酒井順子さんの
”いつから中年”というエッセイを読んでいます。

読んでいてね、
バブリーなてっぺんの成功組みに
成れなかった事へのホロにがさ、やるせなさみたいなもの
が滲み出していて共感できるような出来ないような
それでも目指したい境地は一緒なんだろうなって
感じさせるエッセイでした。

この方美人で派手派手な”ワタクシ族”には成れなかったかも
知れないけど
こうしてエッセイストとしては十分成功されているし
恥ずかしくない出身、学歴も備えているのに
だれでも取りそこなった部分に対する悔しさや寂しさ
みたいなものが有るんでしょうね。

人は皆平等ではないし、世界を見たら戦争も飢えも無く
恵まれているのに甘ったれるなと家の両親だったら
言いたいところだけど
感受性が鋭いからこその辛さみたいなのも確かにあるんですよね。


女性誌が見せる夢の世界は女性を
うっとりさせると同時に不幸にする。
素敵な生活をしている人が実在すると言うのに、
どうして私は・・・・・
と言う焦燥感に晒され続けている。

また幾つになっても現役ですと言って
いつまでも引退出来ない風潮に
周りががっくり疲れる。


この感覚すごく共感もてました。

風を切って自分に浮かれている人は
実は内心同世代との競争で勝てていると思っている
(それが無意識であっても)
そのことが嬉しかったりしているんですよね。
それが顔付きや気配や言葉にも出る。
勝つという事は、その代わり負けた人がいるのに
そういう事に配慮が行かないんです。

何度も例で出しちゃって恐縮ですが
carinaさんのお父さんが御病気の席で
見舞いに来た席で
同級生が自分が健康なことが嬉しい様な浮かれっぷりで
同席した家族はとてもその人たちの無神経が
いやだったと言っているのがいつも頭から離れないのですが

一寸若くみえるから
一寸綺麗だから
一寸健康だから

だからなんだと言うんだ!

小さな事で傍を不愉快にさせて浮かれるな。
こういう事なんだと思います。

そしてそういう細かいことにいちいち気持ちが笹波立たない
強い心、流せる心が私は欲しいです。