これが上手に出来れば、
人間関係苦労は無いのですが
継続した関係の相手と多数逢うなんて場合
ものすご~っく浮いた存在になりますね、私
では、まったくダメなのか?
と言うとそうでもない場合もあります。
たとえば旦那とか、
仲の良い友達とか
何を思っているか、大体察しが着きます。
この違いは何なんだろうな、と考えると
いかに相手の感情を読み取る事に細かく注意を払うか否か
という事なんだと思いますね。
たとえば、寝たきり老人がいるとして
お見舞いに来た人などは、
その老人が何か手を動かしても
そのサインの意味など解りませんが
日頃接している、家族や看護婦さんは
”ああ、お水が欲しいのね、”
とか魔法のように意思を汲みとっている事など
良く目にすると思います。
自分では無く、人の心に集中するから
そのサインが見えるのです。
熟練のテクニックのようなものです。
解りあうとは、相手のサインが見えてくるか否かで決まります。
サインが解る女を男性は簡単に手放したりしませんね。
初対面の異性とかと話す場合
話すほうは経験が無いだけ、一杯一杯な状況です。
相手の心を思う前に、自分のことだけでぎりぎりなんですよね。
空気なんか読む余裕があるわけ有りません。
しかし、そういう時
この介護の法則(何時法則になったんだか・・・)
を思い浮かべると少し気持ちが楽になるかも
空気が読めないのは、欠陥人間だからではなく
そういう場を経験する場数が少なかっただけ
なんです。
だからまず、恥を恐れず恥をかいてみたら良いんです。
テクニックとしては
役割が有ると、その人に興味があるんで無くて
役割だからと自分で言い訳が出来て案外話しやすい
なんて事もあるかな。
お医者さんは患者さん
と話す時美人でも普通に話せる
努力が出来ますものね。
何度も経験してまず慣れる事、
好みの女性に出会って沸騰点に達しちゃったら
辺に見栄を張るより、綺麗なんで緊張しちゃいましたなんて
自分の感情に素直になる方が私は好ましいな。
それで、後は観察ですよ。
相手が興味を持ってくれているかどうか?
介護老人を見る家人の気持ちになれば
きっと相手の気持ちが自分でも解るように
なるんで無いかしら。
そしたら、
行動だ===