昨日久しぶりに、30分以上電車に乗りまして
連れも居ず
なんにもすることもないので
持ってきた本をぱらぱらめくっていたら
集中して一気に読めてしまいました。
普段家では
時間が無限にあるようで
細切れに、やれ家事だ~
やれ裁縫だ~
雑誌をめくってみたり、
パソコンを開いて見たり
やることがそれとなくあるので一つことに
集中できないんですね。
読んだのは
”伊藤比呂美”さんの「読み解き般若心経」
立ち読みしたクロワッサンで作者による解説が秀逸だったので
買ってみたのです。
ちらっと表紙を見た旦那など、
口の横に皮肉めいた微笑みを浮かべ
”とうとうこんなの読むようになりましたかぁ”
なんて言いやがります。
般若心経っておばちゃんがカルチャーとして読みたがる
って偏見があるみたいですね。
短いお経ですが、元のお経は難しい。
伊藤さんの詩の訳でようやくその本質が
解った気がしました。
人の恐怖の元は死に対する恐怖です。
その死を無くなる事とせず
”変化”ととられていると読み取りました。
1秒前の私は今の私と何ら変わりはないけど
組織においては微妙に変わっています。
1秒、1日、10年、中身は変化していきます。
最後の生と死の間も実は
エネルギー不滅の法則が当てはまるから
その人が持っていた質量はほかの物質になり代わっていくけど
質量は同じ分量存在し続けていきます。
昔の人も経験と感覚から存在し続得るものがある事を
解っていたんですね。
近くは木の下に撒いた骨が木の養分になって
それは木に生まれ変わったり
動物に食べられたりして栄養になってまたそれと同化して
それも輪廻って呼べるものかもしれない。
だから人は永遠にあり続けるんだから
死という変化を恐れてはいけないよ、
そういうおまじないなんですね。
お経は生きている人のための指南書です。
世の中に存在する大きな存在を意識できれば
自分を過信して独りよがりになる傲慢さから自由で居られると
作者は語っています。
人とかかわりあってこその自分だとも強く感じますね。