友人から聞いた話で印象に残っているのですが
母親が末期がんでホスピスに入り
余命いくばくも無くなって来た頃には
見舞いに行くと、天井を見つめ
迎い来る死と戦っている孤独な時間に出会い
家人としてとても辛い時間だったと
話していました。
死に方は選べないです。
それが怖くて自殺する人が居るくらいですものね。。。
そして死は誰にでも平等に訪れます。
キューブラー・ロス(心理学者)の死ぬ瞬間
には死に至る心のプロセスが解説されています。
http://www.s-net.ne.jp/benri/institut/dw/198712.html
全ての人に当てはまる訳では無いし
当てはまらないまま死を迎える事も
あると補足されています。
この中で
〈第4段階〉抑うつ
(死を抵抗する事)それらが無駄であることを知って
患者はうつ状態におちいる。
病気が進行し、衰弱が進んで、無力感が深刻となる。
それとともに、この世との別れを覚悟するために、
他人から癒されることのない
絶対的な悲しみを経験しなければならない。
友人のお母様も、この状態でしたが
必死になって自らの尊厳と誇りで
死に行く自分と戦って居たのだと思います。
他人から癒されることが無い
解決策がない、絶対的な問題
人は生という
幸福を神(という絶対的な力)
から授かる代わり
死という絶望を受け入れる試練を与えられます。
そういう絶対的力があることを知ると
覚悟する為にはこういう辛い状況に向き合わねばならないもの
なのだと知ると
そうだったのか~と
自分のふに落ちるのです。
解決策が無と言う事が有ることを悟る事は
生きていく上でも大変重要なのではないかと
思います。
努力しても何とかならない問題は
山ほどあります。
それは自分のせいだとかそんなものでは
無い場合も多いです。
そういうものなのだということ
自分の限界を悟る、
覚悟する事が未練からぬけだせるのです。
絶対的な力には逆らわず、
受け入れるまで行かなくてもほぼ納得して
花が紅であるがごとく
柳が緑であるがごとく
そういうものなのだと・・・・