴史文化が発達した中国
その漢の後期から晋時代、西暦200~300年ごろに編纂されたのが

三国志で


その頃日本は弥生後期、
男は全身に入れ墨をして
女はそのまま髪を垂らしていて
簡単な衣服を着て
関西方面で漁業と農作とで暮らしていました。


その未完成ではありますが、統一国家を築いていた王が
女王、卑弥呼で当時中国の晋王朝に拝謁しています。
つまり中国の臣下であると表明していたから史書に
名が残ったわけです。


この卑弥呼が住んでいた首都ですが
魏志倭人伝の記述通りたどりますと太平洋の真ん中に付きあたって
しまいます。


それで邪馬台国探しが始まりました。


考古学においては、

江戸の国学者が天皇制とかナショナリズムと絡めて
(日本がどこかの属国であったなどと言うのは有ってはならない)
という考えで事実を湾曲して考えていたところがあります。

以降その流れは連綿と・・・・・


たとえば邪馬台国(やまたいこく)と呼んだのは本居 宣長ですが
普通に読むと(やまと)と読んでも自然なのにあえて
大和朝廷と違うんだって思わせるために別の読み方をしちます。


古代史をみると邪馬台国から大和朝廷に移行する
なんとなくあいまいな不連続性はこの操作によって
出来ちゃったのかも。


歴史ってこういうところ面白いですね。


あ~、こんなことが書きたいんじゃなくて
邪馬台国の場所を探した夫婦のありように感動して
それを紹介しようと思っていたんです。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%BC%E3%82%8D%E3%81%97%E3%81%AE%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD


著者の宮﨑 康平と言う人は若いとき鉄道会社での
過労が原因で失明してしまいます。


生きる張り合いを失いかけたとき
その当時自社の周辺から出土していた土器に興味を持ち
邪馬台国探しにのめり込んでいきます。


目が見えない彼に代わり
魏志倭人伝をテープに起こしたり
またあいまいな記述をどう読めばよいのか悩む彼を見て

実際に現地を付き添って歩き


その結果、地形から彼なりの結論に達し、
それを”まぼろしの邪馬台国”という本に集約します。


新しい興味は盲目になった彼の生きがいになりましたし


また奥さんはインタビューで
旦那の手となり足となり支えたことを
不憫に思う人が居るけど


(実際の彼はすごい女癖も悪かったり放蕩だったりもしましたからね)


私はそんなことなくて充実して人生を過ごせたと
話していました。


奥さんがこれほど尽くすほど
彼に人間的な魅力が有ったんで
奥さんが惚れちゃったんですね~

能動的な愛はすべてのものに勝りますしね。


何ともロマンチックな話ですし
生きがいってほんとうに人それぞれ多様なんだなって

思います。


ちなみにこの夫婦がさだまさしの
”関白宣言”モデルになっているらしいですよ。