今年50になります。


論語なら、

四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。


惑う事多い40代だからこそ、惑わずであり
自分の意思ではどうにもならない、
運命があることを知るのが50代なのだと思います。


悩み・・・・
孔子とはスケールが違いすぎますが
それでも悩みが出てくる年頃です。


四十にして惑わず。


若さと言う武器はもう使えません。
体力も衰えを感じます。
子供は自立する年頃で親の保護という
自分の役割も無くなり、


要するに自分と言うものを飾ってくれた
装飾品がすっかり剥がれ落ちるのがこの年代
なのです。


いざ虚飾を取り去った時、それでも自分を
自分足らしめる確固たる何ものかが在ればいいのですが、

その何ものかが見つからない事が
焦燥感につながるんですね・・・・・


このころ自分探しの旅に出たくなっちゃいますね、


何か輝きたい

もう1度自信を取り戻したいと


「おかあさんどうしたのはてなマーク

状態になっちゃう場合多いです。


こうしたランナーズハイな状況も自己向上が目的なら

悪くは無いと思いますが

その目的が何時しかあの人より私のほうが云々・・・と言う

競争心や虚栄心を増大するだけの場合はかっちょ悪いね。


ああ、私です。。。。がーん


五十にして天命を知る。


結局持っていないものは持っていないんだから
只者である自分を受け止め、その中で天が導いた
運命を否定せず受け入れて歩いていく事
そんな事で、無駄な不安から少しは開放されるのかな

そうだったらいいのにな~

なんて思いました。