どうも、小林あっこです^^


去年はハヤブサのライブカメラを観るのにはまりまして。

今年も見たいなぁ、
できれば卵を産むところから見守りたいなぁ、
もうそろそろかなぁ、、、

って思ってたら

もう2個産んでる!

(昨日見たときは1個だけだったんだけどな、、)

 

今年こそは卵を産むところから見守りたかったんだけど;

見逃しちゃったけど;

巣立つまでまたこっそり見させてもらおう。

(もし見たいと思われる方、お食事シーンには気を付けてくださいね。猛禽類なので、、、)

(私も苦手;)

 

 

 




どうやら3日くらい前の朝方に1個目を産んだらしいです。
どうせライブでは見れない時間帯だったかぁ、、、

 


とうちゃんも立ち会ってるよー。



+ + +



今日はこれの続き的なお話を。

 

 

 



私は
HSPという概念を知って、

そして、
どうやら自分がHSPというものに該当しているようだ、
と気づいて、

そして、その特徴を知ったときに
心底ホッとしたんですよ。

それがなぜだかは
その時は分からなかったんですけど
最近ようやく分かった。

私が間違っていたわけではなかった。
そう思えたから。



+ + +



私は
自分が思っていること
自分が感じたこと
自分が考えたことが
周りの人たちのそれと違っていたときに

「あ、違うな」

 

ではなく


「あ、私、間違ってるんだ」


そう思う、そんな思考パターンになっていたようです。


だから、
「正さなくちゃ」

って思ってたし、
 

「周りの人たちと同じようにふるまわなくちゃ」
「同じような意見を言わなくちゃ」

「周りの人の反応が正解なんだから、それに合わせなくちゃ」


そう思ってたんだなぁ、と。

違いは違いなだけであって
決して間違いなわけではないのにね。 
 

でも、自分だけが違っていると
なんだか圧倒的に自分が間違っているように感じてしまう。




思っていることを思っているままに
頭で推敲せずに口にすると
どうやら周りの言うことと異なる場合が多かった私は、
(これはなんでなんだろ?)

(感受性とか、そのコミュニティでの価値観の違いとかなのかな?)

徐々に
思っていることを思ったままに
口にすることができなくなっていって。


そりゃあそうだよね。
違うんだもん。

度重なると
 

「あれ?私、おかしいのかな」
 

と不安にもなるし
 

「私がおかしいんだろうなぁ」
「私が間違ってるんだろうなぁ」
 

そう思うようにもなるよね。

 

子どもの世界は狭い。
そのコミュニティで少数派になると
自分が間違っているように感じられていっても
おかしくない。



+ + +

 



で、
「“違っていても大丈夫”と思えるほどには自分に自信のなかった私」は
自分が間違っているように感じられて、

そんな経験やら気持ちやら自信のなさから
周りに合わせるようになった、、、のかな。



それが
HSPというものを知ったら
HSPの特徴に該当する点があったことが分かり
私が間違っていたわけではなかったんだ。ただ違っていただけで。



だから、
自分がHSPに該当しているらしいと気づいたときに
ホッとしたんだと思う。
「私が間違っていたわけではなかったんだ」と。





違いは違いなだけ。
ただ違うだけ。
決して間違いとイコールではない。


でも、私は
違いを
間違いのようにずっと感じてきたんだなぁ。

そして、それにずっと縛られてきたんだなぁ。



+ + +



「違い」は
時として不安になるけれども
決して間違っているわけではない。

そして、それって
環境ごとに異なるものだから
所属するコミュニティの価値観なんかに
大きく左右される。

そう思うと
ほんとに「環境で人は作られる」んだなー。
いい影響を受ける分にはいいんだけどね。




で、、、

今日書きたかったのは、

もしわたし同様に
周りの人との違いに
「自分が間違ってるにちがいない;」
そう思っている人がいたら
そうとは限らないですよー、とお伝えしたかったのと

ほんと、所属しているコミュニティでの価値観が大きく関わってくるものなので。
でも、実際に生活しているとそこの影響力はすごく強いし、

HSPさんには無視できないくらい圧倒的な存在なので。

あまり気にしないでね、ということ。
(この「気にしないでね」がなかなか難しいんだけどね^^;)
(でも外から見ると一目瞭然だったりもするのよね。中にいるとほんと分からないんだけど;)



あと、わたし自身はHSPであることを知ったときに
すごく安心できたんだけど、
人によっては絶望するケースもあるやん?
なら治らへんのか、と。
 

でも、それとて人それぞれでいいわけだし。
どんな理由でどんなことにどんな風に悩んでるかは
同じHSPでもほんとそれぞれに異なっておかしくないので
自分のケースと異なっても

その違いもまたそれでいいんだ、と。

(そんなことは具体的には今日はぜんぜん書いてないんだけどね;)


とにかくどんな違いも
そして自分の違いも
それはそれでいいんだ、と。

それも含めての多様性。 



なんか最後ぐだぐだになっちゃったけど;
ひとまず、今日はこれで終わりますー。

ではではまたね。